初夜



―――Sideアリーナ





青天の霹靂のようなマローニとの出会いから、話は少しさかのぼる。

突然の勇者の少年(と蛙一匹)の出現に驚く間もなく、そこからは怒濤の展開だった。

「アリーナ様、勇者様、失礼致します」

扉が叩かれると、恭しく頭を下げてカーラが入って来た。

「久方振りの再会にご歓談のところ、大変申し訳ございません」

「か、歓談なんかしてないけど……」

わたしを追って城を出たカーラも、事態を理解出来ずすっかり困惑していたが、不用意な疑問を口にするよりもまず職務をこなさなければと思い直したようだった。

「ブライ様より命ぜられまして、今すぐお二方様のお召し物を換えよと。

勇者様はここを出られまして広間横の一室に、衣装のご用意と介助の小姓がおりますゆえそちらで。アリーナ様はこちらにてお着替え頂きます」

「ああ、了解した」

勇者の少年は肩先の蛙をそっと手に包むと、慎重に懐にしまいこんだ。

「じゃあな、せいぜい召かしこめよ。暴れ馬の婚約者殿」

何の疑問も口にせずさっさと出ていく後ろ姿に、わたしはただ呆然とするしかなかった。

(なんなの?あの堂々たる図々しさ……あいつなんだか性格変わった?)

「……はっきり申しあげまして、嫌な予感が致しますわ」

勇者の少年が出て行ったのを見届けてから、カーラはひどく不安げに言った。

「アリーナ様、おかしいとお思いになりませんか。

今からお二人様がお着替えなさる理由は、今宵これから広間にて、陛下主催の夜会が開かれるからです。

もう国中の貴族、また他国の大使様方も到着し、既に城の賓客用塔はお客人で埋め尽くされていると」

「聞いてないわよ、そんなのひとことも」

わたしは首を振った。

「夜会は出席する代わりに、必ずひと月前までに教えて下さること。それがわたしとお父様との間の昔からの約束だったわ」

城で開かれる夜会で、父の顔を潰さぬため「国王主催」と冠するものだけは渋々出席していたが、似合わないドレスや酒臭い追従への覚悟を決めておくため、必ず前以って教えてくれるよう頼んでいたのだった。

「わたくしも理由がよく解らないのです」

カーラは腑に落ちない顔をした。

「まがりなりにも侍従長のわたくしが、催しを事前に知らされぬなど有り得ないのですが、なにぶん今回は宴の全てをブライ様が取り仕切られているらしく……」

「ブライが夜会を?まさか」

わたしは叫んだ。

「絶対ないわ、そんなこと!開始時刻より前にベッドに潜り込んでるわよ、早寝のあの爺様は」

そもそも騒がしい宴嫌いのブライが、苦手な夜会に自分から関わるということ自体おかしい。

「それじゃとにかく、今日起こってることは何もかも胡散臭いってことなのね」

いつものようにクリフトとふたり、オカリナを弾こうとして始まった日。

教会に詰めかける女たちの嬌声と、マローニが吟じていたという歌。

一度は装備した鉄の爪、花婿候補として突然現れた勇者の少年、そして……オカリナをぶつけたきりのクリフト。

そうだ、どうして気付かなかったんだろう?

わたしはクリフトになにも聞いていない。

なにかを不安に思ったとき、進むべき道に迷ったとき、いつもわたしを正しく導いてくれたのは誠実な彼の言葉だったのに。

「待って、カーラ」

わたしは衣服に手を掛けようとしたカーラを制した。

「着替えるのはまだ止めておくわ。裾を踏みつけるドレスじゃ行きたい場所へも行けないもの。

わたし、クリフトに会いに教会へ行く」

「ええ」

カーラは予測していたように頷いた。

「聖職者様に果たしてどれほどご助力いただけるかは解りませんが、俯瞰した賢言を得るには、むしろそれが良いのかもしれません」

「行って来るわ!」

わたしは脱兎のごとく部屋を出た。

クリフトに会いたい。

今、何よりもクリフトに会いたい。

突然暴力を振るって去ったわたしのことを、彼は一体どんなふうに思ってるんだろう?

(怒ってるに決まってるわよね。もしかしたら神様に、もう二度と姫様とは会いませんなんて誓ってるかもしれない)

(そんなこと……そんなこと、許さないんだから!)

