初夜




The Final 


―――SideMe and My





サントハイム教会のファサードは簡素だ。

煉瓦色と乳白色の石を縞模様に積み、左右に石棺型の碑を模しただけの、王城直下の教会としては珍しいほど質実剛健な造りをしている。

目立った装飾と言えば、花崗岩の石棺碑に貼られた年代を感じさせる青銅のパネルだけで、寄せ木の扉の真横、棺の蓋に四枚ずつ並んだ正方形の中心に、祖国を築いた聖人サントハイムの絵姿が大きく彫られていた。 

偉大なる聖祖の威容は、豊穣な王国サントハイムに分け入ろうとするありとあらゆる外様の神を除けて、二千年を経過した今なお勇々しい。

彼がこの地にもたらした福音は、新芽が大樹と生り、断崖が波に削られ小石と化するように、気の遠くなるような長い時間をかけて広大なサントハイム全土にあまねく浸透したのである。

まるで古代神話に登場する神メルクリウスのように、不思議なその姿。

つま先まで届く長い髭、背中には蝶の羽根、両手の甲に太陽と月の刺青を冠し、腰に五芒星の刺繍を象った剣帯を巻いている。

聖祖が開いたサントハイム王朝の謎、そしてその直系子孫だけが受け継ぐ予知能力の謎を解こうと、かつてあまたの歴史家や科学者がやっきになって、水晶の泉から生まれたという正体不明の聖人を、微に入り細を穿ち研究した。

だが結局、明確な答えなど誰も手に入れることが出来ず、やがて匙を投げる代わりに彼に「神」という名を与えることによって、聖祖サントハイムの神秘性、超人性は、歴史と共にますますその普遍的価値を高めたのだった。

どこから来たのか、何のために来たのか誰も知らない神が作った場所、聖なる王国サントハイム。

そんな聖祖の血統ならざる全く新しい王が、二千年の時を経て今、この国に初めて誕生しようとしている。


そして世界中の人々は、ようやく知るのだった。


なぜそうあるべきだったのか、という理由を。


聖人の右手には黄金の剣、左手には瑠璃色の杯が握られていた。


太陽の紋の上に掲げた剣は空に、月の紋の上に掲げた杯は大地へと向けられ、


天地開闢の遠き過去から、全てを見つめ続けて来た彼の瞳は、まばゆい空と海の蒼色をしていたのである。









「クリフト、本当に行くのか。

本当にアリーナ姫と結婚して、あの窮屈な石の城に住む王様なんぞになってしまうのか」

サントハイム教会の大司教エルレイは、子弟が部屋の扉を閉めるのを見ると、人目もはばからず寂しげな声を上げた。

「なんじゃ、さっさと荷造りしおって薄情な奴め。

馬鹿め。うつけめ。この恩知らずのぼんくらめ!

わしのありがたい忠告も聞かず、おぬしはとうとう目が覚めなんだか。

あれほどあの王女はいかん、あんな暴れ馬、こっちの命がいくつあっても足りぬぞと、人生経験豊かなわしが口を酸っぱくして教えてやったではないか!

なのに言うに事欠いて、王女と結婚します、神官を辞めて王様になります、だと?

突然そのような勝手な言い草、さてはおぬし、やはりあの王女と既に同衾しておったのだな。顔に似合わずなんという手の早い男じゃ!

