下弦の月の夜
クリフトは一瞬真顔でわたしを見つめ、それから仕方なさそうに笑った。
「本当だな。ご無礼を申し上げました。
民を疎んじておいて実はわたしこそが、貴方の誇りを貶めようとしている張本人なのかもしれない」
「気にすることなんてないわ。皆の前で取り繕うためのお追従が、あざみたいに身に染みついてしまっているだけよ」
「応えますね、その言い方」
クリフトはそっと身を起こし、わたしを腕の中に引き寄せた。
「愚かなのは私です。
本当の貴方はこんなにもはかなくて脆いと、誰よりもよく知っているはずなのに」
肘の尖った針葉樹の枝のような腕が、背中からそっと回される。
わたしは彼の生命の温度を確かめるように目を閉じた。
以前は若々しい力を湛えていた身体は、このひと月ばかりでみるみる厚みを失い、皮膚を寄せ合うだけで、骨の形まで解ってしまいそうだった。
彼をこうしたのはわたしだ。
切り裂かれるような後悔が胸に打ち寄せる。
わたしが間違っていた。
例えどのような理由があろうとも、わたしはあの夜、絶対にあんなことをするべきではなかったのだ。
気付かれないように唇を噛み、わたしは鋭い刃物のように襲い掛かって来る感情の波をやり過ごした。
クリフトの頬が、わたしの額に押し付けられる。
冷えた感触はそのまま、北の閉ざされた海に浮かぶ氷のように、決して溶けることのないわたしへの憎しみのようで、
痩せた胸に顔を埋めながら、わたしはおそらく永遠に続くであろうクリフトの苦しみを思い、声を立てずに、ほんの少しだけ泣いた。
「月が消えます。
そろそろ、城へお戻りにならなければならないのではありませんか」
「まだ帰りたくない」
わたしはいやいやをするようにかぶりを振った。
「アリーナ様」
「このまま城へ帰れば、わたしの通る道にだけきちんと見張りは外されていて、寝室の扉はたやすく開き、わたしは誰にも咎められることなくベッドに潜り込むことが出来るわ。
そして日が昇り、全部知っているくせに口止めをされた侍女が、何食わぬ顔で朝の挨拶にやって来て、いつものように豪奢な部屋に閉じ込められた、退屈で下らない一日が始まるのよ。
全て、お父様とブライの差し金だわ。
こんなの全部茶番よ。
婚礼を上げたばかりの王女が夜な夜な城を抜け出しては、身分違いの恋人と密会を繰り返している。
それを黙認してまで、この馬鹿げた結婚を皆でなんとか続けさせようと言うの?狂ってるわ。
それに、それに……いつかは」
「ジャンヌ殿下にも、露見することでしょうね」
クリフトは静かに言った。
彼の口からついにその名がもれたことに、わたしはびくりと身を震わせた。
「うら若いご夫婦が、いつまでも寝室を別にしておくというわけにはいきますまい。
それにご夫君とて、いずれはお世継ぎの誕生を望まれるようになるでしょう」
「夫君なんて言わないで!
あんな子供……夫なんかじゃない」
いたたまれず乱暴に投げた言葉に、クリフトはわずかに表情を歪ませた。
「ですが、貴方は」
蒼い瞳に深い哀しみの色が落ちた。