未来


パンをかじる。

肉を頬張る。

乱暴に咀嚼して飲み込むと、勇者の少年の額にたちまち苦しげな脂汗が浮かぶ。

(不味い)

不味くてたまらない。

まともな味を感知出来ない食事は、生温かい感触だけが口の中を荒れ狂い、まるで泥水を含んだ綿を押しこまれているようだ。

噛めば噛むほど、腐臭が広がる。酸っぱい嫌悪感がみぞおちまで立ち込めて、涙がこみ上げる。

辛かった。物を食べられないと実感することは、自分の命の行く末を見いだせないと知ることだった。

あの日から幾十日経っても、体が生きることを拒んでいる。自分は生きてはならない存在なのだ、とどこかで警鐘を鳴らしている。

生きることは、食べることだ。だとすれば自分は、その資格すら奪われてしまったというのだろうか。

あの憎らしい口髭の戦士の言うとおり、もう白旗を上げるしかないのだろうか。

その時、ふと視線がテーブル中央のシチューの大皿を捉えると、少年の脳裏に郷里の村を出てすぐに会った樵の老父の事が浮かんだ。

赤銅色の肌をした、針金みたいな髪の頑健な老父。行き倒れていた自分を連れ帰り、手作りのシチューを振る舞ってくれた。

物を食べさせ、眠らせ、弱った体を癒してくれた。

「生きてて良かったな、この馬鹿野郎」と言ってくれた。「いつまでだって、おめえの事を待っててやるからよ」と言ってくれた。

命を救い、生かしてくれた。

もしも俺があのシチューをもう一度食べて、今度こそ「うまい」と言ってやれたら、爺さんはきっと顔を真っ赤にして怒りながら照れることだろう。

あのとき爺さんは、俺にこう言った。

「汚れても、汚れても、泥の中を這いつくばってでも生きろ!」

勇者の少年はパンを飲み込み、肉の脂でまみれた指をこすり合わせると、唇の端で小さく笑った。

……ああ、そうだったな、爺さん。

あんたとの約束、うっかり忘れてたよ。

あんたに言われるまでもなく、俺はちゃんと知っていたのに。



神が鎮座するという美しい蓮の花は、泥の中からこそ咲き誇る。




黙々と食べ物を詰め込む少年の傍らで、自らも食事を始めようと導かれし仲間たちが、両手を組み合わせて神へ感謝の祈りを捧げる。

勇者の少年はそれを横目に見ながら思った。

祈りなんてものは、それがいざという時に何の役にも立たないと知らない奴らだけがするものだ。

だから俺は祈らない。

祈る代わりに、宣戦布告だ。

黙って見てるだけの神様とやらは、俺をすこしも助けてくれやしない。

だったら自分で生きてやる。

どんなに不味くたって食ってやる。

何があっても歯を食いしばって生きて、未来の俺が今の俺をおもいきり笑ってやる。

あの時、あんなに苦しんでいたな、お前はずいぶん参ってたな。でもちゃんと乗り越えられたじゃないか、お前も捨てたもんじゃないぜって、俺が俺を褒めてやる。

俺を励ますのも力づけるのも、この目に見えない神様なんかじゃない。



いつだって確かな希望をくれるのは、試練を乗り越えることが出来た俺が作り出す、未来の俺自身だけなんだ。




厳しく叱られないと気付かない、馬鹿な子供だと怒鳴られても仕方がないのかもしれない。

でもそれは自分が独りではないと確認出来る、奇妙に幸福な自嘲だった。

少年はもう一度つぶやいた。


見てろよ、神様。お前のくだらない思惑通りに行くもんか。


負けねえぞ。生きてやる。
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