初夜
―――Sideアリーナ
まるで竜巻が起きて、思考回路の全てが荒ぶる大渦に藻屑のように飲み込まれていくみたいだ。
こちらを見つめるクリフトの、心配げな蒼い瞳。
あんなに会いたかったのに、邪魔ばかり入ってどうしても傍に行けない。
事態をまったく飲み込めない様子で、でも驚くほど真剣にこの様子を見守っている、世界各国から集まった大使たち。
いつのまにか周囲を囲んでいる、かつて共に戦った仲間。
懐かしい再会を喜ぶ前に、皆の顔に一様に浮かんだ表情が、なぜかわたしを苛立たせた。
この状況はもちろん、王女を妻にもらうだのなんだの、口にしている内容もとことんおかしいけれど、皆の目の光がどうにもうさん臭いのだ。
上手く表現できないけれど、揃ってみんな、貼り付けられた御面みたいな顔をしている。
たったひとり生の感情をさらして、心から驚き言葉を失っているのは、目を見開いて立ち尽くすクリフトだけだった。
「神の子供など、言った者勝ちではないか。その気になれば誰であろうと名乗ることが出来る。
拙者、遠きバドランドよりこうして馳せ参じたのは、戦いにて時に我れ以上の武勇を発揮した、最強の鋼の王女を妻に貰い受けるため」
ライアンは目を閉じ、大きく腕を広げてその場に膝をついた。
「さ~あ~~、姫よ~~!!
いざ、我、が、手、に~~!」
「ば、馬鹿!これはオペラとは違うってあれほど言ったじゃないの!
誰か、ライアンを黙らせなさい!」
マーニャが舌打ちすると、ミネアが緋色のベールをさっと外し、ライアンの頭からすっぽりと被せてしまった。
「も、もが、もが!お、お待ちあれ!
まだ、今日のために練習を重ねたとっておきの歌、「嗚呼いとしの恋女房」が……!」
「姫、わしの妻になってくれぬか」
ブライが大儀そうに歩みを進め、わたしの前で杖をついて片手を差し出した。
「レッツ、ゲット、メアリーィ」
「な、何言ってるの、ブライ?お前、まさかとうとう……!」
「とうとう、とはなんじゃ!わしゃまだボケとりゃせんわい!」
ブライは怒って杖先で床を叩いた。
「それともなにか、姫よ。わしがおぬしの婿ではなんぞ不都合でもあるのか!
わしが姫の伴侶となった暁には、朝から晩まで徹底的に勉学!勉学!
一に勉学、二に勉学!三、四がなくて、五に勉学じゃ!」
わたしは真っ青になった。
「い、嫌っ!絶対に嫌よ!っていうかお前、いったいどうしちゃったの?
お前は確か若い頃、愛する女性に先立たれて、それ以来不婚の誓いを立てたって」
「そうじゃ!むう、よく知っておるのう。
だからわしには、ひとりの子も孫もない。血を分けた家族兄弟ももはやこの世におらぬ。
それゆえ、国王陛下を失礼ながら我が息子とも思い、その愛娘であるアリーナ姫、そして幼少より目を掛けて来たクリフト、このふたりを実の孫とも思って来た。
ぬしらの幸せのため、そしてサントハイムの恒久の安寧のためならと、わしゃこの滑稽な芝居を引き受けたんじゃ」
「芝居?」
「むっ、むう、芝居。しばい……し、しばいたろか!じゃ。
おぬしら、幸せにならんとこの杖でしばいてやるわ!」
目が点になったわたしの向かい側で、クリフトがにわかに瞳を潤ませた。
「よく意味がわかりませんが……ブライ様がわたしのことを、そのように思っていて下さったとは。
このクリフト、感無量で言葉もありません」
「と、とにかく、そういうわけでわしと結婚するのじゃ、アリーナ姫」
「だからなんでそうなるのよ!爺の馬鹿!
みんなも……みんなも、揃ってわたしのことをからかってるのね!そうなのね!」
混乱のスイッチが、ついに怒りへと切り替わった。
わたしは眉を吊り上げると、ありったけの声で叫んだ。
「いい加減にして。黙って聞いていれば貰うだのなんだの……わたしは買い物のおまけについて来る、便利な福引券じゃないのよ!
