初夜



―――Sideクリフト





「おお、これはまた見事なまでにやってくれおったな。

いずれあのステンドグラスは描き直そうと思っておったが、こうも微塵も残らず壊してもらえると、いっそすっきりするわ」

「国王陛下!」

深紅のマントに身を包み、優しげだが侵しがたい威厳に満ちた長身の壮年男性が、笑みを浮かべてこちらへ歩んで来る。

わたしは平伏したまま言った。

「へ……陛下のほうからいらして戴くなど、誠に恐れ多い限り。参上が遅れた無礼にこのクリフト、申し開きの言葉もありません。

重い病と伺い、憂えておりました。お加減の程は」

「よい。神託が叶ったのでな、怒りの呪詛は解けた。もうすっかりだ。

いやはやしかし、玉座について数十年、まさか偉大なる祖先に呪われる日が来ようとはな」

アリーナ姫の父、サントハイム国王アル・アリアス二十四世は、後ろに控えるマローニをちらりと見た。

「悪役を押しつけられた聖祖も、さぞかし涅槃で御身の不幸を嘆いておられようさ。

今となっては遅いが、もうちょっと他の筋書きはなかったのか?自称世界一の詩人にして、美しき戯曲家殿よ」

「なっ、なに言ってるんですか、今さら!

王様だって、それは面白そうだ、わしは寝込んでいるだけで済むし、ぜひともその筋書きで行けって言ったくせに!」

「こりゃ、この無礼者!陛下に対してなんたる口の聞きようじゃ!」

老ブライが飛び上がり、マローニの頭を杖でぽかりと小突いた。

「痛たた、痛い!止めて下さいったら!

誰かこのヒヒ爺さんを、どこかにやって下さい!」

「誰がヒヒ爺さんじゃ、このちゃらちゃら着飾った女男めが!

大体、お前の書いた台本のト書き、あれは一体なんじゃ!

「ここでブライ、レッツゲットメリーと叫びながら三回転半ジャンプ」など、出来るわけなかろうが!」

「ふん、氷の魔法使いだのなんだのっていつも威張ってるんだから、氷上の技くらい少しは覚えたらどうなんですか?

まったくもう、サントハイム宮廷の重鎮は揃いも揃ってとんでもない奴らですよ。恩を仇で返すとはこのことだな。

やっぱりわたしには、宮仕えは向いてない」

マローニは肩をすくめると、わたしと目を合わせてにんまりと笑った。

「ごくろうさまでした、楽師ボロンゴ・クリッフィー……いや、クリフトさん。

これで大団円、王女と身分違いの神官の仲は晴れて世界中に認められ、サントハイムには世にも珍しき聖職者出身の新王がめでたく誕生ですね!」

「マローニ?マローニがいるの?

お前、次の演奏が入ってるから行くって、確かボロンゴ……と……」

アリーナ姫は言いかけてわたしを見、なぜか気まずそうにそのまま黙り込んでしまった。

「アリーナさん、ここはクリフトさんにお任せして、わたしたちはあちらに行っていましょう」

ミネアが優しく促した。

「侍女のカーラさんが、沐浴の支度が出来ているとおっしゃっていたわ。

なにはともあれ、その真っ黒な汚れを取らなくちゃ」

「う、うん」

歩き出しながら、アリーナ姫は名残惜しげにわたしを振り返った。

わたしは大丈夫だというようにそっと頷いてみせた。

「なーんですか、目と目で語り合っちゃって、やーらしーい!

ついさっきまで、わたしはもう姫とは二度と会いません!あの方を忘れて生きて行きます!なんて言ってたくせに、たった一日ですっかり睦まじくなっちゃって、ちょっと調子がよすぎるんじゃありませんか?

あんなおかしな格好におかしな声、およそ生真面目神官とは思えぬ奇特な行動に出ていたのに」

「マ、マ、マローニさん!!」

わたしは青くなった。

陛下の御前だということも忘れて、マローニの肩をがばっと抱え、人差し指を唇にあてる。

「今この場でたったひとつだけしてはならない話題があるなら、それはその話です!

