短編小説
慣れないベランダからの景色を見ながら、深呼吸。
彼の家は、どこも置鮎さんの匂いに満ちていて。
幸せすぎて、どうにかなりそうだ。
昼過ぎの現場で、たまたま置鮎さんと会えた。
廊下で話をしていたら、自宅の鍵を取り出して、彼は何でもないように言った。
「先に家にいてよ」
家には何度もお邪魔している。
でも、玄関を開けた途端に後悔した。
部屋に充満する彼の香りに、くらり、目眩ににた感覚。
この中で一人、彼の帰りを待つなんて。
とりあえずソファに座って台本を開く。
仕事をしていれば、気が紛れるだろうか。
全く集中出来る気がしなかったが、いつの間にか外は暗くなっていた。
インターホンが鳴って我に帰る。
薄暗い部屋でモニターを見ると彼の姿が見えた。
「開けてー」
ひらひら、手を振る置鮎さん。
ボタンでオートロックを開けて彼を待つ。
手持ち無沙汰でついキョロリと部屋を見渡して、玄関の鍵を開ける。
すぐに玄関を開ける音が聞こえた。
「お帰りなさい。」
「ただいまー」
声と同時に抱きつかれて、すっかり意識から逸れていた彼の香りに 包まれる。
こっそり、深呼吸。
お留守番ありがとう、と子供みたいに撫でられて、つい振り払う。
置鮎さんは笑った。
自分がこんな風になるなんて思いもしなかった。
彼の表情に、香りに、一挙手一投足にいちいちドキドキして。
初恋をした思春期の子供みたいに。
「かっこわる…」
彼に聞こえないように呟いて、そっと笑った。
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