初夜



―――Sideアリーナ





飛竜がゆっくりと旋回しながら高度を下げ、やがて地上に降り立つ。

「失礼致します」と告げてわたしをそっと抱きあげると、クリフトは竜の背から下ろしてくれた。

自分も身軽に降りたが、広間にいる皆がわたしたちふたりを凝視していることに気づくと、いたたまれなさそうに目を伏せ、深々と頭を下げた。

「御賓客がたの御前にてこのクリフト、身分もわきまえず誠に出過ぎた真似を致しました。

この上、どのようなお咎めも甘んじて受ける覚悟です」

「……」

だが返答はない。

クリフトは訝しげに顔を上げ、次の瞬間沸いた爆発的な歓声に、呆気に取られて口を開けた。

「おめでとうございます。アリーナ殿下、クリフト殿!」

「めでたい!いや、なんともめでたいですな!」

「同胞サントハイムの王国史において最も歴史的な瞬間を、我々は目にすることが出来ました。これ以上の喜びはない」

「まさか世継ぎのアリーナ王女のご伴侶が、国内の民間人だとは……しかもまさか、聖職者だったとは!」

「これはまさに聖祖のお導きなければ、絶対に結ばれることのなかったおふたりの、神の奇跡でありましょう!」

「クリフト殿。戦いし剣と対になる、この国を癒す聖杯!


我々列国は証人として、ここに認めます。貴方のことを。


貴方こそが、アリーナ王女の正しき伴侶であることを!」




クリフトはなんと言っていいのか解らないように、呆然と瞬きを繰り返した。

すると大使たちの中からひとりが歩み出て、クリフトの手を握った。

「神官クリフト殿」

「は、はい」

「お初にお目にかかる。わたしは、ボンモール王国外交大使を務める者です」

大使は老獪な目でクリフトを上から下まで眺め回し、肩をすくめた。

「まさか貴殿のような無爵の臣が、霊能力有するサントハイム王家の聖祖が認める、アリーナ殿下の真のお相手だったとは。

もしも真っ向から、この男が王女の懸想びとだと、だからこの男と結婚させてやりたいのだと貴殿の存在を持ち出されたならば、

ボンモール王家としてもその名誉にかけて、なんの、身分卑しき市井の民ではないか、生涯独身を貫くべき聖職者ではないか、といくらでも噛みつきようがあったでしょう。

ですがこのように神話めいた一幕を見せつけられては、これでは我らもなるほど、是あるかな、と唸るほかありませぬ。

まこと貴殿はサントハイム王家に、引いてはこの国そのものに愛された、身分をも凌駕する希有な聖杯のようだ」

「な……なんのことでしょうか?」

「じつは我が国はかねてより内々に、アリーナ姫とボンモール第三王子ジャンヌ殿下との御婚姻を、サントハイム王家に要請しておりました」

「えっ」

クリフトは絶句して、蒼白になった。

「ボンモールの王子と……アリーナ様が」

「貴国と我が国は、近くは現サントハイム王アル・アリアス陛下と、亡きフィオリーナ妃、また遠くにおいても数々の姻戚を結び、いにしえより浅からぬ縁を重ねて来た修好深き同盟国。

従ってこの新たなご婚姻も当然、水が流れるがごとく粛々と遂行されるものだと思っておりましたが」

大使は苦笑を浮かべた。

「なぜか何度使いを送っても、色よい返答が貰えないのですよ。

国王陛下も摂政ブライ卿もなにかと理由をつけては、王女はまだ結婚する気がないようだとか、あの暴れ馬を嫁がせることで返ってボンモール王家に不測の災いを招くことになりかねるやもだとか、承諾を渋るのです。