そ、それよりわたしはずっと、貴方とお話したいと思っていました。これはどういう……というか、解ることと解らないことがあまりに多すぎて。

一体、今日これまで起こった出来事の、どこからどこまでが」

「どこからどこまでって、全部ですよ」

マローニは真面目くさった顔で、胸の前でびしっとVサインを決めた。

「すべて上手く運んで万々歳、よかったじゃないですか。わたしに心から感謝して下さい。

これでアリーナ姫、ゲットだぜ!」

「ゲ、ゲットって……」

「芝居は終わりました。とりあえずはね。この先の筋書きはもうわたしの預かり知る所じゃない。

ここからは王女と貴方、でこぼこな剣と杯が自分たちで作って行く物語です」

マローニは微笑んだ。

「クリフトさん、この世の誰よりも純粋な、サントハイムが誇る生と死を司りし神官。

愛すべき鈍感男の貴方に、このわたしがはっきり申しあげましょう。

全部作りごとです。これはお芝居でした!

かの伝説の芸人オノヤスシだったら、ここでテッテレー♪と「大・成・功」の札を出すところなんですが」

「全部?」

わたしは絶句した。

「全部って……どこまでが全部なのですか?

陛下の呪いを解くために、皆さんがわざと姫様と結婚したいと言い、わたしをあのお方のもとへ向かわせてくれた……それだけじゃ」

「勿論それもそうですが、そんなものは大河の奔流のごく一部に過ぎません。

今朝から貴方の身に起こった事。そのすべてがこの国を賭けた茶番、いえいえ、大いなる歴史の一頁です」

(全ての事……?)

わたしは全身の血が引くのを感じた。

きゃー、きゃー、きゃー。

鳴り響く女性たちの嬌声。

投げられたウグイス色のオカリナ。

彼女の涙と、司教の皺深い笑顔。

酔っ払って絡む詩人。

そして、極彩色の楽師の衣装。

「じ、じゃあ……貴方がわたしの絵姿を撒いていわれない噂を流し、教会に女性を集めて、アリーナ姫とわたしを仲たがいさせたのも」

「はい、筋書きです。あれは本番決行の前に、改めて互いを男女として意識して頂くための布石です。

幸いおふたりとも、まんまとそれに乗って下さった。

あ、でもアリーナ様のあれほどのお怒りは台本外ですよ。大体、あのお方にお芝居なんて出来るわけないでしょう。

今回貴方とアリーナ姫、そして彼女の腹心のカーラ侍従長の三人には、完全に蚊帳の外にいてもらいました。

いつどこで何をしでかすか解らない暴れ馬のおてんば姫に、途中で芝居を引っかき回されたら大変ですからね。

ま、何も知らないながらも、十分引っかきまわして下さったようでしたが」

「では……では、陛下からひと月以内に、わたしと姫様の仲を壊せと命じられたというのも、

貴方がわたしに、このまま大人しく宮廷お抱えになるのが嫌だから、全面的に協力するとおっしゃったのも……」

「あれも嘘です。貴方の鈍いお尻を叩いて、なんとか出入り禁止の「クリフト」ではなく、この城に連れて来るため。

天空の勇者という強力なライバルを得て、身分を越えてアリーナ姫への想いを新たにして頂くための、まわりくどい筋書きです」

マローニはきっぱりと言った。

「確かにわたしが、城より宮廷専属歌手になれとお誘いを頂いていたのは事実です。

ですが、サントハイム王家に対するわたしの望みは逆だった。

この芝居に乗る代わりに、今後とも決して城お抱えにはならない。そして更に、昔からの夢を叶えて欲しいと。

わたしの夢は隣町サランに、モンバーバラにも引けを取らぬ絢爛な大劇場を建てること。

流浪の卑しき旅芸人であったわたしを、いつも変わらぬ笑顔で温かく迎え入れ、家族のように接してくれたサランの皆様に、わたしの唯一の持ち物、歌でご恩返しをすることです。

旅のさなかで生まれ、世界中をあてもなく巡り暮らして来たわたしにとって、サランは大切な……たったひとつの、故郷だから」

言ってさっと頬を赤くし、照れ隠しのように頭を乱暴に掻く。

マローニは片目をつぶって笑った。

「というわけで、王様と利害が一致し、わたしは晴れてこの一幕の中心仕掛け人になりました。

ですがなかなか楽しかったですよ。酒や金貨じゃなく、国の未来をかけての大芝居というのもね」

わたしはよろよろとその場にへたりこんだ。

「そ、そんな……」

「クリフトさん、あなたこそおかしいなと思わなかったのですか?

