ドラクエ字書きさんに100のお題
67・ニンゲン
わたしはほんとうに、人間を好きなのだろうか?
と、彼女は自分自身に問いかけたことがある。
だって彼女が心から愛している少年は、純粋な意味での人間ではなかったからだ。
そして、少年は誰に言われるまでもなく、そのことにうすうす気づいていて、それゆえに幼いころから底なし沼のような孤独を抱えて生きていた。
わたしは彼の孤独を愛したのだろうか。
ダイヤモンドのように美しい彼の心にヴェールのように降り積もる、ほの暗い闇を?
うっそうと木々が生い茂るだけの、ごく平凡な山奥の村に彼が生きることは、まるで七色の孔雀が鳩の群れの中で暮らすのにも似ていた。
明らかに自分だけ、周囲の人々とは異質な容姿を持っていることに彼が気づくのに、そう時間はかからなかった。
母は、誰よりも母であって母のようでなく、父は父であって父のようでない。
優しい両親への思慕が深まれば深まるほど、外見で血のつながりをまるで感じられないことに彼は悩み、苦しんだ。
そして父と母はもちろん、村人たちが誰ひとりとして、そのことに触れようとしない不自然さにも。
少年が長くとがった耳と、ルビー色の目を持つエルフの彼女を、出会ってすぐに深く愛したのは、自らと同じ異端さを感じたことも理由のひとつなのだろう。
生まれたてのひなが初めて見た者を親と思い込んで後を追い続けるように、少年は少女に深く恋焦がれ、いつしか彼女の存在に生きる意味を見出すようになった。
彼女の存在を求めれば求める分だけ、彼には何かが大きく欠落している。
そして、その欠けた部分はいかに彼女でも決して埋めることが出来ないのだ。
ねえ 大好きだよ
でも
わたしの愛は水
あなたは透明な ひび割れた硝子の器
どんなにそそいでも
そそいでも
なみだのように端々からひたひたこぼれ落ちて、決して満たされることはない
彼女は彼を、悲しいほど美しいと思う。
地上と天空、異種混血の生み出す奇跡。その造形はまるで生ける宝石だ。
幾千年の時を重ね、何度となく転生を繰り返そうとも、きっとニンゲンはこれほど美しくはなれないだろう。
「あなたを愛してるの」
彼女はつぶやいた。
「わたしたち、ずっとこのままでいられたらいいね」
そう、愛している。
いつか必ず失うあなたを。
砂時計は決して止まらない。
ずっとこのままでなど、いられるはずがないのだ。
それでも、叶わない願いを言葉にする幸福こそ、不条理なこの世界でたしかに生きているあかしなのだと、そのほろ苦く甘い嘘をわざわざ喉元に突き付ける。
少年は答えずに、黙って空を見上げた。口下手な彼は、彼女の問いかけに返事をしないことがしょっちゅうある。
言葉の代わりに手のひらがわずかに動いて、少女の小指の先をきゅっと握りしめた。
村の澄みきった空気を縁取る、青い山々の稜線。焼きたての菓子の甘い香り。畑の青菜に光る朝露。野菜を切るよく研いだ包丁の銀色。
耳を打つ、森の木々を口笛のようにひゅうひゅう鳴らす、悪戯なあの風の音。
自然と人の暮らしが溶け混じる。命はいつも、この星の恩恵を受けて生きている。
ニンゲンではないわたしたちふたりがなによりも大事にしている、素朴で穏やかな毎日。大切なものは、もうすでにここにある。
ああ、やっぱり、わたしは好きだ。人間が好きだ。
彼らと共にここで味わう一日、一日があまりにいとおしすぎて、息も出来ないほどに。
「……うちに、帰ろう」
少年がぽそりと言ったので、少女は頷いて、修練用の木剣を握り過ぎて既に硬くなりつつある少年の手を、強く握り返した。
―FIN―