ドラクエ字書きさんに100のお題
43・しもやけ2号
「ねえ、さっきもあの氷の洞窟で会ったの、覚えてる?」
勇者と呼ばれる少年とミネア、マーニャ、トルネコ一行は、パデキアの種を入手すると再びミントスの街へ戻った。
土に植えて水をかけたとたん、あっという間に豊かに芽吹いたパデキアの根を採取し、宿屋で病に倒れているクリフトという青年に与える。
彼の同行者であるブライといういかめしげな老人、そしてアリーナという鳶色の目をした勝気そうな少女は、さきほどまでの苦しみようが嘘のごとく回復したクリフトを見ると、手を打って喜んだ。
アリーナに至っては、人目もはばからずクリフトに飛びつき、嗚咽を洩らしながら大粒の涙をこぼした。
寝台から起き上がったばかりのクリフトは不思議そうにあたりを見回し、腕の中のアリーナに視線を落とすと、困ったように頬を赤らめたのだった。
奇しくも命の恩人となったミネア達とアリーナ一行は、これも何かの縁だと、そのまま宿屋で食事を共にすることにした。
最初はぎこちなかった雰囲気が、料理と酒がすすむにつれて和んでゆく。ひととおりの自己紹介が終わると、今度はそれぞれが旅の理由を語り始める。
世界は広い。出自も年齢もまったく違う各々、故郷を遠く離れたわけは個別にある。
だが驚くことに、そこにいる全員に一貫して共通する目的があった。
デスピサロ、という名の正体不明の人物の行方を追っているということだ。
「じゃあ、一緒に探しましょう!」
誰もがそうすべきだと感じながら、それでいて躊躇(ちゅうちょ)して口に出来なかった言葉を、アリーナはじつに無邪気に言ってのけた。
「旅は多いほうが楽しいしね」
「そうですね。わたしも、それがいいと思います」
賛成も反対も出来ず、顔を見合わせるばかりの一行を決意させたのは、霊能力を持つ占い師ミネアの力強いひとことだった。
「勇者様の周りへとつどいゆく、七つの光。
今はまだ小さな光ですが、それはやがて導かれ大きな光となる……。
間違いありません。この出会いはさだめなのです。わたしたちは共に進まなくてはなりません」
かくて、天空の勇者の少年を取り囲む頼もしい仲間たちは、一夜にして総勢六人に増えることとなったのである。
この事態を当の勇者の少年がどう感じていたのか、それを知る者はいない。
彼は相変わらず無口で、相変わらず徹底して他人との距離を保ち、己れの心に秘めた感情の機微を、だれかに吐露することなど決してなかったからだ。
「ねえ、覚えてる?あなた、洞窟でわたしのことをじーっと見てたでしょ。
それとももう忘れちゃった?」
全身から拒絶の気を滲ませている勇者の少年に、初対面の人間が気安く話しかけるのは非常な勇気を必要とする。
だが、天真爛漫なアリーナは心の垣根を全く持たない性格らしく、ためらうことなく近づいてゆくと、天窓にもたれて夜空を見ていた勇者の少年の傍らに、ひょこんと顔を出した。
既に気配を察していたのか、勇者の少年は驚かなかったが、眉間に伝説のロンダルキア渓谷のような深い皺を寄せた。アリーナの方を見ようともしなかった。
「わたしね」
アリーナはまったく気にせず話し始めた。
「あの洞窟であなたに会ったとき、すごく不思議な気持ちになったの。
目を合わせてるのにひとことも口を開かないあなたのこと、頭に来てしょうがなかった。それなのに、おかしいくらい心がうずうずして、なんとかしてあなたたちについて行きたくてたまらなかった。
あのあとすぐにわたし、ひとりになって街に戻ったのよ。パデキアの種を探すのもやめにして。なぜだかわからないけど、そうすれば全てがうまく行くような気がしたの。
思った通りだったわ。クリフトも無事に元気になって、こうしてあなたたちにもまた会えた。これから一緒に旅も出来る。嬉しいことだらけよ!
