誓いの日(オムニバス)
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魔法王国ジールが沈み、俺がアルファドと共に地上に落ちてきてから、ジャキと思しき人物に会ってから、3年。
ずっと冬に覆われていた地上も少しずつ雪が融け、農業をする者が出てきた。
人間はまだずっと逞しく生きていける。そんな希望の芽が確実に育っていた。
(……全員では、ないけれど)
俺は元々天空人だった。あの高い高い空に浮かんでいた地上の破片から、この大地に落ちてきた。
その時に全身を強く打ち付けたんだったと思う。
最初の内は平気だったが、時間が経つにつれ、身体が上手く動かなくなっていった。
(今じゃ、自力でやれることは、排泄くらいが精一杯だ)
腕は比較的自由に動かせるのだが、腰より下がなかなか動かない。時間を掛ければ排泄程度は出来るが農業や漁業などを行える筈もなく。
面倒を見てくれる人はいる。しかし俺の年齢はまだまだ若いので、まだ長く生きる。そんな迷惑を掛けながら生きていくのは、プライドが許さなかった。
「……今夜、」
ずっと考えていたことがあった。もうこれ以上迷惑になる前にここから出ていった方がいい。
それを今夜決行しようと思う。
(アルファドは、元気で居てくれるといいな)
俺の身体が満足に動かなくなっていく内に、アルファドも俺の前に姿を見せることはなくなった。時折、アルファドはどこそこに居た、という話を聞くと、無事で良かった、と安堵が込み上げる。
ジャキ以外には懐かない猫だけれど、餌は誰かから貰っているらしかった。
いずれジャキが帰ってくる時のために、アルファドはどうか元気でいてほしいな、と思った。
夜中、皆が寝静まった頃。
転ばないように、音を立てないように気を付けながら、そっと家を出る。頼りは木で作られた1本の杖だ。
長い長い道のりを、3時間掛けて歩いていく。
目的地に辿り着くまでに、俺の額には汗が浮かんでいた。
「はあ……はあ……」
そこは北の岬。かつては冬に覆われていたが、今は花が芽吹くような場所になっている。俺は柔らかな草の上に腰を下ろした。
足腰の筋力はすっかり衰え、もう滅多に外に出る機会はなかった。だからこうした花をちゃんと見ることもなかったのだ。
体力が少し回復するまでの間、その花を弄んでいると、いつの間にか黒猫が近づいてきていた。
「にー」
「……え、アルファド?」
俺と少し距離があるが、今確かに、アルファドが鳴いた。
「よかった、元気そうで。ついに俺にも懐いてくれた?」
そう言いながら撫でようとするとさっと避ける。懐いてくれたわけではないのかもしれない。
「ねえ、アルファド」
俺は話し相手欲しさから、猫であるアルファドに話しかける。
「ジールのこと、覚えてる? あの頃、楽しかったよね。皆いたよね。俺は毎日アルファドの餌をやってたし、忙しい女王の代わりに、乳母たちと一緒にサラやジャキの世話をした。時々彼らにも外出が許されて、ピクニックなんかも行ったこと、あったっけね」
ああ、懐かしい。目を閉じればすぐにその時のことが思い出せるほど、それらの記憶は鮮明だった。
あっという間に崩れ去る砂の城のように、俺たちの幸福は、跡形もなく無くなってしまったけれど。
「……ごめんね、アルファド。もう俺は、アルファドのお世話はできないから、誰か心優しい人の許で育ってね」
終わりだ。これで本当に終わりなのだ。目頭が熱くなる。
けれどぐずぐずしていてはこの決心は無駄になる。誰か来てしまうかもしれないし。
俺は杖を持ち、ぐっと力を入れた。何度か試す内に立ち上がる。
「さよなら、今までありがとう。アルファド、もしジャキやサラに会えることがあったら、俺はすごく楽しかったと伝えておいて」
アルファドは大人しく座ったままこちらを見ていた。
一歩一歩、力をこめながら歩いていく。
崖先に辿り着いてもう一度振り返った。冷たい風が吹いていた。
「じゃあね。また会えるといいね」
俺はそう言ってふっと身体の力を抜いた。僅かな力でもっていた身体は瞬く間に海の方へ落ちていく。
そういえば3年前、ここには多くの人が身を投げたという。恐らくは天空人だ。
彼らは今、俺を手招きしているのだろうか?
