未来



「……よう」

その時、彫像のようにじっと佇んでいるライアンの背中に、ぎこちない声が掛けられた。

既にライアンはその人物の気配に気付いていたが、振り向かずに海を見ながら言った。

「この一行に合流するまで、拙者はある大切な友人とふたりきりで旅をして来た。

あのように多人数分の食事を作ったのは初めてだったが、はたして量は十分に足りたであろうかな」

「全員、残さず食べた。誰ひとり、多すぎるとも足りないとも言ってなかった」

「誰と誰が、残さず食べたと?」

ライアンの後ろから聞こえる声は、無感動に繰り返した。

「全員、残さずだ」

「……そうか」

ライアンは空を見上げ、薄く笑った。

「そうか」

「今日からもう、俺は飯を残さない。意地でも全部食う」

「いい心がけだな」

「剣を交える前から、おめおめと勝負に負けるわけにはいかないからだ。

……いや」

背後の声がわずかに震えを帯びた。

「ライアン。あんたの言うとおりだ。俺は弱い。飯もまともに食えず、剣士のくせにこんなにも弱っちまってる。

でも、もう負けたくない。

俺はどんなことがあっても、もう絶対に負けたくないんだ」

「おぬしの命はおぬしのもの。ゆえにおぬし以外の誰にも、その生に勝ち負けをつける権利はない。

だがおぬしを案ずる友として、その幸福を願い、傍らで支えることは出来る」

ライアンは静かに少年を振り返った。

その場に膝まづこうかとわずかに逡巡したが、真正面に立ち、彼に向けて右手を差し出す。

「さだめの神に奇しくも選ばれし天空の勇者よ、改めてここでお見知りおき願おう。

我が名はライアン、バドランドより馳せ参じた一介の王宮戦士。

これから勇者として未曾有の困難に立ち向かっていく、おぬしの力になりたい。

拙者は、剣を振るう以外はまったくの無能だ。おぬしの傷を癒すことは出来ぬ。また、おぬしの力を高める魔法を操ることも出来ぬ。

だが、いつもおぬしを案じている。拙者の志はいつも、おぬしと共にある。


おぬしが迷い、不安に襲われて立ち止まる時、その後ろにはおぬしを思う友が必ずいるということを、どうか忘れないでほしいのだ」


少年は黙って、差し出された分厚い掌を見つめた。

……もう二度と、誰かの手を握ることなんてないと思っていた。

両腕を組むのが癖になったのは、そうすれば誰の手も繋がなくても済むからだ。

でも、震えの止まらないこの手には、もしかしたらなにかを強く握りしめることが必要なのかもしれない。

それは剣でも盾でもない、もっと脆くて目に見えなくて、でもこの上なく温かい力に満ちているもの。

掌を重ね合わせて確かめるぬくもり。

未来へ続く、生きとし生ける命と命の絆。




船室に続く扉がぎいと音を立てて開き、隙間から仲間たちが興味深げにこちらを覗き込む。

デッキで舵輪を繰っていたクリフトも、いつのまにかこちらへ向き直り、二人の様子をじっと見つめている。

勇者の少年の緑色の瞳と、ライアンの紺藍色の瞳が真正面から重なると、どちらともなく表情を緩め、ふっと笑いを含んだ吐息を洩らす。

「皆の前で握手なんて、柄でもなくて落ちつかないな」

「拙者とて、右に同じだ。だから二度同じことをする気はないぞ」

「心配しなくても、一回きりで十分だ。俺はもう、一度聞いたことを決して忘れやしない」

少年は小さく息を吸い、戦士の骨太な手をしっかりと握りしめた。

繋がれた両手が朝日に照らされると、伸びたふたつの腕が、左右に広がる鳥の翼の形の影を描く。

数秒後、引っこめようとした手をライアンが力を込めて離さずにいると、勇者の少年はぎょっとしたように後ずさった。

だが、壮年の戦士が口髭の奥の白い歯を見せて大きく頷きかけると、まんざらでもなさそうに肩をすくめ、



「おっさん、馬鹿力だ」と呟いて、空いている方の手でそっと頬をかいた。





-FIN-


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