下弦の月の夜
(クリフト……クリフト!)
両側から十字に交差した槍が、非情にも喉元に突き付けられて、
背中で腕を縛られ、全く抵抗せずに目を閉じておとがいを上げるクリフトの左胸を、深々と剣が刺し貫く。
(嫌!)
全力で走り続け、ようやく辿り着いた教会の扉を荒々しく開ける。
わたしは息を飲んだ。
祭壇の前で赤い衛兵服を着た兵士達に囲まれ、クリフトが立っている。
兵士の手にきらりと光る抜き身の剣を見つけた途端、瞼の裏側が真っ赤に染まり、わたしは何を考えるより先に足で地を蹴って、腕を振り上げると人垣に勢いよく突っ込んだ。
「クリフトに何をする!」
「姫様?」
驚いた顔のクリフトを確かめる間もなく、込み上げる怒りのままに、体がばねのように動いていた。
剣を手にした兵士の鳩尾を、横殴りに手刀で思い切り打ち、倒れ込む体を跳びすさって避けると、足先で剣を力いっぱい蹴り上げる。
取り押さえようと襲いかかって来た別の兵士の顎を、反射的に拳で弾き飛ばし、舞い上がった剣を空中に跳ね飛んで掴むと、
呻きながら這いつくばる兵士たちの頭上に振り上げ、力いっぱい突き下ろそうとした。
「うわあああ!」
「止めい!」
瞬間、辺りを包む閃光と共に、凄まじい音が辺りに響き渡る。
身体を切り裂くような絶対的な冷気の塊が、眼前で刃となって閃き、わたしは受け身を取って着地しながら、眩しさに耐えかねて思わず目を閉じた。
そしてはっと我に返ったその時には、鳴り響いた轟音は嘘のようにぴたりと止んで、握りしめていた剣は粉々に砕け、砂塵さながらに床に散らばっていた。
「アリーナ様!」
「クリフト」
駆け寄って来たクリフトはわたしの手を取り、強張った表情で全身を凝視していたが、無事を確認すると、ようやく息をついて小さくかぶりを振った。
「どういうことなの。お前」
「姫様、お待ち下さい。この方達の手当が先です」
床に膝を付き、顔から血を流して倒れている兵士を抱き起こすクリフトを、わたしは茫然と眺めているしかなかった。
「一体、これは」
「わしが説明する」
その時、背後から声が響いた。
「全くどうしていつも、辺り構わず獣のように猛り暴れるのだ。
まもなく20歳の妙齢を迎えるというのにいまだこの調子では、先が思いやられるわい」
鷲のような眼光と、鋭く張り詰めた威厳の中にも、どこか飄々とした趣を持つ老人が、杖を着きながら現れる。
「ブライ!」
「やれやれ。我が国の名だたる精鋭を、一瞬で二人も沈めてしまいおって。
姫の勇猛の前には、鍛えに鍛えたサントハイム衛兵隊も、まるで立つ瀬がないわ。
クリフト、怪我の具合はどうじゃ」
「骨が砕けていますね」
クリフトは傷口に慎重に手をかざしながら言った。
「顎と……肋骨も。こちらの方は、臓腑まで傷が回っているようです。
魔法のみの治療では、難しいでしょう。すぐに宮廷医師のもとへ」
「急ぎ運べ!」
残った衛兵達が、倒れた兵士を手分けして抱え上げると、蟻の行列のように整然と並んで、外へと運んで行く。
嵐が過ぎ去ったように、静寂の訪れた教会の天窓から、金色の下弦の月が姿を現した。
「とはいうものの、詳しい話をする時間は実はあまりなくての」
「ごめんなさい」
わたしは俯いた。
「わたしが早とちりをしたのね」
「全くじゃ。いきなりあれではわしら臣下は、命がいくつあっても足りぬわ」
「でもお父様は、まるで教会に刺客を送り込んだような言い方を」
「そうでも言わねば19年間慈しんできた娘、しかもたった独りの王女との、永の別れを受け入れることなど出来ぬじゃろうて」
では別れの悲哀を漂わせることなく、わたしからあの場を立ち去らせるために、父はわざとあのような言い方をしたというのか。
「そうは思えない」
わたしは言った。
「お父様はきっと本当に、兵の中に討手を潜ませていたと思う。
その証拠にさっきの衛兵は、剣を抜いていたわ」
「だとしてもそこらの討手ごときに、クリフトがやられる訳はない。
我が国の手練れの兵をそう言わねばならぬのは、いささか口惜しいことではあるがな。
陛下はきっと、大事な娘を連れ去ってしまう憎い男に、最後に一泡吹かせてやろうとしたのじゃろうよ。
哀れなり、どんな権力者であろうとも、父親とは娘を思えばいかようにも愚かになるものじゃ」