ドラクエ字書きさんに100のお題
6・専用
目が醒めた時、朝かと思ったら違った。窓の外はとっぷりと暗闇に塗りこめられていて、星のひとつも空に浮かんでいなかった。
夜でありながら、どうしてこんなに眩しいのかとライアンはうろんげにあたりを見まわし、すぐにその原因に気づいた。
小さな部屋を、男二人ずつに分けた窮屈な宿暮らし。
本日の相部屋である天空の勇者の少年が、傍らのベッドの上で胡坐を組み、自分専用の天空の剣と盾を膝に乗せて布で磨いている。
「……神より賜りし天空の武器、防具か。
夜すら朝と見まごうほど、まこと妙なる輝きだな」
王宮戦士の感嘆を込めた呟き声に、勇者と呼ばれる少年ははっと顔をあげた。
「悪い、おっさん。起こしたか」
「いや。おぬしこそまだ起きているのか?装備品の手入れも大事だが、明日の戦いに備えてしかと眠らねば体力は戻らぬぞ」
「今日はぬかるんだ沼地での戦いが多かった。面倒だがちゃんと磨いておかねえと、せっかくの伝説の武器防具が泣きます、ってクリフトの奴がうるさいからな」
なぜか言い訳めいた口調で言うと、勇者の少年はきまり悪そうに目を逸らし、布を持つ手を止めてしまった。
「どうした、続けるがいい」
「いいよ、もう。あらかた綺麗になった」
「照れることはない。おぬしは幼い頃より鍛え上げられた生粋の剣士だ。武器と防具に吹きこまれた命の重みを誰よりも理解している。
毎晩、ひとりで遅くまで装備品を磨いているのを知っているぞ」
勇者の少年は驚いたようにライアンを見ると、戸惑ったように視線を泳がせ、小さくため息をついた。
「……俺だって、あんたが誰よりも早く起きて武器と防具の手入れをしているのを知ってる」
「ならば、おぬしも起きて共に早朝作業すればよい。夜更かしより早起きの方が身体には安かろう」
「朝っぱらからあんたと並んで腰かけて、仲良く剣や盾を磨き合いこしろっていうのか?冗談じゃないね」
「そうやっておぬしが必死に人間嫌いな一匹狼を演じようとも、拙者には他人の愛情に触れたくてたまらぬ寂しい野良猫にしか見えぬ。
じつは同じ剣士である拙者の動向逐一が、気になって気になって仕方ないのも知っているぞ」
勇者の少年の美しい顔が、ばっと赤く染まった。
「……もう、寝る」
「ああ、そうしろ」
苛立たしげに背を向けると、布団を頭からかぶった少年の翡翠色の長い髪の端々が、白いシーツで包まれた枕の上で波打つ。
まだ生まれて二十年と経っていない、健やかで未知数の命のきらめきに満ちた絹糸だ。
こんなにも若く、拙く、それゆえ毎日がどうしようもなく不安でならぬ時が、確かに自分にもあった。若いとはそれだけで不思議なほど焦燥感を誘うのだ。
ライアンの瀟洒な口髭の奥に隠された唇に、ふっとほほえみが昇った。
「小僧殿、起きているか」
「……まだ、なにか用があるのか」
「知っているか。拙者はおぬしが羨ましいのだ」
ベッドの上の白い塊が、ぴくりと動いた。
「おぬしは、選ばれし者だ。世界を救う特別な運命を背負う者だ。
有無を言わせず役目を担わされたおぬしは、それが吐きそうなほど厭わしいと感じるやもしれぬ。
だが己れの生を一本の剣とさだめて戦う者にとって、それは時に喉から手が出るほど羨望する、大いなる名誉と栄光に満ちた称号でもある。
おぬしには、専用の武器防具がある。神がつくりし天空の武器防具、それはこの世に何億何万の剣士がいようとも、勇者ただひとりにしか身にまとえぬ特別なさだめの神器だ。
どれほど鍛え、戦い、あまたの戦を駆け抜けても、拙者はまだこれという己れの人生にさだめられた武器防具と出会っていない。
ひょっとしたら、出会うことはないのではないかとも思う。いかに身を削り、厳しい鍛練の道へ己れを追い込もうとも、ただの人間の拙者はこの世という羅針盤を回す神にとってそこらの一兵卒でしかなく、
己れ専用の特別な武器防具など、生涯をかけても決して見つけることは出来ぬのではないか……、とな」
「……」
返事はなかった。
小山のような白い布団の盛り上がりは微動だにせず、よく磨かれた天空の剣と盾は無造作に床に仰臥し、だが変わらず夜を切り取る朝日のような眩しい輝きを放っている。
「……忘れた」
数分後、あるかなきかのくぐもった声がシーツの隙間から這い出して来て、ライアンは閉じかけた瞳を開いた。
「鎧を磨くのを、忘れていた。
明日の朝、俺も一緒に起こしてくれ。二人で一緒にやろう。おっさん」
「ああ、よかろう」
「俺の故郷の村じゃ、稽古の時に鎧をつけなかった。だから鎧の正しい手入れの仕方を、本当はよく知らない」
「ならば、一から仕込んで進ぜよう」
「あんたは……迷うことなんてない。あんたの生涯は一本の剣なんだろ。だったら専用の武器は、あんた自身だ。
もう、とっくに見つけてる。俺にはわかる。
鋼鉄よりも逞しいそのまっすぐな魂こそが、世界にひとつのあんただけの特別な武器なんだ。ライアン」
それきりふたりとも喋らなくなり、狭い部屋には沈黙と天空の武器防具が放つ光だけが立ち込め、やがてそれも消えた。
次に目が醒めた時は、本当の朝が来るだろう。窓の外を塗りこめる暗闇が拭い去られた目覚めの瞬間。
そこにはいつも、自分という名の専用の武器がある。
恐らく生涯忘れ得ぬだろう一閃の剣のような言葉を胸に、ふたりの剣士はそれぞれ目を閉じ、つかの間の眠りに落ちた。
-FIN-