あの日出会ったあの勇者



「開門!」


警備兵が叫ぶと、巨大な門の鋼鉄の掛け金が外され、ぎいい、と音を立てて左右に開け放たれた。

足を踏み入れたとたん、薔薇の花弁を切り取ったかのような深紅の天鵞絨(びろうど)の絨毯が、床に敷き詰められているのが目に入る。

ライは初めて見る本物の王城の威容に、呆然と見とれた。

絨毯の両脇から覗く床も、一面抜けるように磨き立てられた大理石。

ブランカ城は辺境立地で、外観も造りもこじんまりとしており、世界一の都エンドールのように熟練された宮廷専属の建築職人がいないせいか、他国と比べどうしても野卑の印象を拭えない。

だが、やはり国王の居城である宮殿は宮殿。城内の装飾は豪奢で手が込んでおり、西の砂漠までを領図とするブランカ王家の所有する潤沢な資金が十分にかけられていることを感じさせた。

(壁から、孔雀や豹の彫刻が突き出してる。吊るした燭台は白金製だし、カーテンときたら全部繻子だ。

それにあちこちに、鋼打ちの鎧づくめの警護の騎士が立ってる……!)

目に映るもの全てが仰天の連続で、ライは街の宿屋の浴場のように、声をあげて「すごいや!」と叫びたかったが、隣を歩く緑の目をした若者はまったく興味がないらしく、城の内装に少しも目を向けようとしない。

まっすぐ背を伸ばし、顎をやや上に向けて前方を睥睨しながら堂々と歩む様子は、むしろ彼こそがこの城を統べる正当な王のようだ。

いかに魔法が使え、剣の腕が立つとはいえ、王侯貴族でもなんでもない一介の木彫り職人が、どうしてこんなに偉そうな態度が取れるのか理解に苦しむが、おそらくそれが彼の生まれ持った性分というものなのだろう。

どこにいても、誰に対しても変わらない。

自分は自分。媚びることを一切しない。

(そうだ、むやみに足を止めるな。きょろきょろしないでまっすぐ歩けって言ってたよな)

目の前を横切るたび鋭い視線を送って来る王城警護の兵士たちは、さきほどの城門でのように、何者だとライたちを誰何して来ることはない。

警備隊長のスティルが同行していること、また正面城門をくぐって入城出来ること自体が、怪しい身分の者ではないというあかしだと納得しているのだ。

だがもしもここで叫んだり転んだり、みっともない粗相をしでかそうものなら、即座に腰の鞘におさめられた剣は抜かれ、「禁中にて不心得な!」と取り押さえられるのかもしれない。

王城とは、そうした雰囲気を持っている。下街には決してない、選ばれた身分の者だけを受け入れる厳粛で閉塞感に満ちた空気。

それを知っている緑の目の若者は、さぞや世界中の数あまたの王城を訪れたことがあるのだろう。……やっぱり、正体が知れない。

「まずは陛下にお目通りなさいますか、勇者さ……、いえ、旅のお方」

「それはいい。国王にとくに用はない」

緑の目の若者のにべもない返答に、スティル警備隊長は戸惑ったようだった。

「しかし、ここはこのブランカ国領の唯一無二の君主おわします王城です。やはり形ばかりでも、国王陛下とのご引見は済ませておいたほうがいいかと。

貴方様の突然のご訪問、陛下も心よりお喜びになりましょう」

「必要ない」

「ですが、しかし」

「お前、さっき俺に有象無象のいらぬ興味を引くのは、貴方様のご本意ではないと心得ます、とか言ったよな。あれはその場の適当な思いつきか」

すかさず切り返されて、スティルは目を白黒させた。

「い、いえ、それは」

「だったらお前の思う、俺の本意とやらを汲んでくれ」

「ですが、国王陛下は有象無象などではな……」

「俺にとっては誰でも同じだ。会うべき人間と会わなくてもいい人間がいる、それだけだ。王に会う必要がある時は、ちゃんと礼を尽くして手順を踏むさ。でも今日は違う。

こいつのために今すぐギルドに行きたい。それ以外のことには関わる理由がない」

事務的な口調で言って、緑の目の若者はライの頭にぽんと手を置いた。

スティルは唖然と若者を見つめたが、やがて深いため息をついた。

「……了解致しました」

「わかってもらえて有り難いな」

「権力におもねらない凛々しいそのお姿勢、敬服致します。たしかにひとたび国王陛下にお目通りなされば、王城へのご逗留を強く勧められることでしょう。相応の身分を与えるゆえ騎士として仕えよ、という話も出るやもしれません。

この世界を見事救った貴方を家臣として迎える以上の名誉は、他のどこを探してもありませんでしょうから」

「俺は誰にも仕えない」

緑の目の若者は唇の片方を持ち上げた。

「悪いが、そういうのは向いてないんだ。山育ちの田舎者で、木々や草花の中じゃないと生きていけない。

石の壁に囲まれた窮屈な城で暮らすのは、息苦しくてかなわない」

「山育ち……。貴方様は只今現在、どこでお暮らしなのですか」

「どこでもいいだろ」

「偉大なる英雄のお住まい、わたしもぜひ一度なりとご訪問させて頂きたいものです。さぞや、貴方様に比肩する優れた仁者のつどう集落なのでしょう」

「来たって誰もいない。木と草、花と川以外なにひとつないんだ。

でも、いいところだ。俺には」

緑の目の若者は生まれ育った故郷を脳裏に思い浮かべたのか、美麗な瞳を細めさせて笑った。

花がこぼれるような、思いがけぬ笑顔にスティル警備隊長はぼうっと見とれ、はっとして「し、失礼致しました」とあわてて背筋を伸ばした。

「この回廊右奥の扉が、商工業ギルドの本部です。こちらの室内のみ王府の治外法権、また王家の警備管轄外となっております。

中に入れば、わたしも警備隊長の任に準ずる必要はなくなります。つまり、ここに来る誰しもが現在の職にとらわれず自由に仕事を探せ、選べるということ」

「だとさ。聞いてるのか。ライアン」

「き、聞いてるよ」

いい加減な冗談を飛ばしていたさっきまでとは打って変わって、調子外れな頼りない声が喉の奥から絞り出される。

ライはごくんと唾を飲み込んだ。

そこだけ違う空気を封じ込めているような、他とは違う重々しい青銅の扉。精巧な噛み合わせの蝶つがいには商売の神、羊飼いの象徴とも言われる古代神ヘルメスの彫刻が彫り込まれている。

ギルドは目の前だ。

この中に入って、仕事を探して、そして俺はひとり立ちして生きて行くんだ。
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