見られたく、ない
どうも困ったことがある。
ふと気が付くと、サントハイムの王女アリーナ姫が、常にこちらを見つめているのだ。
「んだよ。何か用か」
「な、なんでもないわ」
「だったら、じろじろ見るな」
うっとうしげに睨みつけると、彼女は慌てて目を逸らす。だが、しばらくするとまたこっちを見ている。天空の勇者の少年は苛立たしげに舌打ちした。
故郷の村を出、旅を始めてから、行く先々で人々に凝視される。
最初は懸賞金付きの逃亡犯とでも間違えられているのかと思ったがそうではなく、どうやら自分の容姿が原因だということは、だんだんわかって来た。
山奥の村でも、ひとりだけ髪や瞳の色が違うことからなにかおかしいとは思っていたが、自分は人目を引くらしい。
こちらを見つめる者たちの目が、揃ってとろけそうに潤んでいるのを見るにつけ、それは好意的な意味を多分に含んでいるようだが、だからといってどこへ行っても遠慮なしに眺め回されるのは気分のいいものではない。
……というか、腹が立つ。
見てんじゃねーよ!と怒鳴りたくなるが、そんなことしようものなら返って悪目立ちするのは理解している。
自分は控えめな人間だ(と、勇者の少年は思っている)。見られるのは大嫌いだ。だが百歩譲って、知りもしない人間なら我慢してやる。恐らくもう二度と会うことはないからだ。
だが常に行動を共にする仲間からもじろじろ見つめられるのは、耐えられない。あの鳶色の目が好奇心いっぱいに輝いて始終俺を凝視するのには、耐えられない!
「おいアリーナ、ちょっとこっちへ来い」
たまりかねた勇者の少年はアリーナの腕を乱暴に掴むと、馬車の荷台の陰へと引っ張って行った。
「痛い!やめてよ、なにするのよ」
「やめるのはお前の方だ」
勇者の少年はアリーナの顔にびしりと指を突きつけた。
「いいか。用もないのに俺を見るな。うっとうしくてしょうがない。今度意味もなくこっちを見たら容赦しねえぞ。
それともなにか言いたいことでもあるのか。だったら言ってみろ。聞いてやる」
「……」
アリーナはもじもじとうつむいた。
「言っても……、いいのかしら」
「なんだよ」
「じつは……」
口にするのが恥ずかしくてたまらないと言った様子で、ぽっと頬を赤らめる。
(……まさか)
ふと湧き上がった嫌な予感に、勇者の少年の喉元がちく、と縮んだ。
「あのね、わたし」
「ちょっと待て」
勇者の少年は慌てたように後ずさりした。
「やっぱりやめろ。なにも言うな」
「え、どうして」
「俺とお前はただの旅の仲間だ。それ以上でもそれ以下でもない。今までも、これからもだ。
第一、お前にはあの悪魔神官がいるだろ。今さらよそ見するのはよせ」
「なんのこと?」
「だから、一方的にお前の気持ちを押し付けられても困……」
アリーナはいぶかしそうに眉をひそめたが、次の瞬間からからと笑いだした。
「いやね、何を勘違いしてるの?うぬぼれないで」
戸惑って瞬きする勇者の少年に、今度はびしりと指を突きつける。
「おあいにく様。いくら綺麗だからって、あんたのことなんて男の人としてこれっぽっちも意識してないから安心して。
言いたかったのはね、これよ。さっきアネイルの街で、みんなで交替で温泉に入ったわよね。その時からきづいてたんだけど、言えなかったの。でもやっぱり言うわ。それが本当の親切ってものだもの」
「親切……?」
「開いてるわよ、そこ」
顔の前で立てられたアリーナの指がまっすぐに下降し、勇者の少年の股間を指し示す。
勇者の少年はそろそろと指の向けられた先を見降ろし、さーっと青くなった。
ズボンのチャックが全開。
「レディの口から伝えるのはどうかと思ったんだけど、わたしたち友達だから」
「!!!」
石のように硬直する勇者の少年の前でふん、と肩をそびやかせると、アリーナは「それと、気になったからこの際もうひとつ言っておくわ。
あなた、ちょっと自意識過剰なんじゃないの?」と言った。
「たしかにあなたは外見がすごく華やかだから、どこへ行っても人目を引くわ。だけどそれにいちいちかりかりしてどうするの?
綺麗なんだもの、見られたって堂々としていればいいじゃない。胸を張って、誇らしく思うべきよ。
気高く美しいバラやユリの花が、こっちを見るな!って苛立ったりするかしら?」
じゃあ次から、お風呂上がりの身だしなみには気をつけることね、と悠然とほほえみ、アリーナはさっさと歩いて行ってしまった。
彼女が去るやいなや、呆然とその場に立ちつくす勇者の少年の前に、矢も盾もたまらずと言った様子で神官クリフトが駆け寄ってきた。
「ゆ、勇者様。今、おふたりでなにを話していたんです?
こんな物陰で……しかも姫様の腕を取ったりして、あなたは少し馴れなれしいと思わないんですか?
ちょっと……、勇者様?どうしたんです?」
「どうもしてない」
この上クリフトにまで気づかれてしまわないように、ささっとズボンに手をやって開いていた部分を整えると、勇者の少年は引きつったごまかし笑いを浮かべた。
クリフトはぎょっとした。日頃、自分から笑顔を向けてくれるような性格の彼ではない。
「一体なにがあったんです」
「なにもない」
勇者の少年は素早く言い捨てた。
「ただ、俺が……自意識過剰の馬鹿だっただけだ。
そろそろ行くぞ。次の街へ出発だ」
わけがわからないといった表情のクリフトを残して、勇者の少年は馬車の御者席に飛び乗った。
振り返ると、荷台には既に仲間たちがならんで腰かけ、リーダーである彼が馬車を動かすのを今かと待っている。クリフトも慌ててよじ登る。
みんながこちらを見ている。最後方に座ったアリーナ姫も、こっちを見ている。心なしか口元が笑いを堪えているように見えて、前へ向きなおった勇者の少年の背中におかしな汗がたらり、と流れた。
ちくしょー。ちくしょー!
悔しまぎれに勢いをつけて、白馬の引き締まった背中に鞭を入れた。馬車の車輪ががたごと、と動き出した。
次の街は近い。到着するまで恐らく一時間もかからないだろう。小さいが、いくつもの商家が並ぶ活気ある街だと聞く。
人も多いだろう。またじろじろと見つめられるだろう。見知らぬ人前で大恥をかかなくて済んだこと、鳶色の瞳の姫に感謝するべきだ。
彼女は言っていた。
(わたしたち、友達だから)
そんなこと言われたの、初めてだ。背中の汗が少しだけ引いた。つまり友達という存在の前では、下らない自意識は脱ぎ捨ててもいいというわけか。
勇者の少年は自らの無様な姿を頭から振り切るように、きつく唇を噛みしめた。
(それでも俺は)
控えめな人間なんだ。じろじろ無遠慮な視線は耐えられない。特別視もされたくない。だからこれからも、
(見られたく、ない)
……友達以外からは。
―FIN―