初夜



―――Sideクリフト





「いやああ、本物よぉー!本物のクリフト様よ!!」


耳をつんざく甲高い叫びと、こちらに向けて一斉に伸びて来る、無数の女性の手、手、また手。

わたしはさーっと青くなり、大急ぎで群衆に背中を向けると、ばんと後ろ手に扉を閉めてしまった。

(な、なんなんだ、これは?)

閉めた扉の向こうから、クリフト様、お顔を見せてぇーとか、どうか出て来て下さいませーとか、小鳥の首をきゅっと締めたような、ほとんど悲鳴に近い叫び声が響いて来る。

「どうじゃ、クリフト。外の様子は」

祭壇横の椅子に座り、弱り切った声でわたしに尋ねたのは、この教会の長であり幼い頃からの白魔法の師でもあるエルレイ大司教だった。

「き、昨日と同じです。女性が山のように扉に詰め掛けて、表はひどい騒ぎに」

「困ったものじゃ」

大司教はため息をつき、皺深い頬をいっそう歪めた。

「この騒ぎでは、純粋に礼拝に訪れる信心深き民たちを受け入れることが出来ん。

クリフト、いっそお前が街の広場に皆を誘導し、好みの女人をひとり選んで来るがよい。

そして宣言するのだ、はい、この方に決めました!だからあとは皆あきらめてすみやかに家に帰って下さい、とな」

「ええっ」

わたしは素頓狂な声を上げた。

「な、なぜわたしが」

「皆、お前が目当てで来ておるのだろうが」

大司教は心なしか厭味っぽく言った。

「まことに羨ましいことじゃわい。華やかな騎士でも詩人でもないただの神官が、まさかこれほどまで女にもてるとはな。

さすが世界を救った英雄は違うの。わしもあと五十年若ければ、決してお前にひけは取らんのじゃが」

「そのように言われましても」

わたしは困り果てて言った。

「確かに勇者様に付き従い、邪悪なるものを倒す一助とならせて頂きましたが、だからと言ってわたしの生活は旅の以前となにひとつ変わっていません。

他人の、ましてや女性のあらぬ関心を引くことなどなにも」

「いくらおぬしがそう思おうとも、世間はそう思わぬのだ」

大司教は人差し指を立ててちっちっと左右に振った。

「天空の勇者を助け、アリーナ姫を守り、見事世界を救った勇敢な若者が街の教会でごく普通に暮らしているとなれば、そりゃ年頃の娘たちが騒がぬわけはあるまいて。

しかもお前のように、なかなか見られる外見をしているとなると特にな。

よいではないか。これを機に、おぬしも恋人のひとりくらい持ってみればよい。

神官は独身を通すならわしがあるとはいえ、その若さで一切女性と関わってはいかんなど、無粋なことはわしは言わんぞ」

エルレイ大司教の普段は高潔な顔が、決して上品とは言えない笑みを浮かべた。

「どうじゃ、クリフト。堅物なお前は女人のことを口にしたことなど一度もないが、もし実際に恋人を持つとしたら、一体どのような娘が好みなんじゃ?

髪が長いのがいいか、足首がきゅっと細いのが好きか、それとも胸が大きく唇の厚い、踊り子のように色っぽいのがいいのか?ええ?」

「……大司教」

わたしは咳払いした。

「鼻の下が伸びております」

「む、むう」

城仕えの魔導師ブライに次いで、サントハイムで最も高位な魔法の使い手であるエルレイ大司教は慌てて顔つきを正し、立派にたくわえた長い髭をぴんと引っ張った。

「……とにかく」

わたしは言った。

「今すぐ帰って頂くように、わたしたちが厳しく諫めるしか、手立てはないでしょう。

明日もこのような騒ぎが続くようであれば、不本意ながらブライ様にお願いし、衛兵隊に出動して頂くことになると告げて」

「なんじゃ、つまらんのう」

大司教は不服げに口を尖らせた。

「お前が気にいった娘をひとりふたり、ちょいちょいと選んでしまえば、すぐに解決する話じゃと言うておるのに」

「そ、そんなのいません!」

思わず叫び、慌てて声を落とす。

「よろしいですか、こうしている間にも朝の祈りを捧げられずに立ち往生する人々は、増えるばかりなんですよ。

わたしひとりが出て行けば、また騒ぎになります。ここは恐れながら、大司教様にもご足労を」

だが偉大にして高貴なるエルレイ大司教は、わたしの言ったことなど全く聞いていなかった。

「なるほど、解ったぞ」

いかにも炯眼をひらめかせたというように、顎を撫でてしたり顔で頷く。

「さてはお前、まーだアリーナ王女のことをしつこく想っているのじゃな。

一体いくつになったら、幼い頃からのお前の姫さま病は、熱が醒めると言うんじゃ。何度も言ったじゃろう。ありゃあいかん。

この国の王女でありながら、女だてらに武術大会で優勝したうえ、鉄の爪を振り回し獰猛な魔物達をたちどころに倒してしまうと言う、とんでもない跳ねっかえりじゃ。

あんなお転婆姫と添い遂げようものなら、こっちの命がいくつあっても足りぬわ。初夜の新床で、いとしい妻のやわ肌に触れる前に鉄拳で沈められてしまうぞ。

それともなんじゃ、ちょっとくらいはもう触ったことがあるのか。

旅のあいだに、何回か同衾したのか。接吻はどうじゃ?えっ、クリフト?」

絶句したわたしがその場にひっくり返った音が、荘厳なレリーフの施された教会の天井まで響き渡った。
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