ドラクエ字書きさんに100のお題
14・無知の知
知らぬということはなんと恐ろしいことであろうか、とライアンは身を切るような思いで噛みしめた。
馬車の荷台に胡坐を組み、時がずいぶん経った。いや、実際にはたいして時間は経過していないのかもしれない。
なにもせずにただ潰すだけの時間の、なんと過ぎるに遅いことか。ぽかりと邪悪な口を開けた洞窟に入って行った四人の仲間たちが戻って来るのは、あと何時間後のことなのだろう。
「ここは俺とアリーナとクリフト、マーニャで行く」
またか。何故拙者を選んでは貰えぬのだ、と喉まで出かけた言葉を、ライアンは焼けた石を飲むような思いで嚥下(えんか)した。
この旅の先導者は、人間と天空びとの血を半々に受けた勇者である緑の瞳の少年だ。従って彼の最終決定が絶対であることは、既に仲間たちの暗黙の了解と化している。
旅の初めは作戦を立てるはおろか、仲間と口を利くのすら厭うていた彼が、短期間でリーダーとしてここまで目覚ましい成長を遂げたのは、ひとえに彼自身の天賦の資質だと感服するほかはない。
実際、緑の目の少年は才気渙発な勇者だった。すぐれた剣士であり、攻撃と回復を同時にこなす卓越した魔法使いであり、また臨機応変に作戦を組みたてる優秀な策士でもある。頭の回転が非常に速い。そして、仲間の意見を取り入れることを惜しまない。
口数が少なく、無愛想ゆえ一見独断的に見えるが、仲間が告げる情報をじつは一語一句洩らさず耳に留めている。そしてそれを全て集約したうえで、その時最も効率的だと思われる作戦を掲げる。
旅の前まで全く外の世界を知らなかった、まだはたちにも満たぬ十七歳の少年が、だ。このぶんではあと十数年も経って、少年の殻を脱ぎ捨てた精悍な男丈夫と化した頃、一体どれほど成長しているのかと末恐ろしくなる。
彼はきっと世界を救う英雄となるだろう。
ライアンは紫紺色の瞳を、馬車の荷台の木板の床に落とした。愛用の剣を包んだ巨大な鞘が、出番を待ち望むようにじっと横たわっている。
あの勇者の少年と正面から打ち合っても、未だ決して負けはせぬ。だが剣と魔法、知力という範疇(はんちゅう)において、根っから職業戦士の自分は彼のような柔軟な総合力を持たぬ。
いつか、あの少年の持つ強大な力の前に屈する時が来るのかもしれない。はたしてその時も今と変わらず鷹揚な笑みで、彼に「強くなったな、小僧殿」と賞賛の声を贈ることが出来るだろうか。若さに嫉妬するほど浅はかではない。他人の力を羨むほど狭量でもないつもりだ。
だがこうして馬車の中で髀肉(ひにく)の嘆をかこつ日々が続けば、いかに剛毅な精神力に自信のあるライアンといえど、背筋が泡立つような歯がゆさを抑えることが出来なくなってくる。
戦いたい。
馬車を飛び降り、重く鉄錆臭い剣を振り下ろし、力の限りに戦いたい。己れの技量を確かめたい。知らなかったのだ。世の中にはどれほど修練を積んでも敵うことのない、予め神に選ばれて生まれて来る人間がいるのだと。
自分こそ最も強き者だと信じていた、愚かな驕りこそ無知の知。
「……ァ」
ひゅっと風鳴りのような音を聞き、ライアンは顔を上げた。洞窟の入口に、勇者の少年がたったひとり、剣を杖代わりにしてよろめくように立っている。馬車の中にいた仲間たちが悲鳴にも似た叫びをあげた。
両足を開いて踏みしめ、歯を食いしばる様子は、見た目以上にダメージが深そうだ。天空びとの血を継いだ輝くような美貌は朱に染まり、鎧をつけていない頬や腕がすぱりと切り傷に一閃されている。
ライアンは鞘を腰の剣帯に巻きつけ、すみやかに馬車から下りた。
「如何した、その深手。天下の小僧殿ともあろう者が」
勇者の少年は頬に着いた血を手の甲で乱暴に拭った。
「思ってたより敵が強え。残りの三人は洞窟内にとどまって、クリフトが魔法で回復させている。
が、時間の問題だ。俺の考えが甘かった。魔法が効かない奴がかなりいる」
「剣闘を主体に、短時間決戦の方が上策であったか」
「俺の代わりに行ってくれるか、ライアン」
勇者の少年は、血飛沫の飛んだ瞼の奥から鋭くライアンを見た。こびりついた飛沫はどうやら彼のものではなく、敵を斬った際に受けた返り血がほとんどのようだ。
この少年とて、若くとも幼い頃から鍛え上げられた、誇り高き生粋の剣士。己れの未熟を認めるこの言葉を口にするのに、心中どれほどの苦衷があるであろうか。ライアンは黙って勇者の少年を凝視した。
「ここは、俺じゃだめだ。あんたに頼みたい。行けるか」
「無論」
ライアンは腰の鞘から剣を抜いた。
「それこそ我が務め」
「頼んだぜ、おっさん」
にっと唇の片方だけで笑うと、勇者の少年はすぐさま顔を歪めた。
その場に片膝をつき、苦しげに咳き込む。馬車から飛び降りた仲間たちが慌てて彼のもとに駆け寄った。
ライアンは勇者の少年の横をすり抜け、洞窟へ踏み入った。むっと湿気のこもった空気が肌にまとわりつく。血の匂いと、悪意に満ちた魔物の気配。暗闇から無数の赤い目がけたけたと哄笑をあげながらこちらを睨みつけている。
上等だ。愚かな驕りこそ無知の知。だが、我にとって驕れる者は久しからず、は嘘偽りに過ぎぬ戯言。
我れこそ強しという心からの自負なくして、一体誰が真に強き者になれる?
己れが強く出来るのは、神に選ばれていない特別な血を持たぬこの身のみ。爆発的な天賦の力などない。だが、鍛えれば鍛えた分だけ必ず応えてくれる。
足を進めるライアンの前に、荒い息を吐く巨大な黒い塊が立ちはだかった。
「我れらが尊き勇者の御身に傷をつけた返礼は、しかとさせて貰う。
いざ、覚悟」
ライアンは口髭の奥の唇を持ち上げ、高々と剣を振り上げた。
-FIN-