あの日出会ったあの勇者


凝視する目にはそれだけで威圧の力がある。

数え切れないくらいの目、目、目に一斉に見つめられて、ライの頭にかーっと血が昇った。背筋がぶるっと震えるのがわかった。

王様の住むお城に入ったのも初めてなのに、そのうえギルドで仕事を探そうだなんて。

今日一日、あまりにも色んなことがめまぐるしく起こり過ぎてる。

夢じゃないかと思うけど、こめかみを伝って唇に忍び込む汗はちゃんとしょっぱいし、どうやらこれは紛れもない現実だ。

振り返ると、緑の目をした若者がすぐ真後ろに立っていた。目が合うと、まなざしだけかすかにほころばせた。黙って顎を前方に軽くしゃくる。止まるな、前に進め、という仕草だ。

ライは意を決して前に向き直り、歩みを進めた。室内は広く、扉を開けるまで想像もつかなかったほどの大勢の人間であふれていた。

一体どこからこれほどの人数が集まって来たのだろう。こんな場所が一国の王城の中にあるなんて到底信じられない。部屋いっぱいに男も女も完全なすし詰め状態で、人垣をかき分けて進むのもひと苦労だ。

窓の一切ない室内には湿気がこもり、年季の入った書物やパピルスが放つ独特の甘くすえた匂いが立ち込めている。

人波の奥には四本足の長机と背の高い筒型の書棚が一定の幅を保っていくつも並び、半円形の小高いカウンターが部屋の隅を仕切っている。ギルドと言うより、古い図書館のような造りだ。

長机についてなにかを書きとめている者もいれば、書棚から本を手にとり、立ったまま熱心に睨んでいる者たちもいる。よく見ると、あまりライと歳の変わらなそうな子供も幾人か混じっている。

なにか雑用を任されているのか、机に積まれた羊皮紙の山に、小さな手でひとつひとつ丁寧に蜜蝋を押している。

室内の人間たちがライを見た時間は実際のところ、短かった。やせっぽちの子供への無言の値踏みをものの数秒で終えると、今度は後方の緑の目をした若者に視線を移す。

こっちの観察時間のほうはずいぶん長かった。驚嘆と賞賛のため息があちこちで同時に聞こえ、無遠慮にじろじろ見つめられた若者は、いかにも嫌そうに整った柳眉をきゅっとひそめて顔をそむけた。

部屋の奥のカウンターの向こう側から、鎌のように両端が見事に上を向いた大きな口髭をたくわえた男と、顔が隠れるほど大量の書類を抱えたローブ姿の剣呑そうな老婆が、こちらへ向かってなにかをしきりにがなりたてている。

「この有象無象の馬鹿どもが、何度言ったらわかるんだい。手形を見せた順番に一列に並んで、あとの連中はもちっと後ろに下がりな!

いくら身を乗り出して凄んだって、ずるは効かないよ。日雇い仕事が貰えるのはギルドへ申請した順だ。どうしても働き口が欲しい奴は、前の晩から真冬の城門前で皮マントひとつ被って震えながら待ってるんだよ。

呑気に飯食ってあったかい布団で大の字に寝て、今頃のこのこやって来た奴に身入りのいい仕事なんか回って来るもんか。世の中をなめるんじゃないよ。

本気で働きたきゃあ、探すのだって本腰入れな!」

「まあまあ、婆さん。落ち着きなって。そのくらいにしとかねえと、また頭に血が昇り過ぎてぶっ倒れちまうぞ」

口髭の男はもう少し穏やかな気質のようで、困ったように苦笑いして老婆の肩を撫でると、カウンター向こうの人垣へ向き直った。

「と、まあそういうわけだ。申しわけないが三点鐘の鳴った後に来なさったお客さんがたは、今日中の職見つけは諦めて貰ったほうがいいな。

とくに王府管轄工事の人夫は朝が早いもんで、前日までに募集が打ち切られちまう。力仕事を探したい男衆はもっと早く来なさるべきだね。

ただでさえエンドール大陸とのトンネルが繋がってから、人手を必要とするめぼしい仕事はどんどんあっちに流れて行っちまって、このブランカ周辺じゃ最近、建設系の目立った工事はとんとないんだ。

この国は港湾も整備されていない。確実に銭を稼げる仕事に就きたいなら、はっきり言ってここへ押し掛けるよりも、荷物をまとめてトンネル向こうへとっとと出稼ぎに行った方がよっぽど早いと思うね。

まあ、天下の王城の中で大きな声じゃ言えないが」

「そんなわけにはいかねえんだよ」

人波の中の男のひとりが、苦しげに言った。

「うちは嫁の身体が弱いんだ。赤ん坊だってまだ小せえし、毎日のミルク代をその日その日に持って帰らなきゃいけねえ。

家族を残して遠出するわけにはいかない。このブランカで働ける仕事が欲しいんだ」

「だったらもっと本気を出しなっつってんだろ!」

老婆が灰色の目を凄ませて叫んだ。

「欲しいものがあるのに、本気で手に入れようと努力しなくてどうするのさ。あんたの手足よりずっと小さい赤ん坊だって、生まれた瞬間からそんなこと本能で知ってる。

赤ん坊がミルクを欲しい時、力を加減して泣くかい。おっとうおっかあに抱いて欲しい時、ほどほどの強さで泣くかい。

あんなちっさい体で、泣いて訴えるっていう自分に出来るたったひとつの努力を、全身を振り絞ってやってるじゃないか。

本気で手に入れたいものがあるなら、自分に今出来ることを精一杯やり尽くしな。生半可な心根には生半可な結果しか返って来ない。

どうせ、このまま仕事がなきゃ八方ふさがりで後はもう神頼みしかない、なんて思ってるんだろうけど、神様が幸運というお目こぼしをかけてくれるのは、あらん限りの本気を振り絞ってそれでも駄目だった人間にだけだよ」
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