ドラクエ字書きさんに100のお題
25・契約期間
「今日で契約期間は終わりよ、クリフト。どこへでも好きなところへ行きなさい」
はいっ?
朝一番で呼びだされたとたん、サントハイムの王女アリーナに唐突に告げられて、神官クリフトは顔からさーっと血の気が引くのがわかった。
契約期間?
終わり?
「ひ、姫様、それはどういう……」
「お前とわたしの主従契約は、今日をもって終了したってこと」
アリーナはなんの感慨もないように、顔色を変えずに言った。
「もともとお前は教会に勤める聖職者だもの。母親のいないわたしのお世話係にと、子供の時からずっとそばにいてくれたけど、もう無理することはないわ。神様のもとへ戻っていいのよ。
今までありがとう。そして、長いあいだお疲れさま。わたし、お前のことを決して忘れない」
じゃ、さよなら……と会釈した、アリーナの左の頬の小さなえくぼを凝視する。
どういうことだ、これは?鼓動がどくどくとはやまり始めた。出しぬけになにをおっしゃるかと思えば、契約期間の終了だって?わたしたちは契約していたのか?わたしとアリーナ様は、主従契約という義務にのっとってこれまで共に過ごしていたというのか?
そしてそれは、こんなひとことであっけなく終わりになるような軽いものだったのか?
「なーんちゃって。はい、ポワソン・ダブリル!」
アリーナの硬い表情がゆるむと、白い歯がにこっと朝日の前に浮き彫りになった。クリフトは唖然としてそれを見つめた。
「まったくもう、なんて顔するのよ。お前はきっと嫌ですって抵抗するだろうから、もう少しいろいろ理由をつけて引き延ばそうと思ってたのに。
まるで捨てられた子犬みたいに情けない顔するんだもの、これ以上嘘がつけなくなっちゃった」
「う……、嘘?」
「そうよ。驚いた?」
アリーナは満足げに言った。
「今日は、古代西方に伝わる伝説のポワソン・ダブリル(エイプリルフール)。今日一日だけは、誰でも嘘をついていいって許されている日なの。
でも、まさかお前がこんなに簡単に引っかかるとは思わなかったわ。クリフトって単純なんだから」
次はもっと引っかかりにくそうなターゲットを探すことにするわ。そうね、例えばあいつなんかいいかも……と、馬車のたもとに寝そべっている天空の勇者の少年に目星をつけ、アリーナはクリフトをその場に残してさっさと行ってしまった。
クリフトは深々とため息をついた。嘘という単語が胸にしみ込むと、鼓動の高まりがゆっくりとおさまっていく。
たとえ許される日であろうとも、ご自分がどれほど罪深い嘘をついたのか、姫様はおわかりになっていらっしゃらないのだ。
(それにしても、わたしとアリーナ様のあいだに主従契約が結ばれているなんてこと、実際あるものだろうか。
本来聖職者であるわたしがこれほど長いこと教会を留守にしても、司祭様がたはとくに咎めるでもないけれど、もしかして教会とサントハイム王家のあいだでわたしも知らぬ秘密の契約が交わされているなんてことは……)
だとすれば、たった今のポワソン・ダブリルの嘘がいつか本当になってしまう日が来るのかもしれない。
わたしと姫様のあいだには、子供の頃からの身分を越えた絆があるとうぬぼれていたけれど、そんなものは契約終了の文字の前に、いつでも簡単に裂かれてしまうものなのかもしれない。
契約期間が終わってしまえば、ふたりが共に過ごす時間も終わる。いつぶっつりと途絶えるかもわからない、砂の城のようなもろい、もろい関係。
これほど長く共に過ごしても、そこになにも確かないしずえがないということを、クリフトは改めて知らされる思いだった。
「姫様。わたしと貴女様の契約期間を、一生涯にして下さい。どうか死ぬまでおそばにいさせて下さい。
だってわたしは貴女様を、ひとりの男として心から愛しているのです」
呟いた懇願に、離れていたアリーナがえ?と振り返った。明るい表情がわずかにこわばっている。きっと聞こえたのだ。
契約でもいい。こんな他愛ない幸せな時間がもしも明日突然終わるとしても、わたしの想いは変わらない。
毎日、いつ終わりが来ても悔いのないように、この命の全てをかけて貴女を愛するから。
答えに窮するアリーナの頬が、桜色に染まっていく。クリフトは人差し指を立てて左右に振ると、さっき彼女がやったように、白い歯を見せてにっこりと笑ってみせた。
「なーんて、嘘ですよ。引っかかりましたね、姫様。
ハレルヤ、今日は愉快なポワソン・ダブリル!」
―FIN―