初夜



―――Sideアリーナ





突然の地鳴りに、広間に集まった世界各国の王侯貴族たちは、悲鳴を上げて蟻のように右往左往していた。

柱廊は激流に揉まれる硝子瓶のように上下し、華やかに飾られたテーブルや椅子はすべて倒れ、大理石の壁に稲光が切り裂いたような亀裂が走る。

堅固を謳うサントハイム城のことだ、たとえ地割れが起きようともただちに倒壊するとは考えにくかったが、このまま激しい揺れが続けば、やがていつかは崩れてしまうだろう。

傍らを走る勇者の少年は舌打ちした。

「やり過ぎだ。限度ってものを知らねえのか、あの馬鹿野郎……!」

「なに?なんて言ったの?」

「なんでもない。アリーナ、お前はここにいろ!」

少年はわたしを制し、広間の中央へ向かって猛然と駆けた。

大海原や炎渦巻く洞窟、未曾有の冒険を乗り越えて来た彼にとって、どうやらこの程度の地鳴りはどうということもないらしい。

激しい揺れをものともせず身軽に跳躍すると、なぜか天井を気にしては足元を確かめ、右手に掴んだ天空の剣を高々と掲げて、突然叫んだ。

「皆、落ちついて聞け!

我は天空の子と大地の子の血を受け、さだめによりかつてこの世界を救った勇者!

こたび、導かれし者として共に戦ったサントハイムのアリーナ王女を、我が妻に迎えたく参上した!」

わたしは愕然として勇者の少年を見た。

「なっ……なに言ってるの!?」

「俺はあいつと結婚したい。

俺の持つ天空の勇者の血と、世界に名だたる武術家であり、また予知能力を有する聖サントハイム王家息女の血がひとつになれば、

なれば……な、なれば………」

勇者の少年は言葉に詰まり、焦って懐に目を落とした。

すると、そこからひょこっと緑色の小さな蛙が顔を出した。

「かの伝説の勇者ロトは言うに及ばず、世に類まれなる英雄の血統が誕生するだろう、ケロ」

「そ、そうだ。それだ!誕生するだろう!」

少年はごまかすように叫び、空中で大きく剣を振った。

すると不思議なことに、あれほどすさまじかった地割れがぴたりと止んだ。

「王女を妻に迎えたいとの望みを告げると、国王アル・アリアス二十四世は俺にこう言った。

そのような国の存亡にかかわる大事、我が一存で決められることではない、と。

聖サントハイム一族は、二千年の昔から万世一系を貫く王国開闢祖の子孫であり、本来ならば直系のアリーナが女王として即位し、その夫は大公として彼女を補佐する地位につくのが、習わしであると。

だがアリーナ王女はあの通りの気性だ。玉座に大人しく座り、国政に心血を注ぐたおやかな女君となり得るか否か、サントハイムの民なら三歳の子供でもわかることだろう。

だから俺は結婚後、彼女から王位を譲り受け、国王として即位するつもりだ!」

(なんですって?!)

わたしは絶句した。

広間に集った世界各国の大使たちは、呆気に取られて少年を見つめていたが、やがて色めき立って言葉を交わし始めた。

「世界を救った天空の勇者様と、アリーナ殿下がご結婚……?」

「陛下が皆に発表したかったこととは、そのことなのでしょうか?」

「ではついに、世界中が動向を見守っていたサントハイムの一粒種アリーナ王女殿下も、ここに来て身を固められるということに」

「わたしはてっきり、ボンモール王家と政略結婚……いえ、更なる友誼のため、亡き王妃に倣い二代続いて姻戚を結ぶのかと」

「ですがこれほどの大国の姫君が、いずこの国にも属さない天空の勇者様を婿とするなど、なんという肩透かし。

失礼ながら王女の結婚ほど、外交で利用できるものはないでしょうに」

「国王は娘を政治の道具にすることを望んでいない」

勇者の少年は美しいまなざしを伏せ、左胸に片手を添えわざとらしく抑揚をつけて言った。

「この世でいちばん大事なものはなんだ?

