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「失礼、お嬢さん」
後ろから聞こえた声に、びくりと肩を振るわせる。その声はよく聞き慣れていて…恋焦がれた人のものだったから。
でも今はその声に振り向くわけには行かない。振り向いたところで、変装しているから私だと分からない…と思いたいけれど。
「凜とした後ろ姿でもよく分かる。きっと清純で麗しい方なのだと…」
声のする方へ神経を集中させ、背を向け続けていたけれど、するりと前へ回り込まれてしまった。
「なっ、君は…!?」
なるべく目を合わせないように、ちらりとその人を確認する。やっぱりロイさんだった。
「そのような格好をしてどこに用かな?ナマエさん」
「人違いですよ〜」
ロイさんは、家族で経営している食堂によく足を運んでくれている常連さんだ。その為、顔はばっちりと覚えられている。
派手なメイクをしてウィッグを被り、服も露出が多いものに変えているが、やはり軍人であるロイさんの目は誤魔化せないようだった。
今、軍人と知り合いだとバレる訳には…ロイさんと一緒に居るところを見られる訳には行かない。
「私、急いでるんで失礼しますね〜!」
そう言って早足でその場を離れる。そろそろ待ち合わせの時間だし、相手はもう着いている頃合いだろう。
辺りを見渡しながら人混みの中を歩いていく。街灯の下で目的の人物を見つけた。
「ジョン!お待たせ!」
腕に抱きついて、ニコニコと微笑んで見せる。
でも本当はこんな奴に触れたくもないし、顔も見たくない。今にも吐きそうなのを我慢してでも、私にはやり遂げなければならないことがある。
「今日はさ、連れて行ってやりたいとこがあんだよ」
「えっ!?どこどこ〜?」
「路地裏にあるバーなんだけどさぁ…」
来た。コイツらのグループが密かにアジトとしているバー。
コイツらの仲間は、私のお父さんを襲って店の売り上げを奪い去った。お父さんは今も病院に入院していて命に別状はないものの、売り上げを取られてしまった罪悪感から、すっかり意気消沈してしまった。
食堂の方は、お母さんと2人でなんとか切り盛りしている。
巧妙に逃げ隠れしているのか、お父さんを襲った犯人は未だ捕まっていない。
ジョンは直接的な犯人ではないらしいが、仲間のおこぼれに預かったようで、悪びれる様子もなく酒場で話していたのを偶然聞いてしまった。
それから復讐のためにジョンに近付いた。軍が裁くのなんて待っていられない。それなら、私の手で。
「ふむ……」
復讐心を秘めながら、男の手に絡みついて歩く姿をまだ彼に見られているとは露知らず。
「ほら、ここ」
「わぁ〜雰囲気ある〜!」
目的のバーに着き、店の中へと入る前にぐっと腰を引かれ、嫌悪感にぶるりと震えたのも一瞬。
ジョンのいる反対側から手を引かれ、とんっと背中に何かがぶつかる。
そっと腰に回された手にふわりと香る香水、その中にほんの少し混じる何かが燃えたような香り。
「失礼。彼女はこれから俺と過ごす時間なので」
「……ロイさん!?」
見上げれば、そこには軍服姿のロイさんがいた。つい名前が口をついて出てしまったと、慌てて自分の口を手で塞ぐも、目が合った彼はふっと小さな笑みを浮かべた。
ロイさんの名前を聞き軍服を見たジョンは、軍の人間だとすぐに判断したようで、大きな舌打ちをして踵を返して走り出す。
だが、すでに軍の人間が包囲していたのか、角で待機していた憲兵に捕えられた。
ロイさんはすかさず指示を出し、私とロイさんを尻目にぞろぞろと憲兵達が店の中へと入っていく。
私はその様子を呆然と見ている事しかできなかった。
もう少しで自分の手で復讐出来たのに、このタイミングで軍が介入してくるなんて。
「…どうして」
ついて出た言葉はそれだった。
「私以外の男に触れられているのが不愉快だっただもので」
どうしてここを突き止めたのだとか、何の捜査だとか、そういった答えが返ってくると思っていたのに。予想の斜め上を行く返答で、気が抜けてしまった。
また心のどこかで、自分の手を汚さずに済んだことにもほっとしていた。
「そう…ですか」
2人の間を流れる少しの静寂。ロイさんは何故ここにいるのか、何一つ私に聞いてこなかった。
「というかさっきのなんですか。私がまるでその…ロイさんのものみたいな言い方!」
だんだんと居心地が悪くなってきて、少しでも空気を変えようと軽口を叩く。
「……そうだな」
「はい!?」
「これ以上、君に悪い虫がついては困る」
同じように軽口を返してくれるとばかり思っていたのに、思いのほか真剣な声色が聞こえてきて動揺する。
隣に立つロイさんは腕を組みながら、何かを閃いたようにどこか意地悪な笑みを浮かべている。
「今はまだ私ものじゃあないが…これから私のものにするとしよう」
「何言って…!?」
「君、店の休みは確か明後日だったな?」
「は、はい」
ふと影が落ちる。ロイさんの顔が間近に迫って…耳の横にくる。
「明日、22時に大通りから少し離れた一等地のホテルで」
息が掛かるような近さで、耳元でそう囁かれた。
勢いよく後ろに下がってロイさんと距離を取る。囁かれた左耳が熱い。
目の前のロイさんは、悪戯が成功したかのように、にこにこと笑みを浮かべている。
「い、行くとは言ってませんよ!」
「なら君が来てくれるまで、私はいつまでも待つとしよう」
「………ずるい」
この人は私の性格を分かった上でそう言っている。
そう言ってしまえば、私が断れないこともよく知っている。
「君をこの腕に抱いて、愛が囁ける夜を…楽しみにしているよ」
今一度、ロイさんは私の腰を引き寄せ、そう耳元で囁いた。
近くにあったその温もりはすぐに離れてしまって、彼は背を向けて歩き出す。
何事もなかったかのように、ジョンの仲間のヤツらを捕まえてバーから出てきた憲兵達に指示を出していた。その横顔は先程とは打って変わり、軍人の顔をしていた。
ロイさんが離れてものの数分もしないうちに、憲兵から声を掛けられた。どうやら事情聴取らしい。
ロイさんのせいで余程顔が赤くなっていたのか、熱があるのと疑われてしまった。
どうにか頬の熱を冷ますべく、パタパタと仰ぎながら憲兵からの質問に応じているものの、ついついロイさんの方へと視線がいってしまう。
どこか来る日を待ち望むように。
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