下弦の月の夜


「それが、お父様の本音なのね!

わたしを無視し、勝手に自分達で残酷な企みを進めておきながら、よくもそんな偉そうなことが言えたものだわ!

お父様はいつもそうやって、思い通りにならないわたしを疎んじて来た。

真に娘を思うなら、わたしの気持ちを理解しようとするのなら、親として、決してこんな暴挙に出ることはなかったはずよ!」

「19にもなって、何故解らぬ!お前は普通の市井の娘ではないのだぞ」

「わたしは、ただのちっぽけな一人の人間よ。

例え王の娘として生まれたからって、自分の意思を主張する権利くらいあるはずだわ!」

「そこがお前の大きな過ちなのだ、アリーナよ」

父王は不意に声を落とすと、眦に濃い疲れの色を滲ませた。

「我等王族に、己れを主張する権利などない。

国を統治する生まれながらの長として、民の平和のために一切の自己を捨てる。

最高権力者の名を頂きながら、自由に外出することすら許されずに、国のために王冠を被った傀儡となってその生涯を終える。

それが王族だ。わしはそう教え込まれて育てられた。

早くにフィオリーナに先立たれ、男手だけでは難儀もあろうかと、幼い頃から自由にさせて来た結果が、この有り様か。

お前は我ら王族が決して歩むことの出来ぬ人生を、周囲の迷惑も省みず、猪のように進もうとしているのだ。解らぬか」

「解ってるわ!」

「否、解ってなどおらぬ。

お前に少しでも王女としての自覚があれば、このような常軌を逸した行動を取りはすまいさ」

父は魂を絞り出すように、大きな息をついた。

雄弁なため息だった。

「だがわしには、吹き去ろうとする風を止める力はもうない」

持ち上げた腕から、重厚な王衣の袖がはらりと滑る。

わずかに覗いた手首は想像以上に皺だらけで細く、わたしは決して目を背けまいと唇の内側を噛みながら、父親の手がわたしを指差すのを見つめていた。


あの手で抱き上げられ、肩車をされては、声を上げてはしゃいだことだって、何度もあった。


ちゃんと覚えてる。


「娘よ、自らが選ぶ道がこの国にどんな動乱を招き、また、神に救いを求めて教会に身を寄せるあまたの民を、どれほど迷いの淵に立たせることになるか、いずれよく思い知るがよい。

お前はこのサントハイムから、貴き王家の血の最後の後継者と、おそらく今後もう現れぬであろう最も敬謙で有能な神の使徒、二つを一度に奪い去ろうとしているのだ。

その報い、千年の時を経て汝らの子孫が必ず、乾いた砂の嵐の災いを受け、贖わねばならぬ時が来るだろう。


心せよ、戦いに魅入られた、炎の翼を持つ娘」

わたしは呟いた。

「それは……予知なの。お父様」

「さてな」

サントハイム王は腕を降ろし、大儀そうに椅子に座り直した。

「老いてまだ、いくばくかの霊力が残っておるのか、わし自身にも既に解らぬ。

だがな、それでいいのだ。

力はやがて衰える。どんなに栄華を極めた国家でさえ、必ず草木が枯れるように最期を迎える時が来る。

だとすれば、新たな世界へ自ら赴こうとするお前の選択を正しかったと思える日が、いずれわしにも来るのかもしれぬしな」

「お父様……」


親子として交わすべき言葉を探すには、もうわたしたちには、あまり時間が残されていなかった。

再び面を厳しくすると、父は広間中に響き渡るような、力のこもった声を上げた。

「日が落ちた。教会へ向かうがいい。下弦の月が東に昇るのが合図となっておる。

急がぬと手遅れになるぞ。中には血気盛んな者もいる。

いつの時も、いくさで実際に剣を振るうのは王などではなく、巷に生まれた兵士達だ。

そしてわしはそれをただ、黙って玉座の上から見ていることしか出来ぬ」

「何を言ってるの……」

その言葉の意味が頭の中心に届いたとたん、不意に足元から、寒気がさあっと這い上がって来た。


(クリフト!)


「お父様、失礼します!」

弾かれたように頭を下げると踵を返し、わたしは次の瞬間、張り詰めた弓から矢が放たれたように、全力で走り出していた。


「さらばだ、娘よ」


肌を切る尖った風に乗って、父のかすかな呟きが聞こえたような気がしたが、

腕を振り、前を見据えてクリフトの元へと駆けていくわたしには、その最後の声さえももう届きはしなかった。
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