初夜
―――Sideクリフト
「はい、退散してください、皆さん!」
扉を蹴とばさんばかりの勢いで押し開けると、わたしは両手を打って大声で叫んだ。
「こんなところでたむろして騒ぎ、どれほど周囲に迷惑をかけているのかおわかりにならないのですか?
教会とは静謐に祈りを捧げる場所。このように嬌声を上げて騒動を起こす場所ではありませんよ!
あ、あとついでに、わたしは貴女がたのようなかまびすしい女性に一切興味はありません。何度来ても無駄ですよ。
はい、帰った帰った!」
よし、よくやったクリフト。やれば出来るじゃないか。
心の中で毅然と振る舞う「シミュレーションクリフト」を、ここぞとばかりに存分に褒めたたえてやる。
だが実際のわたしはその姿とは似ても似つかぬ及び腰で眉の八の字にし、恐る恐るイチイガシで出来た巨大な扉を開いていた。
「あ、あのう、皆さん。ご近所の目もありますし、そろそろお家にお帰りに……」
「きゃあああー!!」
その途端、悲鳴とも怒号ともつかぬ叫びが鼓膜の奥まで突き抜け、あまりのおののきに思わず卒倒しそうになる。
……と思ったら、違った。
目の前には先程までとは打って変わって人っ子ひとりいない空間が広がり、突然訪れた静寂をあおるように、一陣の風ががらんとした門前を吹き過ぎて行く。
舞い上がる砂埃に、わたしは呆然とした。
誰もいない?
いや、いる。
機械的な瞬きを繰り返して、こわごわとあたりを見回すと、ふと人影に気がついた。
石畳に佇むひとりの小柄な姿。
認めた途端、すぐに心臓がガタピシとおかしな音を立て始める。
薄茶色の長い髪と、動きやすく作られた絹の短衣。北方のサントハイム民族らしく白い肌を引き立てる、鮮やかなコバルトブルーのお気に入りの三角帽子。
慕わしくてたまらない、一目見るだけで胸が高鳴るあのかたの姿。間違えようはずもない。
「アリーナ様!」
わたしが叫ぶと、彼女は顔を上げて、ほんの少し笑ったように見えた。
だが今思えばそんなのは、単なる都合のよい見間違えに過ぎなかったのだ。
次の瞬間、可愛らしい柳眉がかっと逆立ち、腕を大きく振りかぶったと同時に凄まじいスピードでなにかが飛んで来て、ガンッとわたしの顎をものの見事に直撃した。
「ぁっ、がっ……!!」
お尻を針でつつかれたアヒルだって、きっとこんな情けない悲鳴はあげないだろう。
わたしは白目を剥いてその場にひっくり返った。
意識が飛んで跳ねて、体の外をぐるんと巡る。
半分失神しながら脳裏を駆ける金色の星をなんとか数え、ひととおり数え終わった時には衝撃が痛みに変わり、ようやくわたしは我に返った。
「ア、アリーナ……様」
わたしは顎を押さえ、よろよろと体を起こした。
「な、なにを……」
「……してやるわ」
その時、わたしの瞳に映ったのは。
体じゅうから立ち昇る、青黒いもやのような闘気。手負いの獣が反撃に入る前に全身で轟かせる、地鳴りのような声なき咆哮。
この広い世界で最も愛らしい容貌に、したたるような怒りと憎しみを込めた、ひとりの少女の形を取った地獄の帝王の姿だった。
「殺してやるわ……!」
「な……」
わたしはぞっとしてその場に硬直した。
アリーナ姫は視線で人が殺せたらというように、激しくわたしを睨みすえた。
怒りの目と驚愕の目がぶつかる。
「ど、ど……どうなさったんです。一体なにが」
怯えながら言いかけて、わたしははっとした。
鬼の形相を浮かべていた彼女の瞳から、ぽろっとひとしずくの涙がこぼれ落ちたのだ。
「ア、アリーナ様?」
「クリフト……知らないとは言わせないわよ!」
「な、なにがです?」
「酷いわ。こんなの酷いよ。あんまりよ。わたしがなにをしたって言うのよ!
クリフトの、クリフトの……馬鹿ぁ!!」
立ち上ぼる怒りはたちまちにして消え、アリーナ姫は叱られた子供のようにみるみる表情を崩すと、わっと泣きながら持ち前の韋駄天の足で走り去ってしまった。
わたしは唖然としたまま、その場を動くことが出来なかった。
ふと見下ろすと、アリーナ姫の豪腕から放たれ、顎を直撃した犯人の正体に気付く。
(これは)
まるで今のアリーナ姫の心の内を表すかのように、泥に浸されて黒ずんでしまった姿。
わたしが彼女に差し上げた、ウグイス色のオカリナだった。