ドラクエ字書きさんに100のお題
8・明日は休みにしよう
「ふう」
足を止めて腰を撫でると、鋭い痛みにこめかみが引きつった。
手近な岩に腕をもたれて支えにし、ブライは深いため息をついた。
このところさらに強さを増しては、絶え間なく襲い来る腰の痛み。今朝はことのほか滲みる。まるで背中に太い釘を刺されたようだ。
これが老い、などと自分で認めたくはない。だがこの数年、毎日の暮らしと腰痛は常にワンセットだった。歩いても痛い。駆け足でも痛い。腰を庇い、前のめりの姿勢を取っても痛い。
かといって、木板を打ちつけただけの馬車の荷台の乗り心地は言わずもがな、だ。十人乗れば満員の、小さな馬車は岩の多い場所では無尽蔵に揺れる。気の利くクリフトが、首に巻いた橙色のストールを外して敷いてくれたが、あの揺れの前ではそれも焼け石に水だった。
(もう、旅を続けるのは無理じゃ。これ以上はどうにも身体がついてゆかん。
皆の足手まといにはなりたくない。儂を置いて行ってくれ!)
幾度となく喉から出かけた台詞。それを押しとどめているのは、稀代の黒魔道師として持ち続けた山より高いプライドだった。
かつて若かりし日、あまたのいくさで先陣を切った。身体が嘘のように軽く、夜通し戦ってもまだ興奮さめやらず、革袋に詰めたぬるい水だけ喉に流し込んで、朝日が昇ればまた戦った。
今となってはあれを若さと呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。あの頃は指先までみなぎるこの力が永遠に続くものだと信じていた。体力というものは年齢に反比例してすり減っていくのだと、知りもしなかったのだ。
「ブライ、平気?」
主君であるアリーナ姫が心配そうに声をかけて来た。
「なんだか顔色が悪いみたいだけど」
「年寄りは皆、こういうものですわい。生まれたての猿のように赤ら顔をしている爺いなどおらぬ。おるとしたら風呂上がりが酔っ払いか、そのどちらかじゃ」
アリーナはくすっと笑った。
「それだけの口を利ける元気があれば、大丈夫ね」
「このブライ、まだまだそこらの若い者には負けませぬぞ」
ほっとしたような笑顔になって、あるじの王女が離れてゆく。強気な言葉が周囲を安心させるのはわかっている。
このうずくような腰の痛みも、若い時ほど身体が自由に動かぬ歯がゆさも、同じように老いた者でなければ決して理解出来ぬだろうことも。
その時、ばんと背中を叩かれた。脳天に鈍痛が駆け抜けて、ブライは潰れたカエルのような呻き声をあげた。
「なんじゃ、誰じゃ!突然なにを……!」
「爺さん、背中がいつもの十倍曲がってるぜ。ねじの切れたぜんまい人形みたいに、そのまま前に倒れちまうんじゃないのか?」
唇の片方に皮肉そうな笑みを浮かべて横をすり抜けたのは、いつのまに後ろにいたのだろう、異種混血のもたらす美貌もまばゆい天空の勇者の少年だった。
「無礼な!サントハイムの氷竜の杖とも呼ばれる儂に、田舎者の若造が馬鹿なことを申すな。
腰など曲がっておらぬ。この通り、ぴんぴんしておるわ!」
「そりゃ、よかったな」
無理にぐんと伸ばした背中から先ほどまでの痛みが綺麗に消えていることに気付き、ブライははっとした。
思いきり叩かれた場所にじわじわと広がる、癒しの呪文の熱い波動。べホマの魔法だ。
勇者の少年はさっさとブライを追い越しながら、早口で言った。足を止めようともしなければ、こちらを見ようともしなかった。
「悪いが、泣きごとは聞けない。俺たちはもう後戻り出来ない。あんたのバイキルト、ルカニ、ピオリムがなければ、これからの戦いは絶対に乗り切れない。
ヒヒ爺さんが老骨に鞭打ってここまでついて来てくれて、有り難いと思ってる。老い先短い氷竜の杖の根性、せっかくなら最後まで俺に見せてくれないか」
「だ、誰がヒヒ爺さんじゃと!老い先短いじゃと!この、大馬鹿者が……!」
怒りに飛び上がって拳を振りまわすブライの口元が、我れ知らずほころんだ。若い世代からの口当たりのいい励ましなど御免だった。ひとこと余計なのは願ったりだ。
素直じゃないのは何十歳もの年の差を越えて、どうやらこのふたりの共通項らしい。
「当たり前じゃ!誰が、途中で諦めたりするものか。どれほど辛い道のりであろうと、皆より多くの齢刻んだこの身で必ず最後まで乗り越えて見せる。
心は決して年を取らぬ。永遠に老い知らずの強き魂を持つ、それがこの儂、ブライ様じゃ!」
もう前方に行ってしまった勇者の少年が、振り向かずに片手を軽く上げた。了承と、敬意のあかしのようにも見えた。
「みんな、止まれ。聞いてくれ」
足を止めた彼の涼やかな声が、宣誓のように仲間たちのあいだに鳴り響く。
「明日は休みにしよう。行軍はなしだ。少し金を多めに使って、ベッドの柔らかい調度品の仕立てのいい宿に泊まる。身体の痛みに効く温泉もあるとなおいい。
旅にはめりはりが必要だ。俺たちは後戻り出来ない。でも、前に進むために休むことなら出来る。
大空を駆ける偉大なる氷竜にだって、翼を伸ばして癒す時もある。そうだろ?」
誰の異存も、あるはずもなかった。
-FIN-