あの日出会ったあの勇者
「申し遅れましたが、わたしの名はスティル。スティル・エヴァゲント」
年の頃は二十の半ばだろうか、朝黒い肌に精悍な顔立ちをした警備兵は居住まいを正し、ブランカ式の作法で緑の目をした若者に向かって深々と敬礼した。
「ブランカ王家近衛隊の一員であり、王城警備隊長として、不束(ふつつか)ながら宮殿警備にいくばくかの影響力を持つ者です。
ではわたしの一存で、本日手形なしでのおふたりの入城を特別に許可致しましょう。どうぞ、城内にて心ゆくまでお過ごしください。
ただし案内役として、形式上ですがわたしが同行致しますことをお許しくださいますよう」
「隊長、それでは……!」
「よいのだ」
スティルと名乗った警備隊長は、もうひとりの兵士に安心させるように頷きかけた。
「このお方は世界中よりブランカ王城を訪れるありとあらゆる客人の中で、最も特別なお方。なんの問題もない」
「し、しかしそのような独断、もしも陛下のお耳にでも入れば……」
「陛下も必ずやお許しになられる。いや、なにも陛下だけではない。
この世界中の全ての国家が、救世の英雄であり、現在どこに暮らしているのかもわからぬ此方様が自国に忽然と現れれば、こぞって賓客として迎え入れようとするだろう。
このお方を咎めだてる国など、万にひとつもあるはずがない。なぜならばたったいまこの世界が平和に存続しているという事実が、このお方のご勇躍あってこそ成り立つものだからた。
貴方様はご自身の持つそうした特権的立場をご承知だからこそ、手形ひとつ持たず、敢えて堂々と正面から王城をご訪問なさったのではありませんか。勇者さ……いえ、お客人様」
「さあな」
緑の目をした若者が興味なさげに肩をすくめると、スティル隊長は憧れの英雄と話せることが嬉しくてたまらないかのように、白い歯を見せて笑った。
「それにしても、まことこの上なくお美しい。やはり真の英雄というものは語り継がれるサーガの神秘性にたがわず、他の誰にもない希有な輝きを放っているものなのですね。
空に浮かぶ城に住まう伝説の天空びとは、背中に虹色の翼を持ち、みな驚くほど美しい容姿を持つと言うが、我れら人間の血も受け継ぐ貴方様はそれすら凌駕する、女神のようなあでやかさをお持ちだ」
「気持ち悪いことを言うな」
緑の目をした若者は嫌そうに肩を震わせた。
「なにが女神だ。俺は男だ」
「美しさの価値に、男女の区別など必要ありませんでしょう。少なくとも貴方様は、わたしがこれまで目にしたどんな女よりも圧倒的にお美しい。
まるで、そう、光そのもののように……、出会った者全てを強烈に惹きつけてやまない、めくるめく眩しい太陽の光のように」
スティルの瞳に次第に熱っぽさが滲み、うっとりと見つめられて、緑の目の若者はたじろいだように後ずさると、さっとライの後ろに隠れた。
「な、なんだよ」
「うるさい。いいからさっさと行くぞ。これで城へ入れる」
「あんたたち、知り合いだったのか?さっきから一体なんの話をしてるんだ。それにどうして、急に中に入れることに」
「俺と一緒なら入れるって言っただろ」
「どうしてだよ」
「そんなこと、ちびはいちいち知らなくていい」
「ち、ちびって言うなよ!このナルシストめ!」
「んだとぉ」
緑の目の若者はむっとした顔でライを睨みつけた。
「てめー、今なんて言った」
「どうせ、あの兵士にこっそり色仕掛けでもして無理矢理言うことを聞かせたんだろ。
偉そうなことを言って、あんたは自分の外見のよさを都合よく利用してるだけじゃないか!」
「ふざけるなよ」
若者は眉を吊り上げた。
「日暮れまでにさっさとシンシアのところに帰りたいのに、誰のためにここまでやってると思ってる。俺はもうあの旅以来、隣国と戦おうとする王だとか偽国王が隠れる開かずの城だとか、お偉方の振りかざす似非(えせ)権威に関わるのはまっぴらなんだ。
それにこんな造りの外見で、嬉しいと思ったことは一度もない。この見てくれのせいで、俺は素顔をさらして堂々と街を歩くことも出来ないんだぞ。
それもこれも、俺の血が半分……」
「半分、なんだよ」
緑の目の若者はじろっとライを睨み、「なんでもねえよ」とぶっきらぼうに言い捨てて顔をそむけてしまった。
「小僧殿、どういう理由でお前がこのお方とお知り合いになったのかは知らぬが、もう少し口の利き方に気をつけた方が良いようだぞ。
とにかく、城内へ参りましょう。勇者さ……、いえ、旅のお方」
スティル警備隊長はライをたしなめると、音を立てて開いた城門の向こうへ先導するために、緑の目をした若者の傍らにさりげなく寄り添った。
武骨な身体が不自然なほどぴたりと密着し、若者はげっと顔を引きつらせると、「て、てめーのせいだぞ、これも」と呟いて、もう一度ライを忌々しげに睨みつけた。