ドラクエ字書きさんに100のお題
31・臆病な兵士
ぶつかり合う剣戟の音。
かあん、かあんという、腹の底に響く金属音。
それが鳴っているうちはまだいい。降り下ろされた武器と武器が音を立てて交差しているということは、その刃は今のところ、人の体を傷つけてはいないということだ。
怖いのは喧騒の隙間を縫うようにして訪れる、深い静寂。
人がほふられる瞬間。命の珠の緒が断ち切られる瞬間。
なんて恐ろしく静かなのだろう。
怖い。怖い……!
北部辺境での、山賊とバドランド王府軍との小競り合い。規模は小さいものの立派ないくさだった。
だが王都から距離があったこと、また本部の熟練された軍人たちがちょうど隣国との共同軍事演習に出向いていたこと、の二点で、王府軍そのものが出撃することはなく、戦地にはまだ叙勲を受けたばかりの少年兵士たちが、いざこれ初陣と駆りだされた。
足場の悪い山岳地帯での戦い。訓練とは全く違う。空気が薄く、寒さと緊張で体力はどんどん奪われて行く。
敵も形相を真っ赤に歪め、死に物狂いで攻めて来る。当たり前だ。命が懸かっているのだ。山賊に恩赦はない。負ければ捕えられ全員殺される。
対するバドランドの少年兵士たちも、初めてのいくさに必死だ。軍事演習を優先して卑しい山賊との戦いを渋った上司のやりくちに、疑問を抱く暇もない。無我夢中でお仕着せの銅剣を振り回す。
両軍の均衡は長く続き、やがて張り詰めた緊迫感がついに弾ける時が来た。
どちらがわの人間だったろう、恐怖に我れを忘れてしまった者が暴挙に出た。山岳部に火が放たれたのだ。
「わあっ」
見習い衛兵になりたての少年ライアンは、周囲を白煙に包まれたことに気づくと、両手で頭をかかえてしゃがみこみ、硬く目をつぶった。
ああ、どうしてこんな所へ来てしまったのだ。自分は夢の行きつく先を完全に間違えた。
幼いころから祖国バドランドのために役に立ちたいと思っていた。愛する王国にとって、いくばくかでも価値のある何者かになりたいと。
そして男丈夫と生まれたなら、それは凛々しくいさましい王宮戦士でしかないと。
だがそれは、あくまでも童話の騎士に憧れるような淡い夢物語の延長だった。戦士の命は常に死と隣り合わせであり、こうして知りもしない山奥のへき地で、家族のだれにも看取られずに死ぬこともあるなどとは考えもしなかったのだ。
怖い。怖い……!帰りたい!
「ライアン、この怯懦(きょうだ)の主。臆病な兵士よ。何故自ら戦いを放棄する。
戦士として戦い抜く覚悟もないのなら、とっととしっぽを巻いて家に帰り、恋しい母親の乳でも吸っておれ」
うずくまるライアンの前に、ひとりの騎士がすくと立った。瀟洒な紫紺の口髭をたくわえた、訓練生時代からの直属の上司である衛兵部隊長だ。
「逃げろ」
だが勇ましい叱咤に続いたのは、空気を這うような音色を押し殺した言葉だった。
「ここはもう駄目だ。風が強すぎる。山が火の海に変わってしまう前に、今すぐ逃げろ。ライアン」
「でっ、でも」
ライアンは泣きだしそうに顔を歪めた。
戦士たる者、決して敵に背を向けるなと教えられて来た。本当は今すぐにでも逃げ出したいが、 脳に刻みつけられたバドランド王府軍の誓いに身体が縛られて動けない。
すると紫紺の口髭の戦士は、目尻に皺を寄せてにっと笑い、「そんなもの、気にするな」と言った。まるでライアンの心の声が聞こえたかのようだった。
「男たる者、小事にこだわってどうする。王宮戦士の生きざまは格好よくなくてはならぬ。死にざまもだ。お前のような小童がなんの手柄も立てぬままここで炎のもくずと消えるのは、じつに格好がよくない。
お前がいつか、今ならば死んでも構わぬ……と心から思えるいくさに出会った時、初めてお前は一人前の戦士となれるだろう。
その頃は……、そうだな、お前も大人になっているであろう。わたしのように、髭を生やしてみてはどうだ?
幼い頃からおなごのような顔立ちだと言われるのが嫌でたまらなくてな、叙勲を受けてからすぐに口髭を伸ばし始めた。
よく見ると、お前も戦士には不似合いな童顔だ。きっと似合うと思うぞ、ライアン」
その時、ひゅんと音が閃き、視界を矢が横切った。一瞬の静寂が訪れた。
沈黙をまとった矢は恐ろしい速さで部隊長の胸を貫き、目の前の木に深々と突き刺さった。
「うわあああっ、隊長!」
部隊長はどうと地に膝をつき、苦悶の表情を浮かべた。
「早……く、逃げろ!ライアン……」
「隊長!隊長!いやですっ」
泣き叫びながらしがみついて来たライアンを、部隊長は渾身の力を込めて突き飛ばした。紫紺の口髭がぶるぶると震えた。
「いいか、ライアン。いつか必ず立派な王宮戦士となれ。そして、怯え、立ちすくんでいる他人の背中を押してやる事の出来る人間になれ。
世界にはな、今のお前のように、自分がどう戦えばいいのかすらわからぬ者が五万といるのだ」
さあ、逃げるのだ。
そう言い残して部隊長は頭から大地に崩れ折れ、もうなにも喋らなくなった。
四方を取り囲んだ火の海が、緑の大地を炎の舌であまさず舐めとってゆく。ライアンは泣きじゃくり、訳のわからぬ叫び声をあげながら、走った。
足がちぎれてしまうのではないかというほどに走って、走って、走り続けた。
死にたくない。死にたくない。大人になって、部隊長のような立派な戦士にならなければ。こんなちっぽけな自分を生かしてくれた。自分は彼との約束を守らなくてはならない。
大きくなったら、格好いい口髭を生やすんだ。一人前の王宮戦士になるんだ。
いつか、今ならば死んでも構わぬ……と心から思える戦いに出会うため。
この世界のどこかにいる、怯え、立ちすくむ誰かの背中を押してやるために。
(その時までは、死ねない)
ライアンは立ち止まった。振り返ると、さっきまでいたはずの場所はすでに紅蓮の山と化していた。
仲間の少年兵士たちも、山賊ばらも、どこへ行ったのかまるで姿は見えない。目に映るのは火柱をあげて吹きあがるオレンジ色の業火だけだ。
生きることも、死ぬことも、全部まぼろしみたいだ。
ライアンの目から、涙がばらばらとこぼれ落ちた。たった数秒で、その分岐点はいやがおうでも勝手に体をすり抜けてゆく。運悪く死ぬ者、運よく生きる者。そのどこに違いがある?なにも違わない。だって今生きている者だって、いつかは必ず死ぬのだ。
だったらせめて、格好よく生き抜いてやる。
この大地に無様に屍をさらす、その最期の瞬間まで。
頬を涙に濡らしたまま、ライアンは前に向き直った。これが生涯最後の涙だった。
ニ十数年後、救国の英雄と呼ばれて崇められるバドランドの王宮戦士は、こののち一度たりとも泣くことはなかった。
その命消えゆく瞬間まで。
それは荒ぶる運命に翻弄された、天空の勇者の背中を押した男。硝子細工のような心のもろさを紫紺の口髭の奥に隠した、本当は臆病な王宮戦士。
―FIN―