そんなことを考えながら目を閉じた瞬間、どさっといきなり誰かに抱えられるような感触がして驚いて目を開けた。
「何をしている」
「え……え、ジャキ!?」
海に落ちる直前、俺を抱き上げたのはジャキだった。俺は驚いて何度も瞬きをする。
何故ジャキがここにいるのか。それにここは空中なのだが、ジャキは飛んでいるのか?
あまりに驚きすぎて言葉が何も出ない内に、ジャキは俺を抱えたまま崖の上へ戻った。そして俺を足から下ろした。
「わ、」
しかし当然弱った足腰だけでは自分の体重を支えられるわけもなく、地面に崩れ落ちる。
アルファドが鳴いた。そうか、さっきの鳴き声は、ジャキが居ることを分かっていた鳴き声だったのか?
「ジャキ、どうしてここに……」
「アルファドが私に伝えた。黒い風が迫っていることを」
「黒い風……?」
聞いたことのある単語だ。僅かな記憶の中を手探りで進む。
「自ら死のうとしたのか」
どこで聞いたのか思い出そうとしている俺に、ジャキは厳しい声音で言う。
「ああ……うん、そうなんだ」
「何故だ?」
「俺は……ジールが崩れ落ちる時に、この地上に落ちてきた。その時に多分身体を強く打ってしまって、その後遺症が残っている。そのせいで自分1人じゃ自分のための食事を作ることもできず、あまりに惨めだし、復興に向けて皆が動いている中で、邪魔になると思ったんだ」
どうでも良くなった俺はジャキに素直に伝えた。
昔であれば、年上である俺は絶対に弱音なんて吐いてはいけないと考えて口を噤んでいただろう。
けれどもう限界だった。何も出来ないまま、無為に時間を過ごして誰かの時間を奪って、そんなことに耐えられるような精神力は持ち合わせていなかった。
「それで死のうと?」
「うん」
でも、ジャキはさっき俺を助けてくれた、確かに。
「どうしてジャキは俺を助けたの」
「お前が何故死ななければいけないのか、理解できなかったからだ」
「……じゃあ、今もしもう一度身を投げたら、今度は止めないでいてくれる?」
「いや」
言葉少なにそう答えると、再び俺を抱き上げるジャキ。
俺はアルファドに手を伸ばす。アルファドは鳴きながら俺の手の中にやってきた。
「そんなに望むのなら、後で私が殺してやる。しかしそれは今ではない」
「え……?」
「ここに居ることが苦痛なのだろう」
そう言うとジャキは飛び上がり、崖を下って、近くの森へ向かった。
そこにあったのは見たことのある大きな機械。
「あ、これは、まさか……」
「そいつは誰だ?」
「!?」
そう、あれは飛行艇。かつて魔法王国ジールが所有し、大いなる力を秘めて空を翔ける翼。でも何故それがここに?
しかしそれ以上に俺が驚いたのは、その飛行艇の中から出てきたカエルだった。
「カ、カエルが喋ってる……!」
「悪いか」
「いや、悪くないですっ」
「AD600年へ」
「ん? いいのかそれで」
ジャキは答えながら飛行艇に乗り込む。俺はどういう状況か全く掴めず、アルファドを抱いたまま、ジャキの首にしっかりとしがみついていた。
「行くわよ」
一緒に乗っていた女の子が言い、飛行艇は飛び立った。俺は思わず、おお、と声を上げる。
直後飛行艇が光に包まれ、長く暗い道を通っていくと、突然全く違う場所が現れた。雪もなく、陰鬱とした空気もない。空に月が出ているのだけは同じだ。
「魔王、もう行くの?」
ジャキは俺を抱えたまま立ち上がる。女の子が何か言ったが、ジャキは無視して飛行艇を蹴り上げ飛び立つ。
あっという間に飛行艇が見えなくなるほど飛んで、何か大陸が見えてきた。
「ねえ、ジャキ。ここはどこ?」
「ここは今までいた所とは違う時代だ」
「違う時代……?」
「全て終わった。だから、後で話す」
言われてみれば、確かに木々が茂っていて、高い建物もある。ジールに居た時はこのくらいのものは見たことがあったが、地上には全くなかったため新鮮だ。
