Mots d’amour~愛の言葉~』
「お待ちあれ、勇者殿!」
苛烈を極めたとある戦闘を終えたばかりの、まだ皆息荒い、巻き上がる埃と土煙の渦中。
絶え間なく襲い来る戦いは、たとえ人外といえども、形ある命をこの手で断ったのだという罪悪感と、それを上手に打ち消してくれる、世界平和と言う大義名分との戦いでもある。
銀色の刃に絡みついた粘質な魔物の体液を拭うと、勇者の少年は剣を鞘に収め、仲間たちに背を向けてさっさと馬車へ歩きだした。
「聞こえぬか!お待ちあれと申している!」
「どうしたの?ライアンったら急に……」
「姫様」
不思議そうに問うアリーナを、クリフトは首を振って制した。
「もう一度呼べばよろしいか、それとも声音を痛みに換えねば解らぬか!」
怒号が響くと、勇者と呼ばれる少年は足を止めて振り返った。
感情の読めない平淡な瞳が、戦士の武骨な三白眼を睨み返す。
「なにか用か」
「いかようなおつもりか、今の戦いぶり。あまたの仲間を率いる責を負う勇者のものとは到底思えぬ!」
常ならざるライアンの激し様に、仲間たちは皆ぴたりと口をつぐんだ。
屈強な体躯と武勇とは裏腹に、バドランドの王宮戦士は穏健な気性の持ち主で、めったに声を荒げることなどないのだ。
「なぜあのように、突き技を繰り返す?」
ライアンは怒りで声を震わせた。
「もしも疾風突きを会得していることが、まだ若い貴殿を増長させているのなら、そのような下技は黄泉にて百辺も滅んでしまうがよい!
無闇と突きを繰り出すことがどういう意味を持つのか、幼少より剣術を叩き込まれてきた貴殿ならば、しかと承知しておられよう」
勇者の少年はそれには答えず、黙って眉を上げてみせた。
だからなんだ、何が言いたい、という仕種に見えた。
「突きは、身を捨てて打つ死に太刀である」
ライアンは今や蒼白になって言った。
「突きは相手の身体に居つく。もしも敵が複数いれば、剣を引き抜くその間にやられてしまう。
また、技をかわされたとしても、構えが崩れるゆえすぐに二の剣が振るえない。
貴殿のように節操なく乱打すれば、いつか必ず命を落とすであろう!」
「たら、れば、の話は止めてもらえるか。ちゃんと全部倒した」
美貌の少年は冷笑を浮かべた。
「それに、自由に戦って命を落とすなら本望だね。誇りを持って死んでやるさ」
「これはしたり。なんと情けなし。それが世界を救うべき唯一無二の勇者のお言葉か!」
「じゃあ逆に俺から聞こう。あんたに一体なにがわかる。一体いつ誰が、勇者になりたいって頼んだ?」
勇者と呼ばれる少年の瞳に、初めて感情らしき熱が滲んだ。
「俺は生まれてからただの一度も、そんなものになりたいと言った覚えはない。
大切だった奴らに戦えと言われたから、そうしなければ……俺にはもう、生きる意味がないから、仕方なく毎日剣を振り回しているだけだ。
勇者、勇者とそんなに御大層な思い入れがあるなら、いっそお前がなればいいだろう、ライアン。
強く聡明で仲間の信頼も篤いお前の方が、俺なんかよりよっぽどリーダーに向いてるさ」
「この……!」
「お待ちください!」
かっとなって振り上げた戦士の拳に、クリフトが急いで身体ごと覆いかぶさった。
勇者の少年は無表情にそれを一瞥すると、くるりと踵を返して歩き出した。
「待て!この……」
「ライアンさん!どうか、ここはお堪えあって」
「止めるな、クリフト殿」
ライアンの声が悲痛にひび割れた。
「教えてくれ、拙者が間違っているのか?あの哀れで愚かな我儘小僧は、自らの背負う宿命をなにひとつ理解しておらぬ。
だが、どうすればいいのだ。どう言えばあやつにそれが伝わるのだ。
日々考え続けている。言葉を探し続けている。だが解らぬ」
「ちゃんと伝わっています」
クリフトは苦しげに顔を歪めながら言った。
腹に食い込む鍛え上げた戦士の拳は、神官である彼にはあまりに重すぎる。
「全て、ちゃんと伝わっています。あの方は全部解っているのです。
ただ時間の渦に飲まれた置き去りの心が、どうしてもそれを受け入れられないだけ。
今日まで狼として生きて来た者が、お前は竜だ、さあ空を飛べと言われて、誰がすぐにそう出来るでしょうか。
しかも彼が与えられた翼は、愛する者たちのまだ温かい屍で出来ているのですよ」
夕陽が大地を焼く橙色の焔に、沈黙が影となって落ちる。
ライアンは唇を噛み、黙って拳を下げた。
「……すまなかった。一時の怒りに我を失うなど戦士失格だな。
大丈夫か、クリフト殿」
「剛腕が胃の腑を直撃で、この分では今日は食事を取れそうもありません」
クリフトは身体を離すと、下腹部を押さえてふーっと息を吐き、冗談めかして笑った。
「でも、大丈夫です。職業柄、食べないことには慣れていますから」
「それは困る。おぬしまで食わないとなると、仲間うちの若い男二人共が、揃って飯をしたためぬことになってしまう」
ライアンは落ち着きを取り戻して言った。
「どうやら怒りでは、傷ついた翼竜の心を解きほぐすことは出来ぬようだ。
癒しは拙者の役目ではない。悪いがここから先は、おぬしの出番だな。
拙者の当面の目標は怒鳴って説き伏せることではなく、まずあの小僧めに満足に物を食べさせることとしよう」
「大丈夫です」
クリフトは頷いた。
「神の子供」の名を持つ蒼いまなざしが、戦士の直截な眼をとらえた。
「いつか必ず、あの方が笑顔を取り戻す日が来ます。
微笑みの曲線を描いた唇に、たくさんの口福が運ばれる時が来ます。
何故なら、それが生きるということ」
「では楽しみにしておこう」
戦士はようやく笑って、下げた拳を手首からくるりと回して見せた。
「願わくば拳が一発入ってもなお食いたくなるほどの、凄まじい食欲であって欲しいものだ」