ドラクエ字書きさんに100のお題
49・命令
「ブライ、とても顔色が悪いわ。足も震えているようだし、もう限界なのではないの?
ここから先はわたしに任せて、お前は馬車で休んでいなさい」
「なんと」
主君のアリーナ王女の突然の言葉に、ブライは息を切らしながら叫んだ。
「限界とは聞き捨てなりませぬな。よもや姫様が、ここへ来てこのわしめを厄介者扱いしようとは。
デスピサロの潜む地底の城まで目前というこの時に、馬車でのんびり休んでなぞおれませぬわい」
「お言葉を返すようですが、ブライ様、あの城に今すぐ入ることは出来ません」
クリフトが言った。
「城の周囲に、すさまじく堅固な結界が張られています。おそらくこの世界のいずこかから、強力な守護思念が送られているのでしょう。まずはそれを破らなくては」
「黙れ!クリフト」
ブライはクリフトをぎろりと睨み据えた。
「余計な差し出口を挟むでない。おぬしになにも聞いておらぬわ。わしは今、姫様と話をしておる。邪魔者は下がっておれ」
クリフトは口をつぐみ、黙って頭を下げた。
アリーナは悲しげにブライを見た。
「ブライ、わたしはお前に少しでも休憩を取って欲しいだけなの。
ここまでの行軍はとてもつらかったわ。体力に自信のあるわたしでさえ、手足がちぎれてばらばらになってしまいそうよ。それなのにお前は、薬草も使わない。クリフトのホイミも受けてくれない。
こんなに息が上がって、体が悲鳴をあげているのに。なぜ意地を張るの?苦しいなら苦しいと、正直に言ってくれたらいいじゃない」
ブライは唇を歪めた。が、彼の口元は雪のように白く豊かな髭に覆い隠されていたので、 幸か不幸かアリーナがそれに気づくことはなかった。
「……わしは」
たとえ姫の言う通り、この老いた枯れ枝のような手足がばらばらにちぎれてしまおうとも、彼女の前で苦しいと言葉にすることはないだろう。
それがサントハイムの氷竜の杖としての誇り、生まれたばかりのまだ目も見えぬ彼女の産湯を取った、摂政ブライ卿たる自分の最後の砦なのだと、一体どう言えばわかってもらえるだろうか。
「ブライ。馬車で休んで」
アリーナは懇願に近い声音で言った。
「お願いよ。わたしに命令させないで」
「姫はこの期に及んで、わしに戦いを放棄せよとおっしゃるか」
ブライは気色ばんで言い返した。
「皆とゆうにふた回り以上も年の離れたこの身体が、同じように機敏に動かぬことなどはなから承知しておる。
じゃがわしとて、老いたりと言えども大陸全土を震えあがらせた氷の黒魔導師。命の限り働き抜く心構えありしこそ、姫と共にこの旅に赴いたのじゃ」
「どうしてもわかってくれないのね」
だがアリーナはブライの言葉をもう聞いてはいなかった。
「クリフト」
「はい」
「ブライに回復魔法を。ブライ、ただちに馬車に戻って休息を取りなさい」
アリーナの瞳がわずかに鋭くなった。
「いい。これは、めいれ……」
「待て」
その時、張り詰めた空気をひと思いに裂くように、背後から尖った声が割り込んで来る。
振り返るとそこに、この旅の一行の先導者たる、天空の勇者の少年が両腕を組んだ不遜な様子で立っていた。
「アリーナ、勝手は止めろ」
「え?」
「なぜお前が命令を下す?仲間たちの指揮を執るのはこの俺のはずだ。皆が初めて揃った時、そう決めたよな。誰の異存もなかった。
こんなふうに身分を笠に着て、自分本位な行動を取られちゃ困る」
「自分本位ですって?」
唖然とするアリーナと押しのけるように歩いて来ると、勇者の少年は小柄なブライの肩をかかえ込むようにして強引に抱いた。
「なんじゃ!離さんか。この、馴れなれしい……!」
「爺さんはまだ戦えると言ってるんだ」
勇者と呼ばれる少年の緑色の瞳が不敵にきらめいた。
「それを止める権利はこの世の誰にもない。アリーナ、たとえお前にもな。男には命をかけてでも戦わなきゃならない時がある。