ジャキは飛び続け、ある城の窓から中へ入った。これはジャキの住む城なのだろうか。
後で話す、という言葉を信じて、何も聞かずに辺りを見回す。やがて城の中の一室に辿り着き、彼は重たそうな木の扉を開けた。長椅子がいくつも並んでいて、一番奥の椅子に俺は座らされた。
「ここは……」
「今私が住んでいる城だ」
「へえ。ジャキ、こんな所に住んでいるの?」
何となくジールに居た時と似ている気もする。それよりは余程暗鬱だが。
「なぜ俺をここに?」
「死にたいと言っていただろう。今死なれては困る」
「困る? なぜ」
しかしジャキはそれには答えない。
「先程全て終わった、と言ったが、まだ完全に終わったわけではない」
「え?」
「あの時、ジール王国が崩壊した時。あれはジール女王が力を求めたのが原因だ。ラヴォスという強大な力がこの地中の深くにあり、それを制御しようとしていた。しかし結果として暴走し、ジール王国は崩壊した。女王はしぶとく生きていたようだが」
俺はその口ぶりに違和感を覚える。ジール女王って、仮にもジャキの母親だろう。勿論母親らしいことは何一つせず、いつも研究に没頭していたのは俺も知っているが。
「ラヴォスの力により、空間にひずみができた。その空間に飲み込まれたものは、長い次元のうねりを超え、別の時代へと飛ばされたのだ」
「……! そうか!」
ジャキの言いたいことが分かってきた。ラヴォスとやらによって開いた穴。
彼らはそれに飲み込まれたのか。
「じゃあ、ジャキはそれに飲み込まれ、この時代へ……?」
「そうだ。ずっとラヴォスと女王への復讐の機会を窺っていた。しかしそれも達成された」
俺は驚いた。ラヴォスと女王への復讐が達成された? それって2人を倒したということなのだろう。
しかしそんな「空間のひずみ」なんていうものを作ってしまうほど、ラヴォスの力は強大なのだろう。そんなものに勝ったというのか。
「だが、1つ……いや2つ」
「2つ?」
「崩壊して皆が散り散りになった時、お前を見つけるのに手間取った」
「え、俺?」
いきなり俺のことを指され困惑する。
「黒い風は今はもう鳴いていない。これ以上馬鹿な真似をしないようにここに連れてきた」
「……それって、俺のことを心配してくれていたってこと?」
ジャキは無視した。けれど多分そういうことなのだろう。
彼は事故に巻き込まれ、元いた時代とは違う時代に飛ばされてきた。で、ラヴォスや女王に復讐を果たした。それで全て終わったから、わざわざ俺の所へ来てくれたのだろう。そういうことにしておく。
「2つって、もう1つは? ……あ」
彼の答えを聞く前に俺は気づいた。そうか、もう1人。彼にとって大事な人といえば。
「サラが……見つからないの?」
あの直前、サラはジール女王と共にどこかへ行っていたようだった。俺は残されたジャキと共に過ごしていたのだ。
普通に考えれば、サラもどこかの時代へ飛ばされた、と考えるのが妥当だろう。一番女王に近いところに居たと考えられるのだから。
そうか、ジャキはずっと、サラを捜し続けているのだ。
「全て終わったが、私にはまだやらねばならないことがある。だからお前には下手な真似をされては困る」
「わっ」
そう言ってジャキは何かを俺に投げて寄越す。きらきらしたものだ。
「これ……何?」
「お守り、だ。お前が勝手にどこかへ行かぬよう」
「お守り?」
お守り、なんて可愛い言葉だ。少なくともこんなに成長してしまったジャキには似ても似つかぬ言葉だろう。
しかしそれをよく見てみると指輪だった。これには何か魔力がこめられているのだろうか?
「長いこと留守にするだろう。しかし時折帰ってくる。待てるか?」
「うん、勿論」
「いい子だ」
「……ッ」
まるで年下かペットかでも扱うかのようにジャキは言い、俺の左手の甲にキスを落とした。
え? それには一体、何の意味が? おまじない的なものだろうか?