決まってるさ。愛だろ、愛。

愛はすべてに打ち勝つ。

愛はすべての恩讐、すべてのしがらみを越える。

身分なんて関係ない。愛し合う者同士が結ばれるべきだ。それが真実の結婚だ。

そして、その真理に聡明なるサントハイム王家はどこよりも早く気付いた。

皆、応援してくれるか。愛する者と婚姻を交わしたいという、俺の心からの願いを。

お前らならきっと解ってくれるよな、俺の可愛い子猫たち」

少年は顎を上げ、右斜め45度から色っぽい流し目をくれた。

「いやーん、美しー!」

貴族たちの目が揃ってハートマークになった。

「なんて美麗なのでしょう!あの流し目、伝説の名優サオトメタイチもかくやというような」

「あんな美形に悪い人はいません!皆、ここは勇者さまのおっしゃる通りに従いましょう」

「そもそも彼がいなければ、今頃この世界は、魔族に乗っ取られていたのかもしれないのだし」

「勇者様、ばんざーい!よっ、この色男!」

「おいおい、写真は止めてくれ。

ジャ○ーズは肖像権の管理が厳しくてな、事務所を通してじゃないと……」

「ちょっと!調子に乗りすぎケロ!」

蛙が怒って肩先で跳びはねると、勇者の少年ははっと我に返った。

「わ、悪い。意外と面白くて、ついやり過ぎた」

「まったく……あなたはこれまで遊びを知らなかったから、一度楽しさを知ると癖になってしまうタイプケロ」

「そうかもな。こうして皆で遊ぶのも、なかなか悪くない。

でもこれはただの遊びじゃなくて、この国をかけての大博打だ!」

勇者の少年は顔を上げて上空を睨み、手にした天空の剣を大きく振った。

するとどこからかかすかに獣の咆哮のような音が響き、突如として再び激しい地鳴りが湧き起こり、地面を荒々しく揺さぶり始めた。

「きゃあああ!」

「助けてくれ!また地揺れが始まった!」

悲鳴と怒号、蜘蛛の子を散らすように逃げ回る人々。

「……」

わたしはその場を一歩も動くことが出来なかった。

(一体、これは)

混乱しすぎて、状況にまったく理解力が付いて行かないのだ。

その時どこからやって来たのか、わたしの傍らに、緋色の長いベールをかぶった人影が立った。

「いけませんわ!天空の勇者よ。

既に大地の妖精エルフと契りを交わしたあなたが王女と婚姻なさることは、聖サントハイムの神託に反しておられます!

聞きなさい、この怒りの地鳴りを!国王の体を蝕む聖祖の憤怒のいかづちを。

タロットにも出ています。神は王女の運命のお相手を、もうお決めになられている!」

わたしは唖然として口を開けた。

「ミ……ミネア?!」

「諦めなさい!王女の運命の相手は貴方ではないわ」

夕日のように赤いベールの下から、凛とした顔を少年に向け、手にした銀色のタロットを掲げたのは、かつて旅を共にし、優れた霊能力で数々の奇跡をわたしたちに見せてくれた占い師ミネアだった。

「ミネアか。嫌だね。この国の王になるのは俺だ!」

「違います!あなたは神託によって選ばれた者ではありません。聖サントハイムはこう告げています。

炎の翼を持つ王女アリーナは、立ち向かう剣。

その伴侶となる者は、それを受け止める癒しの杯。

ホーリー・グレイル……福音をもたらせし聖杯なる神の子供が、もうすでにこの国には誕生しているはずだ、と」

「神の子供?」

各国の大使たちは顔を見合わせた。

「……聞いたことがありますね、その名」

「世界を救った導かれし者たちのサーガで何度も登場した、サントハイム出身の生と死の呪文の使い手」

「でもあれはたしか王族でもなんでもない、一介の取るに足らない身分卑しき従者では……」

「ミ、ミネア、あの」

「神はぁぁぁーーーっ、こうおっしゃっています!!」

声を掛けようとすると、日ごろ絶対に出さない大音声でミネアが絶叫したので、わたしは度肝を抜かれて硬直した。

「この世界を救ったのは、なにか?

傷つけ、貫き、痛みを与える武器か。それとも大地を焼き、氷の刃を閃かせ、雷鳴を唸らせる魔法か。

否、そのどれでもない。

信じあい、支え合い、共に立ち上がる勇気と希望を携えた無償の愛の力こそ世界を救うのだと!

それを王女に与え続けて来た聖杯なる存在が、もうすぐそこまで来ていると!」

その時、ずてんとなにかが引っかかって転ぶ音が、後ろから響いた。

「い……いてて……」

わたしははっとした。

「……急に裾の長い服に着替えたから、なんだか上手く歩けないな。

しかもこの揺れ……姫様はいったいどちらに?」

思い切り打ちつけて、無残に赤く腫れてしまった顎。

情けなさそうな表情、しばたたかれる蒼い瞳。

さらさらした髪の下でひそめた眉も、持て余すように不器用に折り曲げた長い足も、やっぱり良く似ている。

でも、今度は間違いない。

彼は顔を上げて辺りを見回し、視線がわたしを捉えると、みるみる海色の瞳が鮮やかな光を取り戻した。


「アリーナ様!」


「クリフト!」


今度こそ間違いない、彼の声だ。



本物の彼だ!





「アリーナさ……!」

「……あれが、神の子供?」

「あの者がアリーナ姫の運命の伴侶?」

「あの者が聖サントハイムに認められし者?」

「あの者が剣であるアリーナ姫と対になる聖杯?」


「ではあの者が、次代のサントハイム国王?」


弾かれたように駆け寄って来ようとした瞬間、世界じゅうの大使の視線が一点に自分に注がれていることに気づいて、

「……え?」

クリフトはぎこちなく辺りを見回し、引きつった笑顔を浮かべて、わずかに後ずさった。
27/38ページ
スキ