ですがようやく、その意図する所がわかりました。

夜会と称して世界中の国々の大使を招じ集め、その眼前で、まるであらかじめからくりを仕掛けておいたようにこの一幕が起きた理由も。

これではいかに王女の相手が一介の神官といえども、世界各国は認めぬわけにはいかぬでしょう。

かつてサントハイムの王女が、天空の勇者と共にその身を打って戦ったことも、その王女を身を挺して守り抜いた従者がいたことも、ちゃんと知っている。

我々はなにによってこの世界が救われたのかを、ちゃんと知っているのだから」

大使はクリフトの肩を温かく叩いた。

「ボンモール王にはこう申し上げておきましょう。

残念だが王女はもう、政治や権謀術数も決して叶わぬ「運命の赤い糸」が結ばれてしまったようだ、と。

ご安心ください、たとえ姻戚関係が一代外れようとも、ボンモールは今後とも貴国の変わらぬ盟友です。

神の子供たる新王の誕生により、サントハイムに新時代の気運が澎湃として起こるであろうことを、期待していますよ」

微笑んでもう一度クリフトの肩を叩き、傍らのわたしに膝をついて慇懃な礼を施す。

大使が立ち上がって背を向けるのを、わたしたちふたりは並んで見送った。

「クリフト、あの人は何を言ってたの?」

わたしはクリフトを見上げた。

「誰と、誰が結婚するって?

それに「シンジダイのキウンがホウハイとして起こるであろう」って、なあに」

「水がみなぎり波が逆巻くように、新たな時代への革命的な力がこれから沸き起こるだろうということです」

「それって、クリフトがサントハイムをそうするってこと?」

「さあ、どうでしょう」

クリフトは大使の背中をじっと見つめた。

「……誓って、ご期待に背かぬよう尽力致します。

世界中の全ての神の名のもとに、ひとりの人間として」

「なあに、なんて言ったのよ?」

「なんでもありません」

クリフトはわたしを振り返ると、思わず吹き出した。

「これは……まるで炭を塗ったように、鼻の頭までとんでもなく真っ黒ですね。

伝説の煙突掃除、チムチムチェリーもかくやというような」

「鏡がないから、自分じゃわかんないわ。そういうお前だって酷いわよ、その汚れっぷり」

わたしは不服そうに唇を尖らせた。

黒い塗料が取れかけて、オレンジ色とまだらになってしまった飛竜は、役目を果たして満足げに傍でうずくまっている。

原因不明の嵐は、どうやらいつのまにか終焉を迎えたようだ。

広間に集まっていた各国の大使たちは、急ぎ国へ帰って事の顛末を報告しなければ、と皆足早に立ち去って行く。

壊れた天井。

お城は蓋の外れた大鍋のようにぽっかりと空洞を頂き、見上げた青い空から心地良い風が吹き込む。

わたしの傍らにいるのはクリフトと、導かれし仲間たち。

ついさっき、世界でいちばん幸せな言葉をくれた彼は、もう愛を誓い合った恋人らしい甘い雰囲気などちっとも漂わせず、なぜか厳粛な表情で立ち去って行く大使たちの後ろ姿にまなざしを注いでいた。


それが、彼が自覚した最初の瞬間だったという。


たったひとつの存在を守りたいと願うこと。


それは自分にとって同時に、すべての存在を守りたいと願うことなのだと。


もちろんそれも、もっとずっと後になって聞いたことだけれど。




「やれやれ……これで一件落着、ですな」

トルネコがほおっとため息をついた。

「慣れないことをすると疲れるものですね。

やはりわたしは、役者より商売が向いているようです」

「なんと。拙者はまだいくらも歌い足りぬが」

「わかったわよ、ライアン。あんたはこのままあたしたちと一緒にモンバーバラに来なさい!

