初夜



―――Sideアリーナ





「面会謝絶?」

出て来た時と同じ速さで、だが全く違う心で猛然と城へ戻る。

さっきと同様、階段を疾風の如く駆け昇り、辿り着いた国王の寝室前でカーラは悲しげに頷いた。

「はい。宮廷医師に窺って参りました。陛下はお食事中に突然お倒れになられ、今も意識が戻っていないそうです。

はっきりとは解りませぬが、心の臓が上手く血を押し出せていないとか」

「お父様が」

わたしは呆然と呟いた。

サントハイム国王アル・アリアス二十四世、わたしの父。

二歳で母を亡くしたわたしにとって、今や唯一の血を分けた肉親である人。

前王の早の崩御により、わずか十二歳で国王として立った彼は、即位と同時にボンモールの第一王女であった亡き母フィオリーナと婚礼を挙げた。

世界最強の軍事国家エンドールに対する、南北からの抑止力を持つための政略結婚だったとはいえ、ふたりは出会ったとたん恋に落ち、琴瑟相和してとても仲が良かったという。

……わたしは見たことがないけれど。

時に口やかましいが、優しく剛毅で磊落なあのお父様がまさかこんな突然、病に冒されてしまうなんて。

「顔が見たいわ」

それでも何故かそう言い張ったのは、全てを見通す予知能力を持つという、サントハイム王家の血のなせる業だったのか。

「部屋に入れて。わたし、お父様のたった一人の娘なのよ。

決して邪魔はしないし、子ウサギのように大人しくしているから」

「そうはおっしゃいましても、医師が誰とも会えないと申しているのですし……」

「じゃあお医者様はどこ?中にいるの?直接話を聞きたいから、こちらへと言ってちょうだい」

わたしは毅然と告げた。

「面会謝絶と閉め出すより先に、詳しく容体を説明する義務があるでしょう。

お父様はこのわたしの父親よ。誰よりも頑丈だし、お酒や水煙草の悪癖もない。

それがどうして、急に心の臓の病だなんて。毎朝宮廷医師に身体をくまなく診てもらっているっていうのに、おかしいわ。

もしかして、ただの風邪か何かの間違いじゃないの?」

「ぶえっくしょい」

その時、重厚な寄せ木の扉の向こうから盛大な音が響く。

わたしは目を丸くした。

「……今、中からくしゃみが聞こえたみたいだけど。それもお父様の声で」

「ええ」

カーラも唖然としていた。

「さすが聖なる血をたたえる国王陛下の御玉体、意識がなくともくしゃみをなさるのですね」

「ええ、そうね。ただでさえお父様、前々から蓄膿症の気があったみたいだし……って、そんなわけないじゃない!

ちょっと、開けなさい!どういうことなの?中にいるのはお父様と誰?どうしても開けないなら、扉ごと蹴破ってやるわよ!」

「わかった、わかった!」

苦々しい叫びと共に、扉が勿体つけるようにのろのろと開かれる。

眼前に広がった光景は、苛立ちに眉を逆立てたわたしを絶句させるのに十分だった。

豪華絢爛な装飾も綾な寝室で、王の証である紫のローブを羽織った堂々たる体躯の壮年男性が、四柱式の巨大な寝台の真ん中で身を起こし、愉快そうに破顔している。

「……まったく、だから心の臓が理由では嘘くさいと言ったではないか。

この通り、わしは即位以来大きな病気ひとつしたことがないのだからな」

「ではなんとすればよかったのでありますかな、陛下?

得体のしれない茸を食べて、突然の癲癇(てんかん)に襲われたとでも言うか、それとも陛下だけがまた謎の神隠しに遭ったとでも」

「おお、そのほうがよっぼど信憑性があるわ、はっはっは」

「ふぉっふぉっふぉ」

「ははは、ふぉふぉふぉって……」

わたしはわなわなと肩を震わせた。

「どういうことよ、これは。お父様、ぴんぴんしてるじゃないの!

それにお前は何やってるの、ブライ!まさか知っててわたしを担ごうとしたわけ?」

「無論じゃ!」

まるで自身が国王であるかというように、豪奢なソファにどっしり腰かけて泰然と笑う小柄な老人。

尖った鷲鼻、秀でた額から続くさかしげな更地の頭頂、その両脇に屹立する特徴的な白髪の尖塔。

剣呑な眼差しにどこか剽げた光を浮かべる老人は、言わずと知れたわたしの教育係にしてサントハイム一の黒魔法使い、「氷竜の杖」ブライだった。

「ばれてしまったものはしょうがない。この際、姫にはここだけ種明かしをしておこうかの」

ブライはやれやれと肩をすくめた。

「アリーナ姫、見ての通りじゃ。父王陛下は爪の先まで健康そのもの、どこも悪くしとりゃせん。

ただし公にはこのまま伏せったことにし、明日をも知れぬ病と国中に噂を流す」

「なんのために?」

わたしは呆然として言った。

「そんなことをして、この国になにか得でもあるの?」

「あるといえば、これ以上ないほどある」

ブライはため息をついて続けた。

「こうまでせねば解けぬほど、小難しく糸を絡ませた神の悪戯とやらを、わしは非常にいとわしく思う。

じゃがこの国を挙げての猿芝居に対するツケも、のちのち奴めが生涯をかけてきっちり支払ってくれようさ」

「解けぬ糸って……奴って……」

「糸は糸だろ。赤い糸だ」

その時、ブライの背後からにゅっと目の前に現れた人影に、わたしは思わず大声を上げそうになった。

「な、な、なんであんたが……!!」

「よう。久しぶりだな」

そこに現れたのはあまりに予想外な姿だった。

すらりとした美しい身体をわずかに反らせ、顎を上げ両腕を組んで立つ、相変わらずの不遜な佇まい。

天使が舞い降りたような完璧な美貌、肩下に垂れた絹糸の髪、翡翠色のまばゆい瞳。

かつてわたしたち導かれし仲間を率いて戦った孤高の剣士、天空の勇者と呼ばれた少年だ。

「来てやったぞ。アリーナ」

少年は美しい唇の片方だけを引き上げて、にやりと策略めいた笑みを浮かべた。

「是非とも貴方にお願いしたいと、国王から要請があった。

ありがたく思え。今日から俺がお前の花婿候補だ」
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