郷里への土産
「愛の手紙なんて、そんないいものじゃありませんよ。
よかったら、見ますか」
草むらから起き上がったトルネコは、額の上から白い便箋を取り、差し出した。
ライアンは眉を上げて首を振った。
「トルネコ殿ともあろうお方が、御夫人からの大切な手紙を他人に預けようとするなど、如何なされた」
「すいません。情けない話ですが、ちと弱っていましてね」
トルネコは力なく笑った。
「このところ暑い日が続いて、行軍続きでばててしまったのかもしれません。
せめて残して来た家族から、心癒される言葉を文字の上ででも聞きたいのですが、これほど留守を続けると、なかなかそうも上手くいかず」
「……なるほど」
ライアンは神妙な顔で頷いた。
「たしかに、そうであるな。考えてみればトルネコ殿以外、我ら導かれし仲間は全員妻子を持たぬ。
独身貴族どもが自分勝手に先へ先へと旅を焦るあまり、御国元へ残した家族への配慮というものにこれまでまったく欠けていた。
御夫人はさぞ、夫の帰りを待ちわびて日々やきもきしておられることであろう。
さあ、今すぐにお帰りあれ」
トルネコは驚いてライアンを見た。
「今すぐ?」
「拙者にはルーラの魔法は使えぬが、キメラの翼をふたつ携えている。それを行き帰りに使われるとよい。
その代わり、一晩だけですぞ。それ以上は出立する者も見送る者も、双方ともに名残惜しくなる。
旅は、致し方なくもまだ続く。愛する家族に、無用に別れを悲しませてはならぬ。
一晩お泊りになり、久方ぶりの家族団欒を楽しまれた後、夜が明けぬうちに再びこちらへ戻って来られよ」
ライアンは至って真剣な口調で言った。
「さ、時が移る。今すぐ」
トルネコは目を白黒させた。
「で、でもそんな、あんまり突然な……」
「思い立ったが吉日、と申す。光陰矢のごとし、とも。
留守の間、ご子息はずいぶんと大きくなっておられることであろう。
一晩では到底足りぬやもしれぬが、お子の健やかな成長を、御自身の目でしかと確かめて来られるとよい。
いとしきご夫人の頼もしい孤軍奮闘ぶりも、どれほど心中で感謝を念じていようと、面と向かって讃えられるのとそうでないのとでは、相手の喜びは天と地ほども違う。
いかに優れた商人とて、愛情は金で売り買い出来ぬ。
トルネコ殿は導かれし仲間たちの中にあって、我儘勝手な家族をひとまとめに調和する、温かき父のような存在だ。
どこに行っても父親の役ばかり果たさねばならぬのは、さぞ難儀であろうが、それも神から授かった貴殿のさだめかと。
どうか観念なされよ」
呆然としているトルネコに、ライアンはさっさとキメラの翼ふたつ、それと中身の一杯に詰まって膨らんだ革袋を手渡した。
「な、なんですか、これは?」
ライアンは面映げに髭をうごめかせた。
「郷里へ、我ら仲間からの土産、と言うとおこがましいが」
「土産……?」
トルネコは袋を縛っていた紐をほどき、戸惑いながら中を覗いた。
口が開いたとたん、無理矢理詰め込んだ中身が、こぼれるように次々と飛び出す。
ひとつひとつ丁寧に油紙に包んだ、飴菓子に焼き菓子。真新しい黒魔法学の経典。
美しい刺繍の編み込んである、絹のハンカチーフが数枚。
一番下から出て来たのは、蔓草模様の精緻な装飾が彫られた木工細工のおもちゃの馬車と、同じく木で作られた、小さなでこぼこの熊だった。
「これは……。
まさか、ライアンさん」
「毎朝手紙を読み返しては、空を見上げてため息をついておられれば、さすがに不調法な我らとて気付く」
ライアンはいつも毅然とした表情を浮かべる彼には珍しく、かすかにはにかんだ。
「いや、気付くのが遅くなったと詫びる方が先であろう。
先程申した通り、我ら仲間はご家族を持つ貴殿に対し、あまりに配慮が足りなかった。平に、申し訳ない。
これからはこうして時折、ご家族に顔を見せに行く機会を持たれるとよい。
これはあり合わせだが、皆からの心尽くしの品々だ。
菓子は、クリフト殿とアリーナ姫のふたりがすべて作った。黒焦げのものがいくつか混じっているが、それはアリーナ姫の担当分だ。
ここだけの話だが、あまりに派手に焦げているものは身体に悪いゆえ、口にせぬ方がよかろうかと。
無論、アリーナ姫には内密の話ですぞ、これは。
魔法書は御子息にと、ブライ殿から。刺繍のハンカチはミネア殿とマーニャ殿の作。
そして木工のおもちゃは、あの口の減らない勇者の小僧殿が珍しく文句も言わず、寝ずに一晩で仕上げたものだ」
「皆さん……」
袋からこぼれた品々を見つめるトルネコの瞳が、涙ぐんだ。
「……こんな……。
こんな心のこもったお土産を、わたしの家族に」
「さあ、こうしている時間が惜しい。早くお帰りあれ」
「わ、わたしは、こうして皆さんに真心を頂いていることにも気付かず、自分ばかりがしんどい思いをしていると、不満を抱いていました。
仲間である皆さんに対する愚痴ばかり、胸に溜め込んでいたんです」
「赤の他人と嫌というほど顔を突き合わせ、寝ても覚めても共にいるのだ。
たまには心中で愚痴くらい吐いても、罰は当たらぬ。父親とはとかくつらい生き物と聞き及ぶ。
あいにく拙者はまだ、なったことがないが」
「ありがとう」
トルネコは泣きながら笑った。
「御厚意に甘えて、喜んで行って来ます。
たったひとりで頑張ってくれているネネに、精一杯の感謝の言葉を尽くして来ます。
かわいい息子のポポロを、思いきり抱きしめて来ます。
心癒される言葉を欲しいと思う前に、心を通わせるための言葉を渡します」
「御夫人に、出来れば我らからの言づても伝えて戴けると有り難いが」
「なんでしょう」
「トルネコ殿は導かれし仲間たち皆の、頼れる父親のような存在だ。
貴女の愛するご夫君は遠き旅先にあっても、温かく頼もしく心優しい、じつに立派な父であると」
トルネコは目尻を拭って笑った。
「冗談じゃありません。
わたしには、こんなにたくさんの大きすぎる子供はいませんよ」
キメラの翼を今まさに放り上げ、丸く豊かな身体を時空の波に委ねる。
トルネコは思い出したように、手を振るライアンに言った。
「そういえば、勇者様の作ったおもちゃといっしょに入っていた木彫りの熊の人形、あれがライアンさんからのお土産ですか?
もしかしてライアンさん、勇者様にわざわざ彫り方を習って、作って下さったのですか?
本当にありがとうございます。大切にします」
粋な口髭に隠されたライアンの唇が、むう、と困ったように歪んだ。
キメラの翼が輝き、眼前の景色がぼやけて溶けていく。
遥かエンドールで待つ妻と子のもとにその身を飛ばしつつ、商人トルネコは、王宮戦士が顔を赤らめて不満げにこぼした呟きを、たしかに聞いた。
「あれは……熊ではない。
犬だ。トルネコ殿」
トルネコが家族へと持ち帰る愉快な土産話が、またひとつ増えた。
-FIN-