まず心から謝って、それからこれまで起きた全てを打ち明けて、いつもの優しい声で「では姫様、こう致しましょう」と、彼自身の豊かな知恵を授けてもらいたい。

着々と宴の準備が施される広間を突っ切り、城門へ向かおうとしたその時、

「ケロッ、ケロケロ」

「シ、シンシアさん?」

廊下の真ん中に陣取った蛙が、あわてたように飛び跳ねて行く手を塞いだ。

「なあに?なにか言いたいことがあるの、わたしに」

すると蛙はぜんまい仕掛けの玩具のように、ぱかっと口を開いた。

「アリーナさん、まだ行っちゃダメケロ!

このままじゃ段取りが間に合わない。会っちゃうよ……ケロフトとケローニに」

わたしは目を丸くした。

「あなた、蛙の姿でも喋れるの?」

蛙はギクリと身を縮めると「ケ、ケロロ?」と急に蛙っぽく鳴き声を震わせた。

「待って、今のはどういうこと?わたしが誰に会うって……」

「なんだお前、まだ着替えてないのか」

不意に呆れた声がして、真横の扉がばたんと開く。

出て来た姿が優雅に屈み込み、ぴょんぴょんと跳ね寄って来た蛙を掬い上げた。

貴族の正装に身を包み、額には天空の兜と呼ばれるサークレットを嵌め、剣まで佩いた勇者の少年だった。

「よし、いい子だ。可愛いぞ」

小さな水掻きに唇をあてられると、蛙は「ケロロ~ン」とうっとりし、勇者の少年の懐にさっと潜り込んだ。

「さあ、行くとするか。夜会なんて初めてだ。

シンシア、珍しい美味い物をたくさん食わせてやるからな。楽しみにしてろ」

「ちょっと待って。わたしは今からクリフトの所へ」

「行ってどうするんだ?」

勇者の少年はわたしを冷ややかな目で眺めた。

「お前は王女だろ。城の中の出来事を、外で生きる者にいちいち相談してどうする。

お前、そうやってこれからも何かある度に、城を抜け出してはクリフトに頼りに行くのか。

あいつの想いを踏みにじり、優しさだけを都合良く利用して生きて行くつもりか」

「利用?」

わたしは言葉を失った。

「わ、わたし……そんなつもりじゃ」

「あいつがお前を好きなのは知ってるだろう」

勇者の少年は感情の浮かばない淡々とした声で言った。

「あいつの想いにまともに応える気がないなら、いつまでもあいつの周りを思わせぶりにうろつくのは止めることだ。

あいつがお前に惚れたのは、九歳だ。もう十五年以上も身分違いの叶わぬ恋に苦しみ続けている。

お前も子供じゃない。始終べったりのお守り役から、そろそろあいつを解放してやったらどうだ」

頭を強く殴られたような気がして、わたしは黙った。


利用?


(アリーナ様、貴女のせいでわたしは自分を全く省みることが出来なかった)


解放?


(これからはふたり、別々の道を歩んで参りましょう)


(……さよなら、アリーナ様)


わたし、もしかしてずっと、クリフトの人生の邪魔になっていたの?




「王女殿下に置かせられましては、本日もご機嫌麗しゅう」

そのとき声が掛けられて、わたしははっと我に返った。

「あら……マローニ」

あれほど探した吟遊詩人のマローニが、にこやかに笑ってこちらに膝をついている。

傍らには極彩色の服を着た恐ろしく派手な男が、深々と頭を床につけて平伏していた。

「……わたし、お前を探していたのに。今頃現れてももう」

「お、詩人か。たまには歌も悪くないな」

勇者の少年が面白そうに歩を進めた。

「せっかくだ、ここで一曲歌ってもらおうぜ。

おい、お前。顔を上げろ」

派手な服を着た男が平伏したまま、驚いたようにびくりと身を震わせた。

「も、申しわけございませんが」

マローニが焦ったように言った。

「あいにくまだ、楽器の調律が済んでおりません。それにこの楽師は国王陛下のおわします夜会での演奏は初めてで、ひどく緊張しているのです」

「ふん」

勇者の少年はつまらなそうに肩をすくめると、ふと目を輝かせた。

「じゃあせめて、名前を教えてもらうくらいはいいだろ。

楽師、お前の腕に期待しているぞ。名は何というんだ?」

だが声を掛けられた派手衣装の男は、平伏したまま微動だにしなかった。

こちらが戸惑うほど長い沈黙の後、まるで鼻をつまんで出したような、奇妙にくぐもった声が答える。

「……ボ、ボ……、ボロンゴです」

「ふーん、楽師のボロンゴか。よろしくな」

勇者の少年はなぜか必死で笑いをこらえるように、俯いて手で顔を覆ってくっくっと肩を揺らした。
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