座長に頼んで、好きなだけ歌わせてあげるから。「嗚呼いとしの恋女房」ジプシーバージョン」

「やれ、久方ぶりに体を動かしたせいで、腰が痛うてならん。

クリフトの馬鹿者に、あとで嫌というほど揉ませてやるわ」

「ぐおん、ぐおーん」

「ええ、あなたも綺麗に洗ってあげるわね、ドラン。

なかなかの名優ぶりだったわよ、「ドランDORAN」ならぬ、勇者の使い竜「ナロッドNAROD」。

演技が出来る竜なんて、あなたかキングギドラくらいのものだわ。

……それにしても、ものの見事に穴が開いてしまいましたわね、天井」

「国王の許可は出てたんだ、かまわねえさ」

勇者の少年が小さく笑って、手にしていた天空の剣を鞘に落とした。

「頭の上に貼りついた古い王家の歴史画なんて、ひと思いに全部、壊してしまってくれって。

カビの生えかけた建国史のステンドグラスじゃなくて、これから迎える新たな未来を描くために。

まっさらな未来に、まだ見ぬ希望を刻むために。


神の子供の神官と、炎の翼をもつおてんば姫の、どこまでも続く新しい物語を」


「あ、あの……」

わたしはすまなそうに目を伏せた。

「みんな、さっきは怒鳴ったりしてごめんなさい。

それと……みんなの気持ちはとっても嬉しいんだけど、わたし、やっぱり」

「ああ、結婚の話か。あれはなしだ。さすがに聖祖の神託に逆らうわけにはいかないからな。

それに俺も早く帰って、シンシアに平謝り……い、いや」

「拙者もだ。無念であるが、ここは黙って諦めようぞ。男は引き際が肝心ゆえ」

「わたしも、やっぱりネネひとりを大事に愛して行くことにしますよ。

一夫多妻制に憧れもしますけど……大奥を抱えるって、男の永遠の夢ですよねえ、いえいえ!いえ!」

「わしは……わしは、なんじゃ?なにか言ったかのう?

どうもこのところ、物忘れがひどくていかんわい」

「な……」

わたしは唖然とした。

皆が神妙な顔でぺこりと頭を下げて、右手を一斉にクリフトの方へ差し出した。

「そういうわけで、どうぞどうぞ」

「な、なによ、それ……!ここに来て「ダチョウ倶楽部」なの?!」

激しい怒りがこみ上げて、わたしはぎりぎりと歯を鳴らして叫んだ。

「どうやって傷つけずに断ろうかって、すごく悩んだのに!

最後までからかって、馬鹿にして……もう許せない!クリフト、お前も何とか云いなさい!」

「皆さん、ありがとうございます」

だがクリフトが深く頭を下げたので、わたしは驚いて口をつぐんだ。

「皆様のご深慮にも気付かず、ひとりおののいては子供のように慌てふためき、誠に無様な所をお見せしました。

もしもこの世に、神が形を持って現れるとするならば、それは貴方がたの持つ優しさであり、自分以外の誰かを想う真心でしょう。

ただ……わたしごときがどうやって、気高きそのお心に報いることが出来るのか」

「そう思うんなら、恐ろしく偉い王様になれ。本当の意味でな」

勇者の少年が両腕を組んで言った。

「世界中の奴らの目玉がひっくり返るくらい、立派な王様になってやれ。

俺たちはこの世に生きる者として、これからはお前が、剣でもなく魔法でもない力で戦うのをちゃんと見届ける。

クリフト、お前が教会にいようと玉座の上にいようと、俺達にはなにも変わらない。


お前は大切な仲間で……、


俺の、親友だ」


クリフトは目を見開いた。

「勇者さ……」

「じゃあ、俺は蛙」

少年は慌てて後ろを向いた。

「……じゃなかった、帰る。

クリフト、アリーナ、それ以外の連中もまたな。たまにはお前らも俺の村に顔を出しに来い。

もう夏が近い。俺の故郷はなんにもなかった土の上に、絨毯を敷いたみたいに色鮮やかなたくさんの花が咲いて、今とても綺麗だ。

ただしお前たちふたりはまず風呂に入って、その消し炭みたいな汚れを落とすのが先だな」

「その通り」

そのとき背後から重々しい声が響いて、わたしはびくりと身を震わせた。

「ふたりともそのありさまで、我らが次代のサントハイム国王夫妻なりと、各国大使の前に姿をさらしたのだからな。

もはや二千年の古きサントハイム王国も、いざとなればなんでもありだと宣言したようなものだ」

クリフトは青ざめてその場に平伏した。

「陛下!そ……それに」

「久し振りだな、クリフト。息災か」

「やあ、クリフトさん。また会いましたね!」

後ろに陽気な詩人のマローニを従えて、現れた国王アル・アリアス二十四世は、こちらを見ると莞爾と笑った。
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