仮に潜入するにしても、どうしてまたあんな派手な格好で、わざわざ城の正面から入って行ったのか。

もっと目立たずに忍び込む方法なんて、他にいくらでもあるでしょう」

「待て、待て。残念だがこの城に潜入は出来んぞ、マローニよ。

先のバルザックの暴挙の例もある。ここにおいて、更に近衛隊の警備を厳しくしているのでな。

たとえお前とクリフトといえども、そうやすやすと堅固なサントハイム城に潜入など出来ぬ」

「よく言いますよ。その堅固な城から、自分の娘にはしょっちゅう脱走されているくせに」

国王はぐっと言葉に詰まった。

「……マローニよ、そなたやはり、生涯王家召し抱えの印綬を出すか」

「いっ、いえ、結構です!そんな名誉で不都合なもの、絶対にいりません!」

マローニは真っ青になると、慌てて作り笑いを浮かべた。

「とにかくいいじゃありませんか。これですべてうまく行ったのですから。

今日この時のため、一体どれほどの日数をかけて計画が進められたのか、振り返るだけでわたしは万感の思いです。

発端はボンモール王家の婚姻要請から始まり、わたしは王様に呼び出された。

これこれこういうわけで、諸外国に角を立てずに民間人のクリフトを婿として迎え入れるための、上手いお膳立てを計って欲しい。

それも世界中の大使の前で、文句のぐうの音も出ないほど劇的に……と頼まれたのです。

芝居ごとを考えるのは職業柄大好きですが、皆にそれを教えるのには辟易しましたね。

とくにあの美貌の勇者様と来たら、ああ言えばこう言う、右を向けといえば左を向く、無敵の天邪鬼ぶりには、思わずこちらも匙を投げたくなるほどでした。

恋人のあの可愛らしい蛙のお嬢さんがいなければ、彼は決して役目を果たせなかったでしょう」

もう既にこの場を去った勇者の少年の、愉快そうな声が脳裏によみがえる。

(おい、楽師。名は何と言う)

(そうか、ボロンゴか。……よろしくな、ボロンゴ)

うつむいて手で口を抑え、必死で笑いをこらえていた姿。

この身の愚かな振る舞いの、何もかもを知っていたなんて。

わたしはかーっと顔に血が昇るのを感じて、思わず床に突っ伏した。

(恥ずかしい!今すぐこの場から、消えてしまいたい……!)

ああ、どうして今、穴が開いているのが床じゃなくて天井なんだ!

「申しわけありません……どこかに穴は……わたしが入る穴は……」

「ま、待て、クリフト。落ちつけ。

マローニ、クリフトをからかって遊ぶのはそろそろ止めよ。根が素直な奴ゆえ、傷つくと引きずりやすい」

「はいはい」

マローニは肩をすくめた。

「まったく、サントハイム王家は父も娘も揃って、堅物神官様にえらく肩入れしてるんだから」

「それはそうだ。あの娘はともかく、わしは施政者だからな。未来の英君にそうそう辛く当たるわけにもいかぬ。

わしとて、老いたりといえどもこの国の王。聖祖サントハイムより代々貰い受けた予知能力は、まだいくばくか残っておる。

蒼き瞳の神の子供が黄金の玉座に着いた時、古き血は新しく濾され、サントハイムに恒久の平和と真の幸福がもたらされるであろう、と、夢枕で何度も聞いた。

……クリフト」

国王はわたしを見た。

凛然たる瞳の光に、わたしははっとして表情を糺した。

「はい」

「天命によってこのサントハイムに生まれ出でた神の子供よ。

そなたの名の由来を、かつてサランの神父ゴドフロワより聞いたことがある。

佇んでは生と死を飲み込む海に添い、悪しきを堕する至高の崖「Cliff」となり、動いては地を叩く嵐を垂直に昇りて、黎明の虹と変える風「lift」となる……クリフト。

そなたが選んだわが娘は、生まれながら自由の翼をもつ鳥だ。空を駆け光と舞い、後先考えずめくらめっぽうに飛ぶことしか出来ぬ。

そなた、あの娘を正しく導く風となってくれぬか。

あの娘が迷うことのないよう、消えぬ明かりを照らして岸辺から見守ってやってくれぬか。

神のもとより還俗し……わしの息子に、なってくれぬか。

なあ、クリフトよ」
34/38ページ
スキ