ドラクエ字書きさんに100のお題
48・見習といっぱしの境界線
「ほらよ、マーニャ。今日はこれを着て踊れ。前座だ」
劇場の支配人にぽい、とぞんざいな仕草で投げ渡された衣装を受け取り、マーニャは一瞬目を疑った。
(な、なによ、これ……)
裏地に手をあてると指の形まで透けそうな、うすもののレースがふんだんに縫い込まれたビスチェ。それと同じくらい薄い素材で出来た、ごく小さな貝の形をした胸あて。
こんな冗談みたいな衣装をあてがったところで、体を隠しているとは到底言えない。懸命に踊れば魔の「ポロリ」だって起こる危険性もある。あまりと言えばあまりな、下着で踊った方がまだましというような扇情的なデザインだ。
「ちょっと、おじさん!これはどういうことよ!」
「ああ?」
いつも酒に酔っているような赤ら顔の支配人は、マーニャのほうを見もせずに返事した。
「どういうこともこういうことも、今夜はそれを着て踊れってのさ」
「嫌よ!こんな頭の空っぽな娼婦が着るような品性のかけらもない衣装は!」
「こないだ入ったばかりの見習いの小娘が、なにを偉そうなことを」
支配人はちっと舌打ちした。
「お前だって薄着は嫌いじゃあるめえ。品性だのなんだの、いっつも着てる手足丸出しの服と一体どこがどう違うってんだ。
それにえらそうなこと言ってるが、所詮踊り子なんざ、男に肌を見せて喜ばせるだけの娼婦崩れだろ。マーニャ、実際小銭稼ぎにお前も陰で客を取ってんじゃねえのか。え、どうなんだ?」
どうしてこんな大馬鹿野郎がこの劇場の支配人なのか、誰だか知らないが任命した奴を思いきりぶん殴ってやりたい。
マーニャは黙って歯ぎしりした。このところのモンバーバラ劇場の廃れ具合も客層の悪さも、全てこいつが原因なのだ。
まだ入門して数十日のマーニャには、その凋落ぶり―――衣装や小道具の仕立てのひどさ、踊りの演目の趣味の悪さ、音楽を奏でる楽団の少なさ、楽屋の汚さ―――のなにもかもが驚きの連続だった。
子供の頃、あれほどあこがれたモンバーバラ大劇場の栄華は今や見る影もない。大体、踊り子たちのレベルも総じて低い。腕のいい女たちは、ここを見限ってさっさとよその町の劇場へと移ってしまうからだ。今や、まともに踊れる奴なんて新人のマーニャを含めてものの数人しかいない。
劇場の頂点に立つ支配人が踊りのなんたるかもわかっちゃいないから、わかっちゃいない客しか寄って来ないのだ。人は悲しいかな、同じ部類の人を引き寄せる。類は友を呼ぶは世界共通の法則だ。
大体、このあたしを見習い扱いして前座に出す時点で、もう終わってんのよ!この見る目のなさ!どうかしてるんじゃないの?ムキーーー!