わたしの予知能力も、意外と侮れないわよね。これからは今まで以上に自分の直感を大切にしなくちゃ」
「予知能力?」
勇者の少年は驚いたようにアリーナを見つめた。ふたりが言葉を交わすのは、ようやくこれが初めてだった。
「お前、予知の力があるのか」
「うーん、どうなのかな。あるのかどうか、まだはっきりとわからないんだけど」
アリーナは考え込むように首を傾げた。
「わたしの家系にはね、代々未来を見る力が備わっていると言われているの。その力を使って平和を尊ぶ治世を行うのよ。
わたしのお父様である現サントハイム国王には、とても強い予見の力があるわ。普段は眠らせているその力は、王国と民のためだけに使われる。偉大なる聖祖サントハイムがはるか昔にそうすべしと定めたのよ。
あなたも知っているでしょ?水晶の泉から現れた謎の聖人によって築かれた、開闢(かいびゃく)ニ千年のサントハイム王朝の歴史を」
「知らない」
勇者の少年は憮然として答えた。山奥の村から出たことのなかった彼は、王国の歴史どころか、サントハイム自体がどこにあるのかも知らない。
「あ、そう……」
アリーナは戸惑ってまばたきし、珍しいものでも見るように勇者の少年をしげしげと眺めた。
誇り高き王家の末裔である彼女にとって、サントハイムこそこの世界の根幹であり、この世界の根幹が大サントハイム聖王国であった。
幼い頃から、そう教え込まれて育って来た。まさかこの世を救う予言の勇者が、その存在を知らないだなんて想像もつかなかったのだ。
「と、とにかく、とっても古くて大きな国なの、我がサントハイムは。
そしてわたしはその後継ぎ……なんだけど、今はこうしてクリフトとブライと共に旅をしてる。
最初は気まぐれな腕試しのはずだったんだけど、このままふるさとに戻ることは出来ないわ。
だって誰も……、お父様も、カーラも大臣たちも、誰ひとりいなくなってしまったから……」
うつむいたアリーナの表情がみるみる悲しそうにくもり、大きな瞳が涙でいっぱいになる。
だが急いで首を振ると、顔を上げて無理矢理笑顔を作る。その様子を、勇者の少年は黙って見つめていた。
「大丈夫。こんなことでわたしは負けないわ」
アリーナは呟いた。
「誰もがひれ伏す大いなる予知能力は、わたしにはないかもしれない。
でも、わたしの勘は当たるもの。だから、わかるの。愛するサントハイムはいつか必ず救われる。
それを信じて、わたしはこれからも旅を続けるつもりよ」
アリーナはそっと手を伸ばすと、ごく自然な動作で勇者の少年の手の上に自分のそれを重ねた。
「だから、どうかあなたも信じて。
あなたの大切だったものは、必ず救われる。クリフトが言ってたわ。魂は決して消えることはない。光となって永遠に生き続けるのよ」
そうか、だったら教えてくれ。
救われるってなんだ?
無惨に殺されてしまった人間がなにをどうすれば、必ず救われるというんだ。
いなくなったものは、戻って来るかもしれない。でも、失われたものは二度と戻らない。
魂の有無を説いたところで今さらなんの意味もない。たとえ光となって永遠に生きるとしても、それを目にすることなど俺にはもう出来ないのだから。
傲慢さと希望をはき違えているこの王女は、たったいま自分がどれほど残酷な言葉を口にしたのか、果たしてわかっているのだろうか。
「お前、手」
勇者の少年は緑の瞳を細め、うっすらとほほえんだ。
手のひらをくるりと返すと、重ね合わせているアリーナの手をきつく握りしめる。
「しもやけだ」
「あ……、こ、これはその、あの洞窟の中が凍っていてとても寒かったから……」
アリーナはどきまぎして顔を真っ赤にした。
「あなたの手こそ、こんなに腫れてるわ。すごく痛そう。大丈夫?」
「平気だ」
勇者の少年は感情のこもらない平淡な声で言った。
「痛いのはべつにつらくない。
なにも感じなくなってしまうよりは」
握った手を離そうとする気配が一向にないので、アリーナはどうすればいいのかわからなくなって、空中に視線を泳がせた。
クリフト以外の異性と手を繋いだのなんて、生まれて初めてだった。これはこれからよろしくという、異国式の親愛の挨拶なのだろうか。世界は広い。勇者がサントハイムを知らないくらいなのだ。自分の知らない風習があったとしても決しておかしくはない。
握りしめた勇者の少年の手は、氷のように冷たかった。こんなに冷えきった手、ずっと握っていたらしもやけが余計ひどくなりそうだ。
背後からクリフトが物問いたげな目でこちらを見ているような気がして、アリーナはどうにもいたたまれない気持ちになった。
「わたしのほうが先に洞窟に入ったから、しもやけはわたしが先。
わたしが一号で、あなたは二号。氷はもう勘弁よね」
動揺を隠そうと冗談めかして言ったが、勇者の少年は笑わなかった。
代わりに重ねた手のひらが徐々に熱くなって、虚空に湧き上がった楕円形の金色の光が、ほろほろと熔けながら肌に浸透してゆく。
アリーナは目を見開いた。ホイミだ。でも、クリフトが使うのとは少し違う。クリフトが放つ光は、もっと白っぽい暖かい色をしている。知らなかった。魔法とは使う者によって、それぞれまったく違う輝きを放出するのだ。
「女のくせに鉄の爪を振り回して戦って、変な奴だと思った」
ふたりのしもやけが同時に綺麗に消えると、勇者の少年はもう用はないというように、ひどくそっけない仕草で手を離した。
突然放り出されたアリーナの手は、行き場を失って力無く宙ぶらりんになった。
「ちゃんと覚えてる。お前のこと」
その言葉が最初の問いかけに対する答えだと気づいた瞬間、勇者と呼ばれる少年は既に踵を返して、アリーナのもとから静かに立ち去って行った。
―FIN―