訳が分からず困惑していると、マントを翻して彼は闇夜に消えようとしている。
そんな彼の背中に、俺は何かを言わなければならない気がして、思わず叫んだ。
「ジャキ!」
返事もしない。振り返りもしない。
「俺、待ってるから! どこも行かずに……帰ってくるの、ちゃんと待ってるから!」
言い終わるか終わらないかの内に、彼はふっと消えた。俺は手の中の指輪に目を落とした。アルファドは既に俺の腕からはすり抜けてどこかへ行ってしまっている。
その部屋の壁を見上げてみれば、そこには十字架がかかっていた。月夜に照らされる様は、本当に俺は別の時代に来てしまったんだな、と思わせた。
ずっと冬に覆われていた地上も少しずつ雪が融け、農業をする者が出てきた。
人間はまだずっと逞しく生きていける。そんな希望の芽が確実に育っていた。
(……全員では、ないけれど)
俺は元々天空人だった。あの高い高い空に浮かんでいた地上の破片から、この大地に落ちてきた。
その時に全身を強く打ち付けたんだったと思う。
最初の内は平気だったが、時間が経つにつれ、身体が上手く動かなくなっていった。
(今じゃ、自力でやれることは、排泄くらいが精一杯だ)
腕は比較的自由に動かせるのだが、腰より下がなかなか動かない。時間を掛ければ排泄程度は出来るが農業や漁業などを行える筈もなく。
面倒を見てくれる人はいる。しかし俺の年齢はまだまだ若いので、まだ長く生きる。そんな迷惑を掛けながら生きていくのは、プライドが許さなかった。
「……今夜、」
ずっと考えていたことがあった。もうこれ以上迷惑になる前にここから出ていった方がいい。
それを今夜決行しようと思う。
(アルファドは、元気で居てくれるといいな)
俺の身体が満足に動かなくなっていく内に、アルファドも俺の前に姿を見せることはなくなった。時折、アルファドはどこそこに居た、という話を聞くと、無事で良かった、と安堵が込み上げる。
ジャキ以外には懐かない猫だけれど、餌は誰かから貰っているらしかった。
いずれジャキが帰ってくる時のために、アルファドはどうか元気でいてほしいな、と思った。
夜中、皆が寝静まった頃。
転ばないように、音を立てないように気を付けながら、そっと家を出る。頼りは木で作られた1本の杖だ。
長い長い道のりを、3時間掛けて歩いていく。
目的地に辿り着くまでに、俺の額には汗が浮かんでいた。
「はあ……はあ……」
そこは北の岬。かつては冬に覆われていたが、今は花が芽吹くような場所になっている。俺は柔らかな草の上に腰を下ろした。
足腰の筋力はすっかり衰え、もう滅多に外に出る機会はなかった。だからこうした花をちゃんと見ることもなかったのだ。
体力が少し回復するまでの間、その花を弄んでいると、いつの間にか黒猫が近づいてきていた。
「にー」
「……え、アルファド?」
俺と少し距離があるが、今確かに、アルファドが鳴いた。
「よかった、元気そうで。ついに俺にも懐いてくれた?」
そう言いながら撫でようとするとさっと避ける。懐いてくれたわけではないのかもしれない。
「ねえ、アルファド」
俺は話し相手欲しさから、猫であるアルファドに話しかける。
「ジールのこと、覚えてる? あの頃、楽しかったよね。皆いたよね。俺は毎日アルファドの餌をやってたし、忙しい女王の代わりに、乳母たちと一緒にサラやジャキの世話をした。時々彼らにも外出が許されて、ピクニックなんかも行ったこと、あったっけね」
ああ、懐かしい。目を閉じればすぐにその時のことが思い出せるほど、それらの記憶は鮮明だった。
あっという間に崩れ去る砂の城のように、俺たちの幸福は、跡形もなく無くなってしまったけれど。
「……ごめんね、アルファド。もう俺は、アルファドのお世話はできないから、誰か心優しい人の許で育ってね」
終わりだ。これで本当に終わりなのだ。目頭が熱くなる。
けれどぐずぐずしていてはこの決心は無駄になる。誰か来てしまうかもしれないし。
俺は杖を持ち、ぐっと力を入れた。何度か試す内に立ち上がる。
「さよなら、今までありがとう。アルファド、もしジャキやサラに会えることがあったら、俺はすごく楽しかったと伝えておいて」
アルファドは大人しく座ったままこちらを見ていた。
一歩一歩、力をこめながら歩いていく。
崖先に辿り着いてもう一度振り返った。冷たい風が吹いていた。
「じゃあね。また会えるといいね」
俺はそう言ってふっと身体の力を抜いた。僅かな力でもっていた身体は瞬く間に海の方へ落ちていく。
そういえば3年前、ここには多くの人が身を投げたという。恐らくは天空人だ。
彼らは今、俺を手招きしているのだろうか?
