星を視る者、漂う者
日が沈み、青紫の宵闇が落ちた酒場は、すでにあふれんばかりの客でごった返していた。
注文の品が来ないことに腹を立てて怒鳴る酔漢、肩を組んで瓶ごと酒をあおる、仕事上がりの職人たちの笑い声。
店の隅にしつらえた小さな舞台で、フィドルを手に歌う日雇いの吟遊詩人に送られる、調子のあまり合わない手拍子。
コナンベリーの酒場「鴎(かもめ)亭」は、まだ夜も明けやらぬうちから漁に出て行き、夕刻前には港に戻って来る船乗りたちのため、昼間から店を開けている。
盛り上がった両腕の力こぶに刺青を入れ、耳の裏まで赤銅色に日焼けした、屈強な船乗りたちの気性は荒い。
時に酔っ払い同士の激しい喧嘩が起こり、投げた酒瓶が壁に当たって砕け、テーブルがひっくり返って、作ったばかりの料理が散乱することもあった。
だが、勤めの長い酒場女たちはもう手慣れたもので、床に転がって取っ組み合う大男たちを見つけるたび、掃除用の長ほうきを振り上げ、頭と言わず腹と言わず容赦なく打ちつける。
ほうほうのていで逃げ回る男たちに向かって、大きな桶ごと冷水をばしゃんと浴びせかけ、とっとと店から追い出してしまうのだった。
こぼれた葡萄酒と潮の香りにまみれた汗、立ちこめる煙草のけむり。
荒くれた海の男たちが、騒々しく疲れを癒す憩いの場。
それがコナンベリーの酒場だった。
「いらっしゃい。ふたりでお越しかい、お客さん」
「ああ」
「一番奥のテーブルが、空いてるよ。
給仕係が注文を聞きに行くからさ、壁の石板に書いてある料理で食べたいものを選んでおく……」
カウンターで酒を作っていた女が言いかけ、勇者の少年の顔を見て驚いたように口をつぐむ。
少年とミネアが酒場に足を踏み入れると、あれほど賑わっていた店の中が、一瞬しんとなった。
短い静寂の後、誰かの唇から、ひゅうっと甲高い口笛が洩れる。
それを合図にわっと歓声が上がり、もうすっかり酔っ払った男たちが、勇者のる少年とミネアを囲むように一斉に体の向きを変えた。
「おお、こりゃあすげえ!」
「どっちも見たことねえくらいの、とんでもないべっぴんだ!
その器量、あんたら堅気の商売じゃないな」
「ここらじゃ見ない顔だ。そういや、南の桟橋に知らねえキャラベル船が停泊してたが、異国の娼館が夜祭り用に出稼ぎにでも来たか」
「よう、美人の姉ちゃん。いくら出せばあんたと楽しく遊べるんだ?
あんたみたいなシャンのためなら、俺は1万ゴールドだって払うぜ」
「ほざけ!法螺を吹くんじゃねえ。てめえは昨日のコロ振りで大負けして、1ゴールドたりとも金を持ってやしねえだろ。
俺はあんたがいいな、猫目石みたいな目をした、恐ろしく綺麗な兄ちゃん。
俺ぁ、先月でかい鰹を獲ったばかりなんだ。金ならたんとある。
あんたの言い値の二倍出してもいいぞ、いくらで売るのか言ってみな」
大男たちの顔が赤らみ、好色そうにやに下る。
ミネアはぞっと恐怖感に襲われ、思わずあとずさった。
震える声で「勇者様。や、やっぱり出ましょう」と言おうとしたが、勇者の少年はいつも通りの無表情で前を向いており、この騒ぎにもすこしも気圧された様子はなかった。
「なあ、べっぴんの姉ちゃん。あんたはいくらで買えるのか教えてくれよ。
なに、つんと澄ましてるんだ?気取ってないで、少しくらいこっちを向けって」
その時、調子に乗った男のひとりが、ミネアが羽織ったローブの裾を掴んでぐいっと引っ張った。
「きゃ……!」
ミネアは悲鳴を上げてよろめき、扉に手をついて、かろうじて転ぶのをこらえた。
「や、止めて下さ……」
だが次の瞬間、
「ぎゃあーっ!痛てえ!」
耳をつんざく叫び声に驚き、はっとそちらを見る。
「俺の連れに、気安く触るな」
たった今ミネアの服に触れた巨漢の男が、もんどり打って床に崩れ落ち、手を押さえて苦しげに呻いている。
勇者の少年が目にもとまらぬ速さで腰の鞘から剣を抜き、柄を逆手に、刃を上向きに構えていた。
「お前、何者だ。どうして俺たちを見て騒ぐ?馴れ馴れしい真似はやめろ。
二度目は柄打ちじゃ済まない。お前の手の甲を、白刃が貫くぞ」
緑の目が狷介に細められ、氷のような声が告げた。