幼少より目をかけて来たわしの気持ちを踏みにじりおって、もはやおぬしには呆れて言葉も……」

「大司教」

なにかを思うように自室の前に佇んでいたクリフトは、騒ぐ師を振り返ると、仕方なさそうに微笑んだ。

背中に聖杖を挿して歩いて来ると、老司教の前で膝まづいて両手を組み合わせる。

「我が白魔法の師であり、また神学の師でもありましたエルレイ大司教猊下に、篤き忠誠と敬意を。

何の先触れもなく、このように突然ここを去らねばならぬ愚か者の非礼を、どうかお許しください。

今回の変事を黙認下さったお心遣いと、これまでお受けした猊下の深きお慈悲、このクリフト、心より感謝致します」

「や、やめんか。何が猊下じゃ。

こんな時ばかり持ち上げおって、馬鹿者が」

だがしかめた顔はすぐに崩れ、老司教の灰色の瞳がみるみる潤んだ。

「わしは何も知らん。お前と王女を結ぶために国王が打った芝居のことなど、何ひとつ知らん。

お前が勝手に出て行って、勝手に王女と乳繰り合い、勝手に神官を辞めることにしたんじゃろ。

恩知らずとは、こういうことを言うのじゃ。幼少よりおぬしを孫とも可愛がってきたのに、よりによってこんな形でわしを裏切りおった。

聖書を読むしか能のない老いぼれは、若くてぴちぴちした王女との甘ーい初夜の誘惑に負けたのじゃ。

この助平神官め!お前のどこが王様じゃ。祭壇の前ででれでれしおって、ばちがあたるぞ!」

「だっ、誰がでれでれしてるんですか!」

「しておるわい。情けなく鼻の下を伸ばしおって……ああ、わしは悔しい!悔しいぞ!

神よ、わしは権力の名のもとに、大事なクリフトを奪われた!」

「司教、落ちついて下さい」

「行くな、クリフト」

白い髭に埋もれた老司教の唇から、悲しげな声が洩れた。

「行かないでくれ。寂しい。寂しくてならんぞ。

お前はこの教会の神の子供じゃなかったのか、クリフトよ」

「司教……」

クリフトはため息をつき、大司教の痩せた肩をそっと抱いた。

「司教、わたしはどこにも行きません。信仰を捨てるわけでもありません。

この教会にて勤めることはなくなりますが、同じ城市のあの門の中、貴方様のすぐお傍におります。

それにたとえ寝食を得る場所が変わったとしても、わたしの望みは同じです。

わたしはこれまで通り、神のご意思に沿う志を持って生きて行きます。それを教えて下さった、エルレイ大司教に恥じぬように」

「ふん!この生真面目男め、最後まで堅苦しいが………そんなところが好きじゃ!大好きじゃ!」

老司教にがばっと抱きつかれて、クリフトは「わあっ」と後ろにひっくり返った。

「よいか、クリフト。

お前はわしとサランのゴドフロワ、そしてあの偏屈なブライが三人揃って認めた初めての男じゃ。

孤児出身の上、元聖職者が玉座に着くということは、たとえ神託であろうとも生半可なことではない。

恐らくこれから多くの貴族の反撥、軋轢を呼ぶであろう。物騒な揉め事とて起きることもあるやもしれぬ。

だがそんな時は、わしらのことを思い出せ。

お前の後ろには、かつて現王アル・アリアスのおしめすら換えてやった爺が三人もついておると言うことを忘れずに、思う存分能力を振るって来い。

体にがたは来ておるがな、まだまだ三人揃えばなんとやらじゃ。若いおぬしを守ることくらい出来るぞ!

行って来い、クリフト。

宮廷は虚飾の世界でもある。どうか、体だけはいとえ。ただでさえ、おぬしは酒が飲めんのだからな」

肩に乗せられた老師の皺深い頬が震えた。

とたんに瞼が熱くなり、鼻の奥につんと痛みが駆け抜けた。

だが唇を噛んでこらえると、クリフトは老司教の背中に腕を回し、揃いの法衣から漂う白檀の香りを、深く胸に吸い込んだ。


駄目だ、我慢。


幸福なハプニング、二度目はもう泣くべきじゃない。


気付かないうちに自分は父親だけでなく、どうやら祖父まで手にしていたのだ。


しかも三人も。


何度でも思い出す素晴らしいお芝居のクライマックス、顔じゅう幸せな笑顔にして笑う場面だ。


涙を拭って声を上げて、肩を抱きあって、笑いながら囁く場面だ。






「ありがとう」と。
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