初夜
―――Sideクリフト
もし人間をいくつかの種類に分けるならば、間違いなくわたしと吟遊詩人マローニは違う範疇に属するだろう。
わたしは石橋を叩いて渡り、時に叩き過ぎて割ってしまう性質。
そしてマローニは、橋が石で出来ていると気付く前にスキップで渡ってしまう性質だ。
どちらが正しいのかは解らないけれど、結果だけを考えれば、当然橋を渡り切れる方が優れているに決まっている。
でも神は、果たして応と頷くのだろうか?
行動の価値は結果だけが決めるのだと。
あの方のことが好きなら、そのためには何をしてもいいのだと。
「マローニさん、こ、これは一体……」
鏡の前に立ったわたしは、そこに映る自分の姿を見て唖然とした。
「うーん、いいじゃないですか。とてもよく似合いますよ!」
マローニは楽しげに声を弾ませた。
「さすが神の子供。サントハイムいちばんの色男!おっと、わたしの次にだから二番目の色男ですね。
今お召しになっているそれは、吟遊詩人と共に竪琴を弾く楽師の衣装です。
いや、見違えますね。日頃の四角四面の生真面目ぶりが嘘のようだ。
ともすれば下品になりがちな派手衣装も、あなたのように様子が良いと、そんなにも凛と着こなしてしまう。
まるで今まさに愛しい人のもとへ飛び立とうとする、七色のクジャクのようですよ!」
「……」
言葉がうまく出て来ず、喉の奥で奇妙な音が鳴った。
鏡の向こうから、口を開けてこちらを見ている自分。
胸元の開いた赤びろうどのチュニカに、腰に巻いた虹色の大きなレースのサッシュ。
光沢のある生地には、紫の糸で象形文字のような刺繍がびっしりと施され、波型の裾にたくさんの金や銀の鈴飾りが垂れ下がり、動くたびにしゃらんしゃらんと賑やかな音が鳴る。
「ま、まさかこの姿で、わたしに表を歩けと……」
「なーに言ってるんですか。今さら格好に文句なんて言わないでくださいよ。
それになんだかんだ言って、しっかり着込んじゃってるくせに」
マローニはわたしの困惑など意に介さないように言い放った。
「解ってます?クリフトさん。こうして変装でもしないと、今の貴方は王城にも入れてもらえないんですよ。
とにかくわたしたちは詩人と楽師として、これからサントハイム城に潜入します。
幸いなことに今夜は国王主催の夜会があり、そこでわたしは歌うことになっている。貴方もわたしと一緒に出席し、隙を見てアリーナ姫と二人きりになるのです。
そして長年抱えて来た熱い想いを、全身全霊でぶつけるのです!」
「こ、この格好で?!」
「だから、格好に文句言うなっつーの!」
かっと眼を開いたマローニの裏拳が、勢いよくこめかみに突っ込まれる。
わたしは「がっ」と呻いてその場にうずくまった。
「クリフトさん、わたしたち技芸者にとっては、見目麗しさも立派な職業的技能のひとつであるのです。
実際にこの衣装を着て歌い、楽器をかき鳴らし、人々の心を癒している人間が世の中には五万といるのですよ。
貴方がそうやっていつまでも恥じらっていることは、身を粉にして働く職業者達の誇りを貶めることになりはしませんか」
「……た、確かにそうですね。申し訳ありません」
わたしはよろめきながら立ち上がって、マローニを見返した。
けばけばしい色の透けるチュニカの裾で、しゃらんと鈴が踊る。
「あなたのおっしゃる通り、大変無神経な振る舞いをしてしまいました。それに貴方がせっかく、わたしのためにご用意して下さったものを。
こうした扇情的な出で立ちは非常に不得手ですが、一度着ると覚悟を決めた以上、このクリフト、今後一切考え無しな口答えは致しません」
「やれやれ、堅いなあ。貴方って人はどこまで行っても」
マローニは呆れたように肩をすくめた。
「ま、その生真面目さ、何ものにも揺るがない真っ直ぐさが貴方の魅力なんでしょうけれど。
確かに向いてるかもしれないですね、堅忍不抜(けんにんふばつ)の精神を持つべき一国のあるじとしては」
「はい?」
「なんでもありません。では、参りましょうか」
マローニは立ち上がり、わたしを頭の先から足先までじろじろと眺めまわした。
「しかし、本当に神官にしておくには勿体ない色男だな。いっそこのままふたりで文化芸術のるつぼモンバーバラにでも向かいます?
西から来た麗しき天使の歌声マローニと、その弟子サファイアの瞳のクリッフィー!
きっと人気爆発、一生食うに困らないと思いますよ」
「なんですか、クリッフィーって……しかも止めて下さい、弟子だなんて。
それにわたしはサントハイムを離れる気など、毛頭ありませんから」
「ああ、そうですよね!これは余計なことを言いました」
マローニはいかにも軽薄な笑顔を浮かべて、急いでわたしの肩を抱いた。
「それじゃ向かうとしましょうか。神の子供の乾坤一擲(けんこんいってき)、一世一代の大勝負のために!」
(……大勝負)
(長年抱えて来た熱い想いを、アリーナ姫にぶつけるのです!)
突然伝えられた言葉の衝撃と、昂ぶった感情の勢いのまま、いつの間にかこんな奇妙な成り行きになってしまっている。
わたしが楽師に変装して、サントハイム城に忍び込む?
もう近づいてはならないと国王の命令が出ているのに、それを破ってアリーナ様に会う?
これまで抱え続けていた苦しいほどの想いを、あの方へぶつける?
(そんなこと、出来るわけがないじゃないか……!)
「クリフトさん?」
ぴたりと足を止めて立ち尽くしたわたしを見て、マローニはため息をついた。
「……まあ、そう滑らかに事が進むわけないとは、わたしも解っていましたよ。
だからこそ貴方は十年以上も、彼女へ踏み出すことも出来ず手をこまねいていたんですから」
だが閉じられた唇が、再び開くのにそう時間はかからなかった。
「仕方ないですね。本当はここで言うつもりはなかったのですが。
これを聞いた貴方が行動を起こすか、悲嘆にくれて身を引こうとするか、どちらに転ぶか解らなかったから。
でも言いますよ。今の貴方なら、もう黙って引き下がったりしませんよね」
詩人が告げた言葉が耳に届くと、冷たい血がゆっくりと足元に落ちていく。
わたしは身体じゅうの骨が、ぎしぎしと軋む音を聞いた。
「いいですか、クリフトさん。間もなくアリーナ様は、この国唯一の王女としてご婚礼を挙げられることになります。
命より大事な貴方の想い人は、他の男のものになってしまうのです。
だから時間がない。アリーナ様に想いを告げるには、もうあと少しの時間しか残されていないのですよ」
「どなたとですか」
膨れ上がる心臓の鼓動に、全身が押しつぶされそうになる。
わたしは我を忘れて尋ねていた。
「お相手は、お……王族の方ですか。やはり亡き王妃殿下のゆかりから、ボンモールの」
マローニはなんとも言えない表情で、わたしをじっと見た。
「わたしたちは、これから城に向かうのです。誰なのかはすぐに解りますよ。
貴方も、とてもよく知っている方です」