星の奇跡
シイダの木、シュロの木。
それから山羊の足のように、ごつごつした枝を四方に伸ばすカシの木。
ツツジにハシバミの茂み。侵入者を拒む、とがったハリエニシダの藪。
まるでなにかからこの場を隠そうとするように、奇妙に規則的な位置に生えている木々。
懸命にその群れを越えると今度は、びっしりとツタに覆われた煉瓦の壁と、硬いツルで造られた小高い編み垣があらわれる。
結び目を繋ぐように堅くつないだ手が、小刻みに震えているのに気づき、男の子は振り返って不思議そうにわたしを見た。
「どうかした。まだ、どこかいたいのか」
「こ、こわいよ」
むき出しの膝が、がくがくと揺れる。
舌がめくれ上がるような恐怖が込み上げて、まっすぐに歩くのもおぼつかない。
わたしは頭ひとつぶん下にある男の子の翡翠色のふたつの瞳を、すがりつくように見つめた。
「やっぱり行けない。無理だよ。
に……人間の住んでるところへ、なんて」
「こわいことなんてなんにもないぞ」
男の子は首をかしげ、少し考えてから付け足した。
「かあさんは時々こわいけど、でもなにもしていないのに怒ったりはしない」
「嘘よ!」
わたしは叫んだ。
「人間はいつだって、なにもしてないのにわたしたちを捕まえようとするじゃない!
恐ろしい顔で斧やナイフを振り上げて、わたしたちを殺そうとする!」
突然の剣幕に、男の子はびっくりしたようにわたしを見上げた。
「人間は、いつも怒ってるよ。お金が大好きで、わたしたちエルフの血と涙が大好きで、手に入れるためならどんなことだってする。
あんなにたくさんのものを持ってるのに、いつももっと、もっとって欲しがってばかり。
わたし、見たもの。袋に詰めたおかあさんを奪いあって、死んだおとうさんの血を奪いあって、あいつらは人間どうしでものすごく怒ってた!」
あふれ出した涙が頬を滑り、ぱきんと音を立てて紅い結晶に変わる。
わたしはてのひらでそれをすくい取り、男の子に向けて突き出した。
「あげるよ。助けてくれたお礼。これがあればたくさんのお金がもらえるんだって。
……わたし、やっぱり帰る。人間と一緒になんて暮らせない」
「帰るって、どこへ」
「それは」
わたしは言葉に詰まった。
おかあさんもおとうさんも、もういない。
帰る場所なんてもう、どこにもない。
「おまえはおれに、うたを教えてくれるって言った。やくそくを守らないのか」
男の子は機嫌を損ねたように、柳の葉のような流麗な眉をひそめた。
「風と鳥のうた、まだ聞いてないのに」
「歌なんて、誰だって教えてくれるじゃない。おかあさんに習えばいいのよ」
男の子は首を振った。
「かあさんはおれに歌を教えてくれない。
歌はこころを柔らかくするから、小さいおれにはまだ早いんだって。
おれは鉄みたいに硬くて、なににも負けないつよいこころを持たなくちゃいけないから。
剣のけいこと魔法のけいこと勉強をして、強いからだを作るためにごはんをたくさん食べて、早く寝る。
歌をうたう時間は……あんまりない」
「剣のけいこ?」
今度はわたしが驚く番だった。
「あなたみたいな子供が、もう戦う練習をしているの」
「うん」
男の子は誇らしげに鼻を鳴らした。
右手を上げ、筒をつかむような形にして振り下ろし、空を一刀に切る。
「けいこは楽しい。先生もいつも褒めてくれるぞ。
おれはものすごくサイノウがあるって。時々、目を丸くして呟いてる。
さすが世界にたったひとりのユーシャだって」
「ユーシャ?」
わたしは聞き返した。
「なあに、それ」
「知らない」
男の子は肩をすくめた。
「聞いても、誰も教えてくれない。
でもおれのことを、みんながこっそりそう呼んでるのも知ってるんだ」
小鳥のさえずりのような幼い声に、にわかに強い寂しさが混じった。
「おれ、みんなと……少し違うから。たぶん、そのことだと思う」
うつむいた顔が陰る。
緑の目に被さる暗い色。
その瞬間なぜか、この子を悲しませてはいけない!という思いが衝き上げて、わたしはあわてて明るく言った。
「ユーシャってきっと、馬車や荷車のなかまのことだよ。
金と銀で出来た大きな車輪がくるくる回る、強くてかっこいい車なの。
おかあさんや先生は、あなたにそうなってほしいんだわ。
たくさんのものを乗せても、立ち止まらずに前に進み続ける、たくましいユーシャに」
「……ふうん。たくましい、ユーシャ」
男の子は興味なさそうに肩をすくめ、そっけなく返事した。
だがその考えは、どうやら幼い彼の気に入ったようだった。
なめらかな頬を紅潮させて、込み上げる笑いをこらえるように唇を引き結ぶと、わたしの腕をぐいぐいと引っ張る。
「ほら、早くいこ」
「で、でも」
「大丈夫だよ。お前はおれのだ。もし誰かいじめるやつがいたら、絶対にやっつけてやる。
おれはユーシャだから、だれにも負けない。だれよりもいちばん強いんだ」
雨が上がり雲が去るように、緑色の瞳から陰りが消えて行く。
花束みたいな笑顔。
見ているとなぜか、胸がやけどしたみたいに熱くなって、また涙がこぼれ落ちる。
「ねえ、あげる」
彼を喜ばせたくて、もう一度その笑顔が見たくて、すくい取った紅い宝石を掌に広げたけれど、なんの関心もないように一瞥しただけで細い首を振った。
「いらない」
土を払うみたいに指先で押しのけたから、真っ赤な粒はきらきら散って、あっというまにどこに行ったかわからなくなってしまう。
「こんなのもらわなくても、お前の中にきれいなものがいっぱいあるのは、もう知ってる。
早く行こう。遅くなるとかあさんに叱られる。
……おれ、おなかがすいた」