ドラクエ字書きさんに100のお題
16・足音
軽やかなその音を聞いていると、自然と顔がほころんでしまう。
我れながら、安上がりな男だと思う。姿を見なくてもいい。足音だけで、こんなにも嬉しさがこみ上げる。あのお方がそこにいる。わたしのすぐ後ろ。
「ねえ、隊列の順番を変えましょう」
抑えきれない幸福感に、ひたすらにこにこしながら歩んでいると、背後から不満をいっぱいに詰め込んだ声がした。
ほほえみを顔に貼りつかせたまま、クリフトは振り返った。
「はい?」
声の主……アリーナはうんざりした顔をした。
「なに、笑い袋みたいにひとりでにまにましてるのよ。気持ち悪い」
「も、申し訳ありません」
「大体城を出てからこっち、お前、上機嫌すぎるわ。なんなの?わたしは隊列の順番を変えようって言ってるの」
彼女はどうにも腹に据えかねると言った様子で語気を強めた。
勝気そうな鳶色の瞳と、くるくるした巻き髪がなんとも愛らしい、音に聞こえるサントハイムのお転婆姫だ。つい先日、とうとう彼女にとっての監獄である王城を飛び出し、腕だめしの旅に出たばかりである。
天候にも恵まれ、旅は至って順調。ただひとつ想定外なのは、自由なひとり旅を送るはずだった彼女に、神官クリフトと魔法使いブライという腰巾着がふたつくっついて来たということだった。
「どうしてわたしが先頭じゃないのよ」
アリーナはクリフトをきっと睨んだ。が、なにぶんクリフトの方が頭ふたつ分ほども身長が高いので、背伸びして六十度近く首をもたげなければならなかった。
「行軍の先頭といえば、旅の指揮を取るいわばリーダーでしょ。どうしてそれがクリフトなの。こんなの、おかしいわ」
クリフトは首を傾げた。
「しかし、高貴なご麗人が御幸なさいます時には、まず先導者をつけるのが道理というものです」
「高貴!ご麗人!そういうもったいぶった肩書きが嫌だから、わたしは城を出たの。今のわたしはサントハイムの王女でもなんでもない、ただの一介の武術家よ。
王家の慣習をいつまでも引きずって旅をするつもりなら、お前はさっさと城に帰ってちょうだい」
「い、嫌です!」
「だったら、先頭をわたしに譲って」
「ですが……、それではもしも魔物が突如現れた場合、誰が盾になって貴女様をお庇いするというのですか」
「庇ってもらう必要は全くないわ」
アリーナは半袖の短衣から伸びた健やかな二の腕をぐっと折り曲げ、いさましげなポーズを作ってみせた。
「全部、わたしがやっつける!」
いくら腕に覚えのある姫様とは言え、凶暴な野生の魔物をそう簡単にやっつけるなど出来るわけないではありませんか、とクリフトは顔をしかめたが、その目算がすべて誤りであったことをこの後すぐに知ることとなる。
言い出したら聞かない彼女に納得してもらうためには仕方ない……と、隊列はアリーナ、クリフト、ブライの順番にすみやかに変わった。
アリーナは喜びに顔を輝かせた。
「先頭ってなんて素敵なのかしら!誰かの背中を追いかけなくてもいいのね。わたしがわたしの行く先を自分で決めるの。わくわくしちゃう」
「道中、重々お気を付け下さいませ」
心配そうな声を上げて彼女の後ろを追いながらも、クリフトは全く違う意味でこみ上げるわくわくを抑えることが出来なかった。
(姫様のお姿が、いつもわたしの視界に……!)
この順番で旅をすれば、足音どころではない、愛するお方の背中を常に見ていられる。しかも、堂々と遠慮なく。
ぱたぱたと大地を蹴る音色を聞くだけでもあんなに嬉しかったのに、それ以上の幸せに恵まれてどうしたらいいんだ。いとしいお方がいる。わたしのすぐ前。
ああ神様、生きていてよかった。腕試しの旅、万歳。万歳です!
だが、突如として降ってわいた幸せは、初心(うぶ)で生粋の堅物の聖職者には少々刺激が強すぎた。
元気よく闊歩するアリーナのまとう短いスカートが、歩みを速めるたびひらり、ひらりと風に舞い上がり、その都度黒いタイツを履いたすこやかな二本の足がクリフトの眼前に見え隠れするのである。
見まいと思っても、無理だった。鎖をつけられたようにものすごい力で視線を吸い寄せられてしまう。駄目だとわかっていても、つい見てしまう。大好きな彼女の、まっすぐ伸びたなめらかな足。なんて綺麗なんだろう。恋する年若い青年には、あまりに強烈過ぎる誘惑だった。
「ぶっ」
急いで鼻を押さえたがもう遅く、クリフトはもんどり打って地面に倒れ込んだ。アリーナとブライはぎょっとして叫び声を上げた。
「どっ、どうしたの!?クリフト!鼻血?」
「血気の多い子供じゃあるまいし、なんじゃ突然!」
「も、申し訳ありませ……姫様の従者ともあろう者が、なんたる不覚……大変、申し訳……」
(駄目だ)
心配そうに見つめるふたりに引きつった笑顔を返しながら、クリフトは手巾でごしごしと顔を拭い、くっと唇を噛んだ。
(駄目だ。こんな不届きな振る舞い、絶対に許されるものではない。今のわたしは姫様の足音で十分だ。そばにいて、足音が聞けるだけで嬉しいんだ。
それ以上は……正直、身が持たない)
(だから、誓うぞ!天にまします神にかけて。もう二度と、絶対に、何があっても、わたしは旅のさなか、姫様のおみ足を不埒な目で見たりなどしないと……!)
それからというもの、クリフトはサンバイザーのついた神官帽をより深く被るようになり、行軍中も上空前方ばかり見つめて歩むようになった。
魔物には翼竜系の飛行型もいる。小柄なアリーナとブライが四方に気を配るのと同時に、長身のクリフトが上空に注意を払うことで警戒のバランスが取れ、奇襲攻撃をうまく避けることが出来、旅を非常にスムーズに進める事が出来るようになった。
アリーナ、クリフト、ブライ。さまざまな紆余曲折あったものの、三人が組む隊列はどうやらこの順番が理想的だったようだ。
「また笑ってるのね、クリフト」
振り返ったアリーナは、空を見上げながらにこにことほほえんでいるクリフトに気づき、怪訝そうな顔をした。
「お前ったら、いつもひとりで笑ってるわ。笑い袋じゃあるまいし、なにがそんなに楽しいの?」
いいえ、楽しいのじゃありません。嬉しいのです。あなたと共にこうして旅出来ることが。
姿を見なくてもいい。あなたはあんまり眩しすぎて、見つめる勇気がまだわたしにはない。足音だけで、こんなにも嬉しさがこみ上げる。あなたがそこにいる。わたしのすぐ前。
軽やかなその音を聞いていると、自然と顔がほころんでしまう。
胸が張り裂けそうなほどのこの想いを満たしてくれるのは、ささやかなあなたの足音だけでいいのです。
-FIN-