な、そうだろ。ヒヒ爺さん!」
そう言って、手のひらでばんと力任せにブライの背中を叩く。ブライは飛び上がった。
「こ、この、無礼な小僧め……!」
言いかけて、はっとしたように口を閉ざす。素早く手を引っこめた勇者の少年の腕から、魔法の残滓のようなほの明るい光の粒がぱらぱらとこぼれ落ちた。
ブライは目を細めて勇者の少年を睨みつけた。
「……また、この手か。とことんお節介な奴め。
こんなことでわしが感謝するとでも思ったら大間違いじゃぞ」
勇者の少年はそれには答えず、ひらりと身をひるがえしてブライに背を向けた。
背を向けたまま、小声で言った。
「あと少しだ。気合い入れて行こうぜ。前も言ったが、あんたの力が必要なんだ。俺はあんたの根性を信じる。
ただ、心配症の若い奴らにも時々は甘えてやってくれ。年寄りには可愛げってものがいる」
「余計な世話じゃ」
「頼んだぜ、ご老公」
勇者の少年は肩をすくめると、あっという間にその場からいなくなってしまった。
「まったく……。なによ、あいつ」
アリーナは深いため息をつき、それから目を丸くした。
「さあ、行くぞ!」
突然ブライが曲がりきっていた背筋を伸ばし、しゃきしゃきと歩き始めたのだ。今にも倒れそうなほど真っ青に歪んでいた表情は血色良くよみがえり、身にまとった緑色のローブの裾をからげて、力強く大股に進んでゆく。
「皆、いざ進め。敵の居城はもはや目の前じゃ!」
「……クリフト」
アリーナは途方に暮れてクリフトを振り返った。
「これ、どういうことなのかしら?」
「ある種の方々にとっては、休息だけが必ずしも回復の手段ではないということでしょうね」
クリフトはブライの、かすかに魔力の金色の輝きを残している背中をじっと見つめながら言った。
「そして、表立って気遣うのが必ずしも優しさではないということです。わたしたちは恐らくやり方を間違えてしまったのでしょう。
わたしにも、ブライ様の背中を叩く勇気があればいいのですが」
「お前は何を言ってるの?意味がわからないわ」
クリフトは自嘲気味にほほえんだ。
「つまり、我れらのようなアクの強い仲間たちをまとめるリーダーは、やはり勇者様しかいないということですよ」
「あんな態度を取るのがリーダー?」
アリーナは嫌な顔をした。
「わたしにはそうは思えないけど。あいつこそ、勝手を言ってるだけじゃないの」
「ですが、ブライ様にはそれが効いたようです」
「わたしだって、ブライに元気になって欲しいと心から思ってるわ」
「それはもちろん、わたしも同じです」
「……リーダー、か」
アリーナは空中に視線をやった。
「あいつが、わたしたち導かれし仲間たちのリーダー。あのすべてに無関心そうな瞳で、じつはいつもみんなのことを気にかけているのね。
でも、確かにそう。わたしはすぐ、思い通りにならないと命令しようとしちゃうもの。あいつの言う通り、身分を笠に着る習慣が身に染みついてるのよ。
王家の人間なんて、お城を出てしまえばただのいばり散らす嫌な奴なんだわ」
「そんなことはありません」
クリフトは優しく首を振った。
「姫様の真心は、ちゃんとブライ様にも伝わっています。その証拠に」
クリフトがそっと手のひらで指し示す。アリーナは顔を上げた。
そして、目を見開く。つい先ほど意気揚々と歩んでいたブライが、白銀のたてがみも凛々しい愛馬パトリシアが引く馬車の荷台に、いかにも億劫そうによっこらしょと昇ってゆく。
「ブライ」
「やれ、勢い込んだはよいが、やはり疲れたわい」
ブライはとんとんと拳で自らの肩を叩いた。
「姫様の御厚意を無下にするのも勿体ない。結界を解くまでデスピサロめの城に入れぬのなら、今のうちに少々寝かせてもらうことにしますぞ」
「え……、ええ!」
アリーナはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあわたし、荷台に毛布を敷くわ!喉は渇いてない?疲れた時は甘いものをたくさん摂った方がいいのよ。
今、温かいお茶と乾燥果物を持って来るから待ってて」
「寝るだけじゃ。そのようなものは要りませぬ」
「ゆっくり休んで」
アリーナはにっこり笑った。
「早く元気になってね、じい」
ブライは一瞬、言葉を失ったようにアリーナを凝視した。
めまいがするほど懐かしい呼び名。まだ彼女がごく幼い子供だった頃、彼の後をよちよちと追って来ながら何度も叫んだものだった。
(じい、待って。じい)
(いかないでよ。いっしょにあそんでよ、じい)
(じい、大好き)
「……ふん。思えば、遠くに来たものじゃわい」
白い髭に隠された唇が、ふっと微笑する。アリーナが聞き返そうとする前に、ブライは身軽な動作で荷台の奥へと消えてしまった。
「先程はありがとうございます」
少し離れた木陰で幹にもたれていた勇者の少年の傍らに、クリフトがひょっこりと顔を出した。
「とっさの機転、助かりました。わたしではブライ様のお相手は務まりませんので」
「べつに俺は何もしてない」
「さすが強情者同士。ああいった時どうすればよいか、鏡を見るように心得ていらっしゃる」
「るせー」
勇者の少年は鼻を鳴らした。
「偏屈爺さんと騒々しい孫の喧嘩が見るに堪えなかっただけだ」
「あなたは皆から一歩離れていながら、そのじつ誰よりも「全体」を見ている。頼りになる我れらの真のリーダーです。
苦難を乗り越え、よくぞここまで成長なさいました。わたしはあなたを誇りに思います」
クリフトはにわかに表情を引き締め、うやうやしくその場に膝まづいた。
「なんだよ、急に」
「最後の戦いの前に、どうか言わせて下さい」
クリフトはあるじに剣の誓いを捧げる騎士のように深く頭を垂れた。
「未曾有の長旅を経て、この決戦の場まで迷うことなくわたしたちをまっすぐにお導き下さり、心から感謝しています。
天空の勇者だからじゃない。あなただからこそ、我れらはここまで辿り着くことが出来たのですよ」
「仰々しい物言いだな」
勇者の少年は居心地悪げに目をそらした。だがクリフトは表情を変えなかった。
「これでこの世界は救われる。いえ、必ず救ってみせます。たとえこの命を犠牲としようとも」
「バーカ、縁起でもないこと言うんじゃねーよ」
勇者の少年はぽかりとクリフトの頭を小突いた。
「痛いっ!な、なにするんですか」
「犠牲はもうまっぴらだ」
勇者の少年は唇の片方だけで笑い、振り上げたままの拳の先にふっと息を吹きかけた。
「誰も死なない。死なせやしない。誰かが悲しんだり、苦しんだりする世界は御免だ。誰かの命と引き換えに救われる世界も御免だ。
この世に生きるすべての奴らが幸せな世界を、いつか必ず作る。綺麗事かもしれない。時間がかかるかもしれない。
でもそれが、俺の役目だ。みんなに命を救ってもらった「勇者」としての俺の生きる意味だ」
その時、馬車の荷台からアリーナが顔を出し、おーーーい、と手を振った。
「お茶が入ったわよ!みんなも一緒にどう?」
「だとさ。行くぞ、クリフト」
「あ、待って下さい」
すたすたと歩いてゆく勇者の少年の後を、クリフトは立ちあがると慌てて追った。
「ひとつ、お聞きしておきたいことが」
「なんだ」
「結界が解けたら、いよい決戦の時です。
最後の戦いで、あなたはリーダーとしてわたしたちに一体どんな命令を下すのですか。勇者様」
勇者の少年は足を止め、しばらく考えてから振り返った。
天から落ちて来た玉石のような、翡翠色のふたつの瞳は曇りなく澄んでいる。少しの迷いも、不安もない。クリフトはまぶしそうにそれを見返した。
勇者の少年は笑った。
「そうだな。とりあえずは、「みんながんばれ」だ。
それ以外のことはその時考える」
―FIN―