初夜



―――Sideアリーナ





「マローニ!愚かな詩人!とっとと出て来なさい!

酒場にいないなら、お前の居場所はここしかないってことは、わかってるんだからね!」

「しいっ!アリーナ様、神聖なる教会で大声を上げてはなりません!」

再び王城を飛び出してたどり着いた、西の城下町サランの教会。

カーラの必死の説得で、とりあえず鉄の爪は置いて来たけれど、だからって胸をくすぶるこの怒りが収まったわけではもちろんない。

生まれながらの武術家のこの身、いつだって戦闘準備は万端。

武器なんかなくたって、わたしにはいざとなれば、岩をも砕くこの鋼の拳があるのだから。

「マローーー二!!」

後ろ手に扉を閉じてもう一度叫ぶと、カーラが真っ青になってわたしの口をふさいだ。

「だ、だから、お止めなさいませったら!」

「も、もが、もが!

……だああ!放してよ!」

わたしはカーラの手をもぎ放して怒鳴った。

「だから、さっきから言ってるけどカーラ、大声をあげてるのはお前のほうでしょ!」

「アリーナ様がわたくしの申し上げることを、一向にお聞き下さらないからではございませんか!

わ、わたくしだってほんとうは、大きな声など出したくはないのです!

アリーナ様はもう御齢19ですよ!どうして小さな子供のように、いつまでたっても声を大にお叱りせねばならぬのか……!」

「あの……もし」

その時、訝しげに割り込んできた声に、わたしたちははっと顔を上げた。

「ゴドフロワ神父!」

「お取り込み中大変申し訳ないが、もうちょっと声を抑えて下さると嬉しいですな、王女殿下にカーラ女侍従長。

あまり大きな声を出すと、振動で歴史あるフレスコ画が傷んでしまう。

久しぶりのご訪問、殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅう……というわけでもなさそうだが」

華美な装飾の一切ない簡素な司祭服が、自ずと纏う者の謹直な精神を表す。

修道院と神学校を付設する厳格なサラン教会を二十年も統括して来た老神父は、眉間に刻まれた皺に困惑を隠そうともせず、わたしたちを順番に見比べた。

「サントハイム城直下の教会ではなく、このサランまでわざわざ足をお運びあって、そのうえ争わねばならぬ一体どんな理由がおありか、良ければお聞かせ願えますかな」

「い、いえ、その……」

わたしとカーラは気まり悪げにごにょごにょと口の中で呟いて、同時にばっと頭を下げた。

「申し訳ございません!」

「ごめんなさい!」

「頭をお上げなされ、王女殿下に女侍従長。人間とは往々にして争ってしまう生き物。声さえ落として下されば口喧嘩くらい一向に構いませぬよ。

ところで、どうやらおふたりはマローニをお探しのようだが、生憎ここにはおりませんぞ」

ゴドフロワ神父は淡々と言った。

「あやつは殿下が旅からお戻りになられ、例のサントハイム城の神隠し事件が解決してから直後、国王より直々の命を受け宮廷お抱え歌手の印綬を受けております。

もう自由気ままな吟遊詩人とはわけが違うゆえ、以前のように、サランの教会に寝泊まりすることはありませぬ。

今のところまだ、街の酒場で歌う程度は許されているようだが、いずれそれも止め、宮廷楽団と共に城の宿舎で暮らすようになるでありましょう。

つまりここまで来ずとも、城暮らしのおふたりはこれから嫌というほど、マローニとまみえることになるのです。

園遊会や夜会、舞踏会の折には必ず、あやつの素晴らしい歌が添え物となるかと」

(……マローニが歌っているのです。神の子供が今早急に、愛する伴侶を求めていると)

(熱烈に追いかけ回して来るアリーナ姫から、なんとか逃れるために……)

「だっ、誰があんなやつの歌なんか聞きたいものですか!」

わたしは叫んで、足を踏み鳴らした。

「城に仕える直前だというのに、わたしのことをそんなふうに歌っているのなら、ますます腹が立つわ!

一体マローニは、お父様に自由を奪われた腹いせに、娘のわたしに喧嘩を売っているとでもいうの?」

「ア、アリーナ様!」

「喧嘩……?マローニが?」

老神父は首を傾げると、ふと思い出したように顔をほころばせた。

「おお、そういえばマローニと言えば、ここのところ奴の歌と共に、なぜか街中でクリフトの絵姿が配られておりましたな。

それ、ここにもありますぞ。ずいぶんと色男に描かれておりますが。「恋人募集中」……とは、真面目一辺倒のあやつにしてはまた奇妙な。

あの神官め、今は神隠しにあった城下の民の心の救済が火急の務めだと、近頃はさっぱりサランに顔を出さぬが、息災にしておりますか」

「し……知らないわ!」

心臓が跳ねたのは、とっさに顔を背けたのに視界に入ってしまったからだった。

神父が差し出したパピルスに描かれた、細面の青年の整った顔立ち。

聖帽の端からこぼれるさらさらの髪と、無駄な肉の一切ついていない頬、流麗に伸びた鼻筋。

かすかなほほえみをたたえた三日月型の唇。

そして、この世のすべての海よりも蒼い切れ長のサファイアの瞳。

見慣れているのにいつも真新しく胸を打つ、幼馴染のクリフトの顔。

きちんと修行を積んだ画家が描いたのか、見事に彼の特徴をつかんで描かれている、文句のつけようがない出来の絵姿は、だが反射的に、わたしにこう思わせただけだった。

(全然似てない!本物のほうが一万倍も素敵だわ!)

「ああっ、わたしの馬鹿!馬鹿!どうしてそんなこと思うのよ!

なによ、クリフトなんか……クリフトなんか、ブライみたいにてっぺんハゲになってしまえばいいんだわ!!」

「ア、アリーナ様!?どちらへ?」

扉を蹴り飛ばして向かった先がどこなのか、もう自分でもよくわからない。

ただひとつわかるのは、まったく今日はよく走る日だということだ。
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