初夜
―――Sideクリフト
「……わ、わたしは……」
もう自分を騙すのは止めだと、誓ったはずじゃなかったのか。
(アリーナ様が、好きです)
刻印のように心に穿たれた言葉はこんなにも短くて単純なのに、どうして口にするのが難しいのだろう。
喉が干上がって、視界がびりびりと震える。
皆が見ている。
彼女が見ている。
(お前の勇気を、わたしはずっと待っているから。クリフト)
彼女が待っている。
わたしの勇気を。
「……わ、わたしも」
わたしは情けないほど弱々しい声で、言葉を絞り出した。
「姫様のことが、ずっと、ずっと好……」
その時、周囲の音が消えた。
目の前の光景が、一瞬で霧に包まれたように失われたかと思うと、人々の悲鳴と金切り声が響いた。
違う。
消えたのではなく、崩れたのだ。
天井が落ちて来る。
ステンドグラスが激しい音を立てて砕けると、漆黒の巨大な飛竜が翼をはためかせ、広間にものすごい速度で飛び込んで来た。
「いいぞ!ドラ……じゃなくてナロッド!こっちだ!」
勇者の少年は両手で剣の柄を握り、大きく振りかざした。
まるで了解の合図のように、ぐおお、という咆哮が轟く。
飛竜は両翼を左右に真っ直ぐ伸ばすと、野生のノスリのように床すれすれの低空を駆け、まっしぐらにこちらに突っ込んだ。
「きゃ……クリフト!」
アリーナ姫を掬い上げるように口にくわえて、即座に上空へと旋回する。
「姫様!」
瞬間、頭が真っ白になった。
思考がぶつりと途絶え、全身の血が凍る。
わたしは考えるより先に走り出していた。
「待て!姫様をどうする気だ!」
「お待ちあれ!」
「待って下さい、クリフトさん!」
とっさにトルネコとライアンが、両手を広げて前に立ち塞がる。
わたしはかっとなって叫んだ。
「邪魔です!どいて下さい!」
「なにを言うか。邪魔なのはそなたのほうだ、クリフト殿!
拙者たちこそアリーナ姫の伴侶だと言っているではないか。伴侶なる者こそ、愛する王女を命に代えても守る資格を持つ。
だから今この時王女を助けに行くのは、なにひとつ心を言葉にしようとせぬそなたではない!」
ライアンは臆することなく、逆にわたしを鋭く見据えた。
「それともはっきり誓うのか?自分こそが神の子供だと。
アリーナ姫のことを、ここにいる誰よりも愛していると」
「こんな時に何を言っているのですか?貴方がたはどうかしている」
わたしは怒りに声を震わせた。
こうしている間にもアリーナ姫をくわえた飛竜は高く舞い上がり、割れたステンドグラスの合間から、城外へ飛び出そうとしている。
「姫様をお助けに参ります!どいて下さい!」
わたしは背中の鞘から聖杖を引き抜き、ライアンとトルネコを激しく睨んだ。
「どうしてもどかないのなら、いくら貴方がたでも」
「今だ!言え、クリフト!
世界中の皆の前で!」
勇者の少年が叫んだ。
「お前の勇気が未来を変える。
強い気持ちが歴史だって動かす。
胸を張って誇れる想いなら、腹の底から声を大にして叫べ!」
「わたしはアリーナ様を愛しています!」
わたしは叫んだ。
「神の子供でも、たとえ悪魔の子だっていい。
あの方をお守りするためなら、わたしはなんにだってなる!
だから……そこを、どいて下さい!」
眼前の人影が左右に割れると、わたしは猛然と走った。
飛竜の所までなんとか跳躍したいが、この距離では到底無理だ。
広間を抜け、階段を脱兎のごとく駆け昇り、最上階のアリーナ姫の部屋の前にたどり着く。
幸い夜会の警護に回ったのか、衛兵は誰ひとりいない。
わたしは一瞬考えて、彼女の部屋の扉を押し開けた。
なによりも早く城の上に昇る方法。
それは同時になによりも早く、この城を飛び出す方法でもある。
もう二度と姫様に小言は言えないが、この際背に腹は代えられない。
(申しわけありません!ご無礼をお許し下さい!)
わたしは歯を食いしばると、法衣をからげて足を高々と振り上げ、渾身の力を込めて姫様の部屋の壁を蹴破った。