真に強き者
地獄の帝王を倒す、という名目の旅を見ず知らずの他人の寄せ集めで始めて、もうすぐ一年。
生まれ育った山奥の村以外でも、季節はちゃんと春夏秋冬順番に巡りゆくのが最初は不思議だった。
どこにいたって花は咲くし、夏は若葉が吹くし、秋は果実が豊かに実るし、冬は寒い。
季節は寒暖の差こそあれ、世界中にその土地なりの形で存在している。
すげえ。
……なんて、誰にも言わないけど。
~真に強き者~
「久し振りに手合わせをしようではないか。勇者殿」とライアンに言われた時は、正直迷った。
旅を始めた当初の剣を取り落とすほどの重篤さこそないが、未だに戦いの際に襲う手の震えは完治していない。
それを知っているのは、今のところバドランドの王宮戦士ライアンともうひとり、サントハイムの姫御前の従者、悪魔神官のクリフトだけだ。
だからって、他の奴らも馬鹿じゃない。
もしかしたら薄々気付いているのかもしれないが、今のところそれについて俺に追及して来る者はいない。
剣士でありながら己れの弱さに負け、いつまでたっても100%の力を出して戦える状態に戻れないということは、はっきり言って恥だ。
俺は弱い。
今の俺は弱い。
でも、誰にも負けたくないという気持ちだけは、繭玉みたいに弱く柔らかいこの心の中で、ふつふつと音を立てて火の粉を上げている。
「ああ、いいぜ」
ちょっとは笑って受け答えしようと、これでも最近は気をつけているつもりだが、一度身に着いた癖ってやつは早々たやすく変えられない。
また仏頂面で返事してしまった。
だがライアンは気にも留める様子もなく(このおっさんは、いつも大人ぶってやがるんだ)、額に当てる部分に分厚い筋金を入れた長い鉢巻をぐるりと頭に巻くと、俺にももうひとつを投げて寄こした。
真剣勝負の手合わせでは、時に間違いも起こる。
誤って刃で額を割ってしまわないように、手練れの剣士が相手であれば皆必ず手合わせ用の鉢巻を巻く。
つまり手加減はいらない、殺す気でかかって来い、と遠まわしに言ってるのと同じだ。
ライアンは口髭の奥で不敵にほほえむと、俺の正面につま先立ちで坐して膝を左右に開き、蹲踞(そんきょ)と言われる姿勢を取った。
立ち上がって剣を合わせる前、ライアンはいつも必ずこうして蹲踞する。
そして、数秒目を閉じる。
次に開いた時、そのまなじりは一切の周囲の色彩を映さず、ただ目の前の獲物のみに狙いを定める猛禽と化している。
恐らくそれが、このおっさんの剣術の流派での独特の精神統一の方法なのだろう。
俺はライアンが立ち上がるのを見届けて、腰の鞘から剣を抜いた。
ライアンは手に握った剣の刃を軽く右に開き、柄を内側に傾ける。バドランド流儀なのか、これも変わった構えだ。
対照的に俺は、真正面から構えるだけのごくありふれた正眼の体勢。
俺はこの構えしか師範に習わなかった。だから他のやり方を知らない。
だがきっと、ライアンは俺の立ち合いを厄介だと思っている。
俺は左利きだからだ。
通常の相手とは、構えが真逆。
ところが俺の構えを見て、ライアンは違う箇所でふっと感慨深げな笑いをこぼした。
「初めて手合わせした時も、そうだったな。全く同じだ」
俺は表情を変えずに問い返した。
「……なんのことだ」
「踵をべたりと地につけ、堂々たる風情で剣を構える。寸分の隙もない。じつに見事だ。
幼少から真剣にて剣技を教わり、その怖さを骨の髄まで知っている者の構えだな。
木剣で剣技を習った者は、つま先で立って構えてしまう。命を一度で断ち切る刃の重みを知らぬからだ」
「能書きはいい。さっさと始めようぜ」
本当はもう少しライアンの話を聞いてみたかったが、相変わらず、俺の口は心とは別の言葉を発する。
ライアンはまたほほえんだ。
「承知した。遠慮はいらん。
来い、小僧殿」
俺は間髪入れず、ライアンの喉元めがけて打ち込んだ。