誰にも貰われるつもりはないし、あんたたちの誰ひとりとして、結婚するつもりなんかないわ!」
目の端にクリフトが映ると、はっとしてあわてて訂正する。
「つ、つまり……ヒゲトリオとひねくれ者の勇者、この四人を、わたしは男の人として好きなんかじゃないってことよ!」
「それじゃ困るんじゃ、アリーナ姫」
「アリーナさん、わたしこそが王女の運命の相手たる神の子供ですよ。
商売人にとって、お客様はみんな神様ですからね」
「無念、歌はカットなのか……ならばもう一度、こう言おう!
姫~よ~、いざ~~、我、が、手、に~~!」
「ああ、面倒くせえんだよ!」
勇者の少年はクリフトをぎろっと睨んだ。
「いい加減はっきりしろ!お前たち、一体どれだけ手間を掛けさせれば気が済むんだ?
クリフト!」
「は、はいっ」
困惑するクリフトに、少年は冷たく言い放った。
「国王は病気だ。突然の病に倒れて苦しんでいる。だがそれは、神に与えられた裁きの痛みだ」
「裁き……?」
「ああ。予知の力を持ちながら神託に逆らって俺を婚約者候補に加えたせいで、聖祖の怒りにふれてしまった。
つまり、正しき者が我れこそ王女の伴侶だと名乗り出れば、サントハイム王にかけられた呪いは解ける。
急いでくれないか、俺は連れを待たせてるんだ。じつはさっきからのこの揺れはそいつが原因さ。
気短な奴でな、長いこと待たされて、もうかなり苛立ってる」
少年が天空の剣を振り上げ、頭上を指し示す。
わたしは視線をやって、唖然とした。
「なにあれ?!」
サントハイム城が誇る大理石の天井に嵌め込んだ、建国正史を描いたステンドグラス。
その上に巨大な岩のような塊が覆いかぶさっている。
塊の左右を三角帆のようにはためくのは、翼だ。
(翼の生えた巨大な生き物が、お城に乗っている!)
真っ黒なその塊は、視線に気付いたらしく太い首をもたげてこちらを見下ろすと、鉤爪のついた両足を順番に上げ、リズムを取るように何度も天井を踏んだ。
その途端、再び城に凄まじい地鳴りが走った。
「姫よ、さあ選べ!
いかにお転婆とはいえ、まごうことなきサントハイム王家の末裔、未来を読む力は多少なりとも有しているであろう!」
激しい揺れに、ブライが顔を歪めながら怒鳴った。
「誰がおぬしの伴侶たる、運命の相手なのか!
誰がこの国に新たな幸をもたらす神の子供なのか!
そして誰が、自分の本当に愛する者なのか?」
「そ、それは……」
だが言葉に詰まったのは、ほんの一瞬のことだった。
わたしは振り返って、見た。
彼のことを。
すると彼もわたしを見た。
蒼い目。
「わたしが好きなのは……」
「待って、アリーナさん」
優しく遮って微笑んだのは、隣にいたミネアだった。
「こういうことは、男の人のほうから告げてもらうべきじゃないかしら?
あなたは風に愛された娘で、いつも誰よりも速く駆けて行ってしまうけれど、たまには足を止めて大切な人を待ってみるのも、素敵な幸せを運ぶかもしれないわよ」
「ミネア……」
「王女の結婚相手はわたしだ!」
仲間たちが叫んで、次々にわたしに手を差し伸べた。
「アリーナさん、結婚して下さい!王家の方ほどではありませんが、商売で儲かってるからお金なら結構持っています!」
「いや、拙者だ!戦士として生涯、御身の命懸けの武闘訓練の相手になるもやぶさかでない。
姫、この手を取りたまえ!」
「わしじゃ!わしの妻になるんじゃ。年寄りには年寄りの魅力がある。ロマンスグレーは蜜の味と言うじゃろう!」
「これも役目だから仕方ねえ。まだ一応言っとくが、俺と結婚しろ。アリーナ」
…………で?
まるで皆が次の台詞を待つように揃ってくるりと一斉に振り返り、クリフトを見た。
「……わ、わたしは……。
……わたしは、姫様を」
クリフトの眉間に苦しげな皺が入り、彼はぎゅっと唇を噛んで、もう一度わたしを見た。