導かれし者、夢を買う。
「わたしは一年三百六十五日、ありがたくも皆様とお金をやり取りして生きているプロの商人です」
プロの、という言葉を発音する時、トルネコは誇りやかに鼻をうごめかせた。
「お客様のお金回り事情に敏感でなければ、商人として大成することなど到底できません。
皆のお財布の具合くらい、各々の日々の過ごし方をすこし注意して見ていれば、すぐに解ります。
女性と違い、意外と男のほうこそへそくりを作りたがるってこともね」
クリフトは唖然とした。
「で、では、トルネコさんはわたしが自分だけのお金を持っているのを承知のうえで、この絵を買わせようと……」
「クリフトさんだけではなく、この仲間内の男性がたはみな、それぞれ戦闘の際に手に入れたお金をこっそりと貯めていらっしゃいますよ。
ライアンさんは行く先々の街で、最新の武器防具を遠慮なく手に入れるため。
そして、あなたは主人であるアリーナさんの身の周りの品を、いつでも新調出来る準備を整えておくため。
そして勇者様は……、あれは、単なるにわか収集癖ですね。
彼は村を出るまでお金というものをまったく見たことがなかったので、きらきら光るコインが珍しくてならないらしく、飲み終わった「ネ○カフェ」の空きビンにこっそり1ゴールド貯金しています。
小銭は循環しやすいから、一杯になったら募金するといいですよ、と言ったら素直に頷いていました。無愛想だけど、じつはとってもいい子です。
皆に迷惑をかけずに、自分のお金で欲しい品物を手に入れたい。その気持ちは素晴らしいのですが、クリフトさん。我々は今、身分立場関わりない複数の人間で旅をしているのです。
今後、所持金は全員分統一して、誰が誰のためにということもなく、みなが公平にお金を使える機能を整えて行きましょう。
こうして男性がた全員から徴収させて頂いたことですし、今日からMNT(導かれし仲間たち)8ルールとして、恋愛禁止……いえ、へそくり禁止。
皆の所持金は全てこのわたし、商人トルネコが金庫番としてお預かりさせて頂きます」
「男性がた、全員……」
クリフトは困惑して、恐る恐る尋ねた。
「あの、トルネコさん」
「はい」
「では、この女性画を買ったのはひょっとしてわたしだけでなく」
「ええ、ライアンさんも勇者様もお買い上げになられましたよ」
「ラ、ライアンさんに、勇者様まで!」
クリフトはくらくらと頭を抱えた。
「なぜだろう、自分の愚かさを棚に上げているのは重々解っているけれど、あのおふたりもこのような絵に興味を持つのだと思うと、軽いショックが」
「男ですしね。当然のことです。
でもあのふたりは、ふたりしてちょっと変わってますからねえ。当人に自覚はないみたいですが」
トルネコは肩をすくめた。
「ライアンさんは「この女性と同じポーズを長時間続ければ、ずいぶんと股関節が鍛えられるであろうな。参考にさせて貰おう」と言って、熱心に絵を見つめながらお帰りになられました」
「そ、そうですか。本来の趣旨となんか違う気がしますけど……、い、いや、本来の趣旨って何だ」
「勇者様はこういった色っぽい物を見慣れていないのか、最初はかなり動揺していらっしゃいましたが、こういう絵を見るのも男たる者必要不可欠な人生経験です、と言うと、渋々お買い上げになりました。
あの方はどうも、自分が世間知らずであることに強いコンプレックスを持っているようですね。
あまのじゃくなので、買って下さいと頼むときっぱり拒否しますが、みんなこのくらい持ってますけど、じゃあ無理に買わなくてもいいです、と言うとむきになって乗って来た」
「思春期の難しい年頃を、うまく扱いこなしていますね……。さすが、百戦錬磨の商人」
「でも珍しく力のこもった口調で、買うのは構わないが、俺はこんな絵何百枚見たってちっとも何とも思わねえからなって言ってましたよ。それがおかしくて」
トルネコは思い出したように体を揺すって笑った。
「あの仏頂面の勇者様にも、好みの女性というもののポリシーがあるんですねえ。
クリフトさんと同じように、絵の女性の顔をコインで隠して、こうして想像力を広げればいいんですよってお教えしたんですが、そんなことしても無駄だって言ってました。
耳が違う……とかなんとかぶつぶつ呟いてましたけど、まさか、ものすごく福耳の女性がお好きだとか。
クリフトさん、あなたは仲間内では一等勇者様と仲がいいですが、なにかご存知ですか」
「さあ、それは……どうでしょう」
クリフトは曖昧にほほえんだ。
「絵であれ想像であれ、人それぞれ、愛する人を想う場所は違うということでしょうね。
恋の成就が叶わない者たちは、誰かのふとした動作や仕草に、決して結ばれることのないいとしい相手を重ねる。
どうしても手の届かない人を愛してしまった者は、せめて空想の世界だけでも、愛する人とひととき結ばれたい。
愛する人を失ってしまった者は、ほんの一瞬、夢の中だけでもいいから、ひと目会いたいと願うしかない」
「だからクリフトさんは、水着姿の巻き毛のセクシーな娘さんに、手の届かないアリーナさんの妄想を悶々と膨らませるわけですね」
「せっ、せっかくそれらしいオチをつけてまとめようとしていたのに、茶化さないで下さいよ!」
「はいはい、すいません」
トルネコは肩をすくめた。
「とにかく、今後は個人的なへそくりの所持は無し。戦闘で手に入れた金品は、すべて仲間たち全員の物として一括管理。
解りましたね、クリフトさん」
「……はい」
「では、毎度どうも。お買い上げありがとうございます。
今後とも移動販売、有限会社トルネコ商店をどうぞよろしく」
腕利きの商売人から、気の置けない仲間の顔に戻ったトルネコが、虫も殺さぬ笑顔でひらひらと手を振る。
一等客室の分厚い扉が、ぱたんと背中の後ろで閉まる。
うっすら汗の浮かんだ手に掴んだ羊皮紙に目を落とし、クリフトはふーっとため息をついた。
半分冗談みたいな勢いで買ってしまったけれど、この絵、どうしよう……。
さっきはトルネコさんの喋りに思わず乗ってしまったが、見ず知らずの女性の顔を隠して姫様の想像を楽しむなんて真似、実際わたしには出来そうもない。
わたしはやっぱり、どれほど手の届かない場所におられようとも、アリーナ様は、アリーナ様ご本人じゃないと嫌だ。
大切なあるじの身の回りの品を、いつでも整えられるようにとこっそり貯めていた七百ゴールドを一気に使い果たし、自分はとても無駄な買い物をしてしまったのかもしれない、とクリフトが後悔しながら廊下を歩いていると、
「よう、なにぼーっとしてるんだ。悪魔神官」
「あ」
クリフトは声のする方へ目をやった。
階段横のバルコニーで、天空の勇者と呼ばれる緑の目の少年が白木の柵にもたれ、つまらなそうにこちらへ片手を上げている。