あの日出会ったあの勇者



ひとり立ちするための大切な足がかり、ギルドはもう目の前だ。

なのにどうしてだろう、足がすくむ。

熱病のように噴出した母親への意地や怒りが、ここに来て急速にしぼんでいる自分の心に気づき、ライは拳を丸めてきゅっと唇を噛みしめた。

違う、俺は本気だ。もうあの家には戻らない。

必要とされていない、と感じるほど子供にとってつらいことはないのに、母さんはいい子にしていてね、という呪文を盾に、いつだって俺のことなんか見向きもしてくれなかったじゃないか。

俺はここにいるのに。ちゃんと、母さんのそばにいたのに!

「わたしは警備隊長のスティル・エヴァゲント。四半時で構わぬ、入室を許可されたい」

「手形をお出し下さい」

青銅の扉横に佇んでいる番人らしき男は、回廊を守護する騎士のように剣や槍を携えてはいなかったが、スティルの肩書きに特に心を動かされた様子もなく、機械的に繰り返した。

「入城の際に金門にて提示されました、手形をお出し下さい。確認させて頂ければ、お三方様とも只今すぐに入室出来ます」

「それが……、ないのだ」

「ない、と」

男は眉をひそめた。

「では、どのようにしてここまで来られたのでしょう。商工業ギルドは治外法権、交易平等の摂理に従い、入室者の身元管理を厳しく徹底しております。

たとえどのようなご身分の方であろうとも、各国王府発行の手形を持たぬ人間は入室することかないません。しかも、三人も」

男は訝しげにスティルとライ、緑の目の若者の顔を順に見比べ、おや、と目を瞠った。

「あなたは……、ずいぶん珍しい髪の色ですね。黒目に頬骨の高い琥珀肌の多いブランカ人種とは、顔かたちもまったく違う。どちらのお国のご出身ですか。

その容貌から察するに」

「旅の劇団員でも、吟遊詩人でもない」

ライに散々言われてもう慣れたのか、緑の目の若者は憮然とした顔ですばやく否定した。

「こいつはライアン・バッグウェル。12歳だ。わけあってギルドに仕事を探しに来た。

手形は持ってないが、俺は世界中すべての商工業ギルドへの出入りを許可されている。同伴者扱いで、こいつも特別に入室させてもらいたい」

「許可されているとは、一体誰にでしょうか。ここは王城にあって完全なる治外法権の場。国王陛下のお許しもおいそれと通じはしませんぞ」

「国王じゃない」

緑の目の若者は男に一歩近づき、小声で言った。

「こう言えばわかるか。俺は、トルネコの許可を得ている」

「トルネコ?」

男の声がふいに上ずった。

「ト……トルネコとは、伝説の豪商トルネコ?

あのエンドールとボンモールとの戦を未然に防ぎ、一代にしてこのブランカとボンモールとを繋ぐ巨大トンネルを開通させ、さらに導かれし者として世界を救った、今や全世界の商工業ギルドの長であられる商人トルネコ様の許可を得ていると、あなたはおっしゃるのですか?」

「ああ。そのトルネコだ」

「そ、その証拠はどこにあるのです。トルネコ様のお許しを得ているという証拠は」

「証拠はない。信じてくれと言うほかない」

緑の目の若者は肩をすくめ、早口で自分の名を名乗った。

「俺の名前を挙げて、後でいくらでも問い合わせてくれて構わない。なんならキメラの翼で本人に直接確かめに行ってもいいが、あいにく今は時間がないんだ」

「もしも貴方が、本当にトルネコ様の許可を得ているお客人であれば、わたしどもも心より丁重にお迎えしなければなりませんが」

男は迷っているようだった。

「かと言って、初対面のお方の言葉をたやすく信じ、手形を持たぬ人間にやすやすと入室を許すわけにも行きませんし……。そうだ」

男は妙案を閃いたように、にわかに緑の目の若者を凝視した。

「では、今から申しあげるご質問にお答え頂きましょう。貴方が本当にトルネコ様と懇意の方であれば、必ずや全てお答え出来るでしょうから。

それが可能でありましたら、特例としてすみやかに入室を許可致します」

「言ってみろ」

「稀代の戦う豪商、偉大なる商工業ギルドの長、トルネコ様が身につけておられる戦闘用の特技。

これを全てお答え下さい」

緑の目の若者はびっくりしたように瞳を見開いたが、すぐに余裕に満ちた笑みを浮かべて「わかった」と頷いた。

「あいつの、仲間を仰天させる奇天烈な特技を俺が知らないわけないだろ。どれだけ長い間一緒に戦ったと思ってる」

ライはぽかんとして緑の目の若者を見上げた。

若者は番人の男を真っすぐ見据えると、まるで丸暗記している呪文を詠唱するように、すらすらと淀みなく言葉を紡ぎ始めた。

「足ばらい、力をためる、ふしぎなおどり。おおごえ、つまづいて転ぶ、だじゃれ、子守唄。

ゆびをくるくる回す、砂をつかんで投げる、なだめる、ぼーっとする。

商人軍団を呼ぶ、宝箱をぬすむ、かばう、口をふさぐ。

以上だ。厳しい戦いのさなかの突然の「ぼーっとする」には本当に困らされた。緊張でこわばってた肩の力が抜けて、思わず笑っちまったけどな」

「おお、ご名答です!ひとつも余すことなく見事すべて正解。どうぞ、ご同伴者様共々ご入室下さい!」

男は満面の笑みを浮かべると、てきぱきと扉の掛け金を外し、床に膝まづいて緑の目の若者に慇懃な礼を施した。

「これよりギルド長トルネコ様のお客人、二名様ご入室!」

「二名?」

共に部屋に入ろうとしていたスティル警備隊長は、困惑して足を止めた。

「あのう、わ、わたしは?」

「悪りぃな。ここから先は俺とこいつで行く。お前は留守番だ」

「で、ですが」

「いや~、悪りぃな!」

ライは口真似をして大きな声で叫ぶと、緑の目の若者に見えないようにスティル隊長に向かってべっと舌を出した。

「こ、小僧……!」

「なにやってる。早く来い、ライアン」

「うん!」

ライはあわてて踵を返し、呆然とするスティル隊長を尻目に、重々しく開いた扉を駆け足でくぐり抜けた。

すると、小さな背中に手のひらがそっと添えられる。振り返って見上げると、美しい若者の緑色の瞳にたたえられた光が柔らかくなった。

「なにびくついてるんだ。ここまで来たんだろ、今さらおじけづいてどうする。

性根を据えろ。なにも取って食われるわけじゃない。行くぞ」

「うん」

ライはすうっと息を吸い込んだ。

この人が一緒にいてくれれば大丈夫だ。何も怖くない。

ブランカ王国の商工業ギルド本部に足を踏み入れたふたりに、室内にいた大勢の人間の視線が、矢を射るように一斉に注がれた。
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