ドラクエ字書きさんに100のお題
9・ギャラリー
「ひ、姫様」
「なあに」
「そ、そ、そのですね。わたしはずっと、貴女様のことが……」
駄目だ、続きが出て来ない。
言葉に重みがあるなどとよく言うが、もしも本当の意味でそんなものがあるなら、好きですという短い言葉は伝説のロンダルキアの大岩よりも重量があるのだろう。
だって、出て来ない。自分の身体の全て、細胞のひとしずくまでがこの言葉で埋め尽くされているというのに、それを声に替えて喉へ送るひと動作の、なんと恐ろしくも困難なことか。
額に汗を浮かべて黙り込んだクリフトを、アリーナは唇をきっと引き結んで見つめていた。自分からは一切なにも言うまいと決めているかのようだった。
鳶色の愛らしい瞳にひどくじれったそうな光が宿ったのは、気のせいだろうか。
「貴女のことが……」
立ち込めた空気に異様な緊迫感があるのは、ここが闇に包まれた地底世界だからではなかった。明日の朝、進化の秘法に身を投じたデスピサロとの最後の決戦が待っているからでもない。
未曾有の戦いで、もしかしたら自分は命を落としてしまうかもしれない。なにがあろうともアリーナ姫だけは絶対にお守りする。そのために死ぬのなら、この命など少しも惜しくはなかった。
ただその前に、この静寂に包まれた最後の戦いの前夜に、幼い頃から抱え続けた想いをせめてひとことなりと伝えておきたい。
簡単なことだ。なんの道具もいらない。声帯から「好きだ」という音を絞り出すだけ。
なのにたったそれだけのことが、意気地無しの自分にはどうしてこんなにも、むずかしいのだろう。
「アリーナ様。わ、わたしは……」
貴女が好きです。
ずっと、ずっと好きでした。
こんなにも人を好きになることが出来たわたしのこれまでの人生は、どんなに幸せだったことでしょう。
誰かを愛するというこの気持ち。
生きとし生けるものに神が与えて下さった、なによりの素晴らしい宝物。
わたしというなんの取り柄もない人間に、この気持ちを授けてくれた貴女に、心からの感謝を。
わたしの瞳に映る世界にいて下さる貴女に、心からの感謝を。
もしもこの身が明日滅びようとも、万にひとつの悔いもありません。
ですが今、どうしても伝えたいのです。わたしから貴女様に、これだけは。
アリーナ様、わたしに愛するという喜びを教えて下さって、
「ありがとうございます」
アリーナの眉が怪訝そうにひそめられた。
「“わたしは、ありがとうございます”、……って?」
「え」
「意味がわかんないよ」
「あ……、いえ」
心のモノローグが全く音声を伴っていなかったことに気づき、クリフトは慌てふためいて両手を揉み絞った。
「えー、あ、ありがとうございますというのはですね、いよいよ明日が最後の決戦ですけれど、
これまでの旅のあいだわたしごとき身分卑しき者にご温情を賜り、寛大なる姫様に深く感謝をという……」
アリーナは脱力したように肩を落とし、ため息をついた。
「……本当に、それが言いたかったの?クリフト」
クリフトはうなだれた。
「……いいえ」
「じゃあ、なあに。はっきり言って」
「それは……、わ、わたしはこれまでずっと、貴女様のことが」
「わたしのことが?」
「貴女のことが、
す、す、好……」
ふたたび空気が張り詰め、見つめ合うふたりの喉がどちらかともなくごくん、と鳴った瞬間、
「痛い痛い、痛~い!どいてよ。重いわよ。どうしてあたしがあんたたち男どもの下なのよ!」
「マーニャ殿がここが一番よく見えると、自分でしゃがみ込んだのではないか」
「おい、トルネコを俺の上にしたやつは誰だ。このままじゃ……ヒキガエルみたいに、潰れちまう」
「す、すいません。最近また少し、体重が増えたようでして」
「ええい、耳元でやいのやいのと騒ぐでない。鼓膜に響くわ」
「ちょっと姉さん、わたしの髪の毛を引っ張らないで!」
クリフトとアリーナはぎょっとして、二人同時に振り返った。
背後の岩陰に古代遺跡のトーテムポールのように、自分たちを除いた仲間六人の顔が縦に順番に並んでいる。
下の方にいる者たちの顔は真っ赤に染まり、ずいぶん苦しそうだ。
「よう。アリーナ、クリフト」
顔の行列の一番下、巨漢のトルネコを背に乗せた勇者の少年が、押しつぶされそうな重みに美しい顔を引きつらせながら笑った。
「邪魔して悪いな。朴念仁の悪魔神官が、ようやく勇気を振り絞って一世一代の告白だ。こんな面白いもの、見逃すわけにはいかねえ。
ギャラリーのことは気にすんな。さあ、続けろ」
「ばっ……ふざけないで!」
アリーナは顔を真っ赤にして飛び上がると、だっと駆け出した。
「知らない。なによ、クリフトの馬鹿!」
「ええっ?わ、わたしはなにも」
「何を言っても、今日はもう絶対に聞いてあげないんだから!」
「そ、そんな、アリーナ様……」
「だから、続きは明日よ!」
風のような俊足ではるか先へ辿り着くと、アリーナはくるりと振り返り、唇の前で両手をメガホンのように丸めて叫んだ。
「明日、何もかもが終わってから続きを聞かせて。必ずよ。わたし、その時を待っているから。
だからクリフト。絶対に死んじゃだめ。わたしたち生きるのよ。なにがあっても生きるのよ!
みんなで一緒に。全員で一緒に」
そこで堅い決意はたやすく一転、これでは死ねるわけがないではないか。
もしもこのままこの身が明日滅んだら、百回転生したって後悔の塊だ。わたしには伝えなければならない言葉がある。あふれるほどのこの想い。尽きることのないこの感謝。
貴女様の前で音に出して紡がぬうちに、どうしてむざむざ死ねようか。
頬を紅潮させて瞳を潤ませるクリフトの後ろで、導かれし者たちのトーテムポール・ギャラリーがどうと崩れた。
なだれ落ちた人の山に真っ先に潰された勇者の少年が目を白黒させ、「ぐぇ」と呻いてぺしゃんこになった。
-FIN-