そんなことを考えながら目を閉じた瞬間、どさっといきなり誰かに抱えられるような感触がして驚いて目を開けた。
「何をしている」
「え……え、ジャキ!?」
海に落ちる直前、俺を抱き上げたのはジャキだった。俺は驚いて何度も瞬きをする。
何故ジャキがここにいるのか。それにここは空中なのだが、ジャキは飛んでいるのか?
あまりに驚きすぎて言葉が何も出ない内に、ジャキは俺を抱えたまま崖の上へ戻った。そして俺を足から下ろした。
「わ、」
しかし当然弱った足腰だけでは自分の体重を支えられるわけもなく、地面に崩れ落ちる。
アルファドが鳴いた。そうか、さっきの鳴き声は、ジャキが居ることを分かっていた鳴き声だったのか?
「ジャキ、どうしてここに……」
「アルファドが私に伝えた。黒い風が迫っていることを」
「黒い風……?」
聞いたことのある単語だ。僅かな記憶の中を手探りで進む。
「自ら死のうとしたのか」
どこで聞いたのか思い出そうとしている俺に、ジャキは厳しい声音で言う。
「ああ……うん、そうなんだ」
「何故だ?」
「俺は……ジールが崩れ落ちる時に、この地上に落ちてきた。その時に多分身体を強く打ってしまって、その後遺症が残っている。そのせいで自分1人じゃ自分のための食事を作ることもできず、あまりに惨めだし、復興に向けて皆が動いている中で、邪魔になると思ったんだ」
どうでも良くなった俺はジャキに素直に伝えた。
昔であれば、年上である俺は絶対に弱音なんて吐いてはいけないと考えて口を噤んでいただろう。
けれどもう限界だった。何も出来ないまま、無為に時間を過ごして誰かの時間を奪って、そんなことに耐えられるような精神力は持ち合わせていなかった。
「それで死のうと?」
「うん」
でも、ジャキはさっき俺を助けてくれた、確かに。
「どうしてジャキは俺を助けたの」
「お前が何故死ななければいけないのか、理解できなかったからだ」
「……じゃあ、今もしもう一度身を投げたら、今度は止めないでいてくれる?」
「いや」
言葉少なにそう答えると、再び俺を抱き上げるジャキ。
俺はアルファドに手を伸ばす。アルファドは鳴きながら俺の手の中にやってきた。
「そんなに望むのなら、後で私が殺してやる。しかしそれは今ではない」
「え……?」
「ここに居ることが苦痛なのだろう」
そう言うとジャキは飛び上がり、崖を下って、近くの森へ向かった。
そこにあったのは見たことのある大きな機械。
「あ、これは、まさか……」
「そいつは誰だ?」
「!?」
そう、あれは飛行艇。かつて魔法王国ジールが所有し、大いなる力を秘めて空を翔ける翼。でも何故それがここに?
しかしそれ以上に俺が驚いたのは、その飛行艇の中から出てきたカエルだった。
「カ、カエルが喋ってる……!」
「悪いか」
「いや、悪くないですっ」
「AD600年へ」
「ん? いいのかそれで」
ジャキは答えながら飛行艇に乗り込む。俺はどういう状況か全く掴めず、アルファドを抱いたまま、ジャキの首にしっかりとしがみついていた。
「行くわよ」
一緒に乗っていた女の子が言い、飛行艇は飛び立った。俺は思わず、おお、と声を上げる。
直後飛行艇が光に包まれ、長く暗い道を通っていくと、突然全く違う場所が現れた。雪もなく、陰鬱とした空気もない。空に月が出ているのだけは同じだ。
「魔王、もう行くの?」
ジャキは俺を抱えたまま立ち上がる。女の子が何か言ったが、ジャキは無視して飛行艇を蹴り上げ飛び立つ。
あっという間に飛行艇が見えなくなるほど飛んで、何か大陸が見えてきた。
「ねえ、ジャキ。ここはどこ?」
「ここは今までいた所とは違う時代だ」
「違う時代……?」
「全て終わった。だから、後で話す」
言われてみれば、確かに木々が茂っていて、高い建物もある。ジールに居た時はこのくらいのものは見たことがあったが、地上には全くなかったため新鮮だ。
ジャキは飛び続け、ある城の窓から中へ入った。これはジャキの住む城なのだろうか。
後で話す、という言葉を信じて、何も聞かずに辺りを見回す。やがて城の中の一室に辿り着き、彼は重たそうな木の扉を開けた。長椅子がいくつも並んでいて、一番奥の椅子に俺は座らされた。
「ここは……」
「今私が住んでいる城だ」
