星を視る者、漂う者
「お祭りに行って来るわ。
コナンベリー造船所、建立二十周年の祝祭に」
明るい声でそう言い残して、仲間たちはみな、夜の宿屋を後にしてしまった。
たとえ何時であれ、その日の夕食を終えた後は、自由時間だ。
自由時間と言えば、その名の通り完璧に自由なはずで、
大人として非常識な遊びや、次の日に影響するほどの夜更かしをしない限り、各々の行動に文句をつける権利は誰にもない。
だからその時も、ミネアは黙って仲間たちの背中を見送るしかなかった。
(海辺の町の夜祭りは、爆竹がたくさん鳴って治安も良くないと聞いたことがあるわ。
世慣れた姉さんや男の人はともかく、アリーナさんは危なくないかしら)
そう思うやいなや、そのアリーナに影のようにぴたりと付き従う、サントハイム特有の長い聖帽を被った長身の青年の明るい顔を思い出し、ミネアは小さくため息をついた。
(……そうね。危なくなんか、あるわけないわよね……)
ご心配には及びません。姫様には、わたしとブライ様がついております。
トルネコさんもライアンさんもいますし、女性に危険が及ぶような場面は決して見過ごしませんので、どうぞご安心なさって下さい。
ですから、ミネアさんも一緒に行きませんか?きっと楽しいですよ。
ミネアさんがいれば、アリーナ様もとてもお喜びになります。
いいえ、わたしは少し疲れているので、折角ですけど今夜は留守番していますわ。
ほほえんでやんわり断ると、彼は「そうですか」とがっかりした様子を見せたが、それ以上誘って来ようとはしなかった。
自分のうかつな言葉がミネアに行かないと決めさせたのだと、色々な意味で純朴な彼は、決して気づきはしないだろう。
一日の終わりのくつろぐべき時間にまで、彼とアリーナの仲の良さを見せつけられたくはない。
また、アリーナを喜ばせてやりたいがためにミネアを誘う、あくまでも主人本位の彼の振る舞いに、ほんの少し腹も立った。
お祭りでもなんでも、楽しい時間なら、わたしはわたし自身のために持つわ。
わたしはわたしであって、アリーナさんを喜ばせるために存在しているわけじゃないもの。
こんなふうに考えるわたしって、心が狭いのかしら……?
ミネアはもう一度ため息をついてくるりと踵を返し、瞬間、「きゃっ!」と悲鳴を上げた。
なにかにどん、とぶつかって、痛みに顔をしかめる。
すぐ真後ろに人が立っていることに、全く気付かなかったのだ。
「ゆ、ゆ……勇者様。いつからそこに?」
呼ばれた人物は両腕を組んで立ったまま、表情を変えずにじろり、とミネアを見返し、「さっきから、いたぞ」と愛想のない声で言った。
不機嫌そうに引きしめられた珊瑚色の唇。
翡翠の瞳と、肩に垂れた更紗のようなきらめく髪。感情の読めない、謎めいた空気をまとう妖艶な美貌。
天空の勇者と呼ばれる、若干17歳の少年だ。
文化と大衆芸術のるつぼ、多種多様な人種の集まるモンバーバラで暮らした経験を持つミネアでも、これまでこんなに美しい人間を見たことはなかった。
もちろん、姉のマーニャだって名うての美人だが、彼の場合、通常の人間とはまったく異質の雰囲気を持っているのだ。
それはたとえば砕け散った硝子のかけらや、溶けて消える寸前の雪の結晶に似た、壊れるからこそなお輝く、危険な退廃の美しさ。
生きて、同じように呼吸しているような気がしない。顔をくしゃくしゃにして大声で笑ったり、鼾をかいて眠っているところが想像つかない。
実際、彼は無口で食事もあまり積極的に採らず、夜はいつのまにか姿を消し、朝は誰よりも早く起きていて、無防備な寝顔を仲間に見せることもない。
他人にたやすく心を許すと身を滅ぼすとばかりに、旅の仲間たちとのあいだに完璧な一線を引いていたが、それでも日々を重ねるにつれ、少年が皆と交わす言葉は少しずつ増え、ぎこちない笑顔を浮かべる機会も多くなっていた。
ミネアは咳払いして気持ちを落ち着けると、おずおずと尋ねた。
「勇者様は夜祭り……行かないんですか?」
勇者の少年はそっけなく言った。
「行かない」
「そ、そうですか」
「お前は?後から行くのか」
そう言ってまた、じろっとこちらを見る。
本人は無意識なのだろうが、そのたびにナイフの切っ先のように鋭い光がまなざしをよぎる。
「いいえ、行きません。今夜はなんだか、わたしも疲れてしまって」
「そうか」
勇者の少年は興味なさげに頷き、それっきり黙ったまま、じっとミネアを見つめた。
(な、なにかしら……?
なにか、わたしに怒ってるのかしら。さっきぶつかっちゃったから?)
宿の帳場の明かりは既に落とされ、周りを見回しても、少年とミネア以外誰もいない。
奥の調理場で、使用人たちが夕食の片づけをしているがちゃがちゃという音が、扉の隙間から小さく聞こえて来るだけだ。
(ど、どうしましょう。勇者様とふたりきりなんて……一体、なにを話せばいいの?)
ミネアの背中におかしな汗がわき始めた。