「ぜんぶ声に出てるわよ、姉さん」
マーニャははっと我に返った。劇場の裏手の控室のテーブルの向かいから、ミネアが呆れたようにこちらを見ている。
「ムキーーーなんて口にする人、本当にいたのね」
「だって、どうしても許せないのよ!」
マーニャは憤慨して叫んだ。
「いやらしい衣装を強要するのは、まだ我慢してやるわ。仕事にかこつけてあたしのこの色っぽいダイナマイトボディを拝もうっていう下らない算段でしょ。
あたしが許せないのはね、踊り子って職業をはなから馬鹿にしきってることよ。男に肌を見せて喜ばせてるだけの娼婦崩れだなんて、失礼にもほどがあるわ!絶対に許せない」
「そういう姉さんだって、娼婦って仕事をはなから馬鹿にしてるじゃない」
ミネアは至極冷静な口調で言った。
「わたしのところには、さまざまな理由で小さな子供を女手ひとつで必死に育てている娼婦さんたちが、占って下さいとやって来るわ。
皆、凛と澄んだ瞳をしている。たとえ男に肌を見せて喜ばせる職業だとしても、それがその道で求められているプロの技能なのだと誇りを持って働いているわよ」
マーニャは口を開けてミネアの顔を見つめたが、しゅんと肩を落とした。
「……ごめん」
「わかればよろしい」
ミネアは冗談めかして大きく頷くと、ほほえんだ。
「職業に貴賎なしよ。誰も他人を馬鹿にすることは出来ないわ」
「でも、あたしはあの男のあの態度がどうしても許せないのよ」
「なにを言われようと、気にしなければいいの。自分を貫くのよ。
姉さんはもっと……」
ミネアはテーブルの上に置いた水晶玉に視線を落とし、内部でもやのように揺らいでいる七色の光にそっと手のひらをかざした。
「……そう、姉さんはもっと強さが必要。
あなたが生きてゆく中で、これからもこんな出来事は幾度も起きる。なぜならあなたは光。闇を照らし、自らが光ることで闇そのものすら輝かせる存在だから。
星が美しく見えるのは、辺りを包むのが闇だからでしょう。どうしてわたしがいる場所は闇なのだろうと嘆く星はひとつとしてないわ。
あなたはあなたらしく輝けばいい。それによって闇もおのずと磨かれてゆく」
「そんなこと言ったって、どうすればいいのよ」
マーニャは唇を尖らせた。
こういう時、ミネアはずるいと思う。好きなだけ愚痴を聞いてくれる優しい妹が、ある瞬間に有能なスピリチュアル・カウンセラーへとたちまち変身する。
そうなったとたん、もうつまらない愚痴はこぼせない。彼女が提示するのは未来を見据えた希望ある答えだけだからだ。愚痴なんて後ろ向きな言霊、いつまでも投げ散らかしているわけには行かないではないか。
「姉さんが今不満に感じていることを、順番にひとつずつ解決していけばいいんじゃないかしら」
「不満に感じているって、支配人のおじさんのこと?」
「そうじゃないわ。もっと実際的な意味での不満よ」
ミネアは手のひらを持ち上げ、華奢な指を丁寧に折りながら言った。
「さっきも言ってたわよね、劇場、控室、演目、楽団。今のモンバーバラ大劇場は、姉さんにとって不満がたくさんある。
もちろん、その中に支配人の態度も含まれるんでしょうけれど、他人を変えるのは簡単ではないわ。だったらわたしたちが変わるほうが早い」
「変わるって?」
ミネアは椅子から立ち上がり、マーニャにずいと近寄った。マーニャは怪訝そうに眉をひそめた。
「な、なによ」
「改革よ」
ミネアは片目をつぶった。
「不満を不満で終わらせない。姉さんという星が存分に輝ける舞台を作りあげるの。
それも、わたしたちの力でね」
……なんて、妹は預言者然と格好いいこと言っていたが。
「要は全部、自分でなんとかしろってことじゃないのさ……!」
マーニャは化粧気のない顔に汗を滲ませながら、舞台の壁に立てかけた板を懸命にのこぎりで切っていた。
あれからミネアとふたりで、まずは楽屋の徹底的な掃除に取りかかった。鏡を丹念に磨きあげ、色の剥げ落ちた壁は、塗料とはけを買って来て自分たちで塗り直した。ほうきで部屋のすみずみまで掃き、椅子を持って来て天井の桟(さん)の一本一本まで拭いた。
古くなった化粧品や香料はひとまとめにして捨てた。まだ使えたのに、と騒ぐ踊り子たちもいたが、古いものを使い続けると自身も古びて来るのですよ、踊りが受けて劇場がもうかれば、エンドール産の最新の化粧品が買えるではありませんかとミネアが言うと、全員黙った。