「へえ。ジャキ、こんな所に住んでいるの?」
何となくジールに居た時と似ている気もする。それよりは余程暗鬱だが。
「なぜ俺をここに?」
「死にたいと言っていただろう。今死なれては困る」
「困る? なぜ」
しかしジャキはそれには答えない。
「先程全て終わった、と言ったが、まだ完全に終わったわけではない」
「え?」
「あの時、ジール王国が崩壊した時。あれはジール女王が力を求めたのが原因だ。ラヴォスという強大な力がこの地中の深くにあり、それを制御しようとしていた。しかし結果として暴走し、ジール王国は崩壊した。女王はしぶとく生きていたようだが」
俺はその口ぶりに違和感を覚える。ジール女王って、仮にもジャキの母親だろう。勿論母親らしいことは何一つせず、いつも研究に没頭していたのは俺も知っているが。
「ラヴォスの力により、空間にひずみができた。その空間に飲み込まれたものは、長い次元のうねりを超え、別の時代へと飛ばされたのだ」
「……! そうか!」
ジャキの言いたいことが分かってきた。ラヴォスとやらによって開いた穴。
彼らはそれに飲み込まれたのか。
「じゃあ、ジャキはそれに飲み込まれ、この時代へ……?」
「そうだ。ずっとラヴォスと女王への復讐の機会を窺っていた。しかしそれも達成された」
俺は驚いた。ラヴォスと女王への復讐が達成された? それって2人を倒したということなのだろう。
しかしそんな「空間のひずみ」なんていうものを作ってしまうほど、ラヴォスの力は強大なのだろう。そんなものに勝ったというのか。
「だが、1つ……いや2つ」
「2つ?」
「崩壊して皆が散り散りになった時、お前を見つけるのに手間取った」
「え、俺?」
いきなり俺のことを指され困惑する。
「黒い風は今はもう鳴いていない。これ以上馬鹿な真似をしないようにここに連れてきた」
「……それって、俺のことを心配してくれていたってこと?」
ジャキは無視した。けれど多分そういうことなのだろう。
彼は事故に巻き込まれ、元いた時代とは違う時代に飛ばされてきた。で、ラヴォスや女王に復讐を果たした。それで全て終わったから、わざわざ俺の所へ来てくれたのだろう。そういうことにしておく。
「2つって、もう1つは? ……あ」
彼の答えを聞く前に俺は気づいた。そうか、もう1人。彼にとって大事な人といえば。
「サラが……見つからないの?」
あの直前、サラはジール女王と共にどこかへ行っていたようだった。俺は残されたジャキと共に過ごしていたのだ。
普通に考えれば、サラもどこかの時代へ飛ばされた、と考えるのが妥当だろう。一番女王に近いところに居たと考えられるのだから。
そうか、ジャキはずっと、サラを捜し続けているのだ。
「全て終わったが、私にはまだやらねばならないことがある。だからお前には下手な真似をされては困る」
「わっ」
そう言ってジャキは何かを俺に投げて寄越す。きらきらしたものだ。
「これ……何?」
「お守り、だ。お前が勝手にどこかへ行かぬよう」
「お守り?」
お守り、なんて可愛い言葉だ。少なくともこんなに成長してしまったジャキには似ても似つかぬ言葉だろう。
しかしそれをよく見てみると指輪だった。これには何か魔力がこめられているのだろうか?
「長いこと留守にするだろう。しかし時折帰ってくる。待てるか?」
「うん、勿論」
「いい子だ」
「……ッ」
まるで年下かペットかでも扱うかのようにジャキは言い、俺の左手の甲にキスを落とした。
え? それには一体、何の意味が? おまじない的なものだろうか?
訳が分からず困惑していると、マントを翻して彼は闇夜に消えようとしている。
そんな彼の背中に、俺は何かを言わなければならない気がして、思わず叫んだ。
「ジャキ!」
返事もしない。振り返りもしない。
「俺、待ってるから! どこも行かずに……帰ってくるの、ちゃんと待ってるから!」
言い終わるか終わらないかの内に、彼はふっと消えた。俺は手の中の指輪に目を落とした。アルファドは既に俺の腕からはすり抜けてどこかへ行ってしまっている。
その部屋の壁を見上げてみれば、そこには十字架がかかっていた。月夜に照らされる様は、本当に俺は別の時代に来てしまったんだな、と思わせた。