占い師とは得なものだ。なんでももっともらしく言えばみな神妙に聞いてくれる。じつはミネアは誰をもひれ伏させる、ものすごい発言力を持っているのかもしれない。
前時代的な古臭い衣装にはハサミを入れ、べつの布地と合わせて新しい衣装に縫いなおした。美しい体の曲線を生かした女性らしさはそのままに、踊り映えるよう腕や腰の部分を伸縮性のある組み紐で締め、裾のレースには小さな鈴をいくつも縫い込んだ。
こうすれば、動くたびに鈴の華やかな音色がしゃらん、しゃらんと鳴り響く。踊りが音を生みだし、音が踊りと共演する。衣装も踊りの大切な一部なのだ。
ひびだらけだった小道具は粘土で傷を埋め色を塗り直し、よほど壊れているものは新しく作ることにした。男手が必要な大工仕事は、故郷のコーミズ村から父エドガンの一番弟子のオーリンを呼び寄せ、手伝ってもらった。
姉妹の行動を聞きつけ、「お前ら、なにを勝手なことを……!」を文句をつけに来た支配人が、大男のオーリンにじろりと睨まれるなり、「ひいっ」とすくみあがって逃げ出したのも爽快だった。
マーニャはこっそりと舌を出した。
ざまあ見ろっての。このあたしを見習い扱いした罰よ。
もう誰にも文句は言わせない。邪魔もさせない。あたしはあたしの憧れたかつてのモンバーバラ大劇場の威信を、自分自身の手で取り戻してやる。
一流の踊り子とは、言われたとおりに踊るだけの操り人形じゃない。自分の面倒は自分で見ることが出来る人間こそが、本当のプロフェッショナルだ。
マーニャはのこぎりを思いきり引いた。どん、と音を立てて木板がまっぷたつに分かたれ、地に落ちた。
「うん、綺麗に切れたわ。ハイホー、これって見習いには到底出来ない仕事だわね。ねえオーリン、あたしたちのことどう思う」
舞台にせっせと木材を運び込んでいたオーリンは足を止め、したり顔でにやりと笑った。
「それはもう、いっぱしの職人です。おふたりの凛々しいご様子を聞けば、さぞ御父君も喜ばれましょう」
「ありがと」
マーニャもにっと笑い返した。
「じゃ、ここは頼むわ。大きめの足場を組んで、両サイドに花道を作るの。うんとおひねりを落としてもらえるよう、観客が存分に楽しめる舞台にしなくちゃね」
「マーニャお嬢様は、どちらへ」
「今使ってる踊りの演目を、一から見直すことにしたの」
顔をあげたマーニャの瞳が輝いた。
「あたしね、踊りたくてたまらない曲がたくさんあるの。酒場のマドリガルに宮殿の悲しいパヴァーヌ、妖しいハーピイの子守唄に下町の娘たちのワルツ。それはもう、星の数みたいにたくさん。
頭の中でこんなたくさんの歌が出番を待ってるのに、そのまま寝かせておくのはもったいないもの。戯曲作りの名手が街にいるらしいから、協力してもらえるかどうか声をかけて来る。
うまくいけば、その繋がりで腕のいい楽団も引っ張って来られるかもしれない。やってみる価値はあるでしょ」
「吉報、待っててちょうだい!」と叫んで、跳ねるように去っていったマーニャを目を丸くして見ていたオーリンの傍らに、ミネアがくすくす笑いながらやって来た。
「どうやら、越えたみたいね」
「なにをです?」
「見習いといっぱしの境界線よ」
ミネアは両手のひらに乗せた水晶玉を、額の上に掲げた。
「現状に愚痴をこぼしているだけでは、いつまでたってもただの見習い仕事。姉さんはこれで、真の意味で一流の踊り子になった。
まぶしいほど光る星は、たとえどんなに深い闇夜でも燦然と輝くことが出来るのよ」
ほら、見て。ミネアがほほえんで指し示すので、オーリンは巨大な体躯を丸めて水晶玉をまじまじと覗き込んだ。
そして目を見開いた。そこに、確かに見えたのだ。あふれかえる大観衆、色とりどりに飾られた舞台。楽団の奏でる荘厳な音楽、舞い飛ぶ紙吹雪。しゃらんしゃらんと鳴り響く鈴の音。
わき上がる大歓声。戻って来たモンバーバラ大劇場の栄華。
その中心で、光と戯れながら華麗に舞い踊る美しいジプシーの娘。
そう遠くない未来。もっとよく見たくてオーリンが目を凝らした瞬間に、だがそれはふっと水晶のゆらめきの中に隠されてしまった。
まるでこれから訪れるお楽しみを、一足先に見せるのはもったいないと出し惜しむように。
―FIN―