花(オムニバス)
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「お目にかかれまして大変光栄です、毛利様。わたくしは澪士と申します」
初めて毛利元就の屋敷に足を踏み入れ、有難くも彼の前で頭を垂れる恩恵に与る。
「本日こちらに伺ったのは、花などご入用ではないかと思いまして」
「花?」
「はい」
顔を上げ、後ろを振り向く。
そこには箱が積んであり、その中に花を入れてあった。
「花が何の役に立つのか、申してみよ」
「仰る通り、花は戦の役には立ちません。しかし戦の合間に、皆様の心を安らげることができます」
毛利様の視線は相変わらず鋭い。
それでも僕は怯えないようにと必死に前を向く。
「いかがでしょうか?」
「――笑わせる」
ふっと彼は笑う。僕は思わず見とれる。
例え冷たさが垣間見えるその瞳でも、侮蔑を孕むその物言いでも、只々嬉しかった。
「毛利様」
「よかろう、澪士と言ったか? 好きなだけ置いていけ」
「え……」
「お前の置いていった分だけ我が買い取る。それでよいか?」
「え、あの、」
その目は既に、これ以上語ることはない、と言っているように見えた。
それは冗談ではなく本当に植えて帰ってよいのですか? と尋ねたかったが、恐らく尋ねたところで面倒そうに返答されるだけだろう。
僕はただ頭を下げ、後ろに置いてあった箱を持ち上げ、謁見の間をを去ろうとした。
その時だった。
「澪士」
「はい」
「また近くに来た時は、いつでも来るが良い」
「は……はい!」
有難き幸せです、とあながち嘘でもない言葉を残し、僕はそこから退出した。
その日は屋敷の兵士たちに不審がられながらも、毛利様の許可を頂いた、と言い、無理やり花を屋敷に置いたり庭に植えたりして帰った。
後日その花々の世話をしに再び彼の屋敷を訪ねると、どうやら毛利様が会いたがっているのだという。確かに毛利様に仕える方々の態度も幾分か丁寧なものになっていた。
僕は畏れながら再び謁見の間でまみえる。
「毛利様、この度は再びお招きいただき――」
「先日は花を植えて帰ったのだろう」
「は、はい」
もしかして怒られるのだろうか、と思わず身構える。
「いくらだ?」
「え?」
「買い取ると言っただろう」
「え、あ、ええ」
唐突に告げられ、僕は狼狽した。そういえばそういう話だった。
「ええと、申し訳ありません。今直ぐに申し上げるのは難しいので、明日再び、お訪ねしてもよろしいでしょうか」
「我を盗人にする気か?」
「申し訳ございません」
僕が頭を垂れると、彼は次の言葉を紡ぐ。
「……まあよい。花のせいかは分からぬが、ここの者たちも、少しか士気が上がっているようだ」
「!」
ふっと零れたその言葉は、僕にとってとても嬉しいものだった。
花は人を幸せにする。僕は経験上、それを知っている。
それでも毛利様に差し上げるにあたってはやはり不安があったため、そんな嬉しいことを実際に聞けたのは、非常に有意義なことだった。
「今後もそのように」
「はい、かしこまりました」
僕はそう答え、顔を上げないまま、その間を去る。
とても緊張したが、とても良い情報が得られた。
その後、よく丁寧に花の世話をして帰った。
それからというもの、僕は数日おきに毛利家の屋敷を訪ね、花の世話をして回った。元気がなければ水を遣り、枯れかけているものがあれば交換するなど、他ではやっていないようなこともやった。
そうする内に、毛利家に仕えている女中と話すようになり、また、毛利様自身とも話すことが増えた。
そんなある日だった。
「澪士、我に仕えぬか」
「え……?」
もはや陽も暮れかかっている時間に屋敷を訪れた僕に、彼はそう告げる。
「ですが私は戦うことができません、」
「知っている。庭師として仕えぬか、という話だ」
「!」
その言葉は何よりも嬉しいものだった。商売の対価として銭を受け取るよりもずっと。
毛利様のその言葉は、僕の花屋としての矜持を認めてくださるものであり、僕自身のことを認めてくださっているものでもあった。
「身に余る光栄です」
「明日、全ての荷を持ってここへ」
「かしこまりました」
是と伝えるまでもなく彼はそう言い、先に部屋から出ていってしまう。これは珍しいことだが、残された僕は1人。
この申し出を受けてよかったのか悪かったのか、今の僕にはまだ分からず。
「明日……か」
願う間もなく明日はやってくるだろう。そうなる前にやることが多くある。
僕はそれに気づき、急いで屋敷を飛び出した。
翌日、花屋を閉めることや荷造りに奔走し、何とか周りに話を付けることができた。
自身の荷もそれ程多くはなく、疲れた身体を引きずって毛利家にたどり着いたのは、陽もすっかり暮れてしまった頃である。
もしこれで昨日の約束を反故にされてしまったら、と考えると恐ろしくもあったが、屋敷に近づくにつれ、人影が見えてその心配もなくなった。
「毛利様……」
「遅い」
「申し訳ございません」
僕はその場に跪きたかったが、今ここで膝を地面に付けてしまえば、二度と立ち上がれなくなる気がした。
そのため心の中で詫びながら、僕は頭を深く下げた。
だがそれが良くなかった、疲れた足は偏った体重を支えることが出来ず、ぐらりと前に揺れる。
「うわ、」
足を付こうとしたがその前に誰かに支えられた。
「毛利様……! 申し訳ありません!」
「本当に1日で全て片付けたのか」
「ええ、勿論です。毛利様とのお約束ですから」
相当に疲れていることが見抜かれてしまったらしい。
「今日は早く寝ろ。明日も好きな時間に起きるとよい」
「ですが……」
「我に仕えると決めたのなら、今後は、もう少しここの花のために割く時間も増えるだろう」
それはその通りだ。むしろ僕はそのためにここに来たのだから。
こっちへ来い、と言われたので僕は素直に毛利様に従う。彼が自ら屋敷を案内してくれるようだ、こんな幸福がほかにあるだろうか。
「そこがそなたの部屋だ。好きに使うが良い」
「勿体なき幸せです」
そう言い置いて彼はさっさと去っていく。僕の胸に残るのはただの幸福感だけだ。
襖をそっと開けるとそこは5畳ほどの広さがあった。
中には机と布団が置かれている。僕は嬉しくなった。
「まさか……僕のために、こんな部屋を用意していただけるなんて……」
心の中では、他の人々と同じ部屋で寝起きするのだろうと思っていた。それでも何とか耐えようと覚悟を決めてきたのだ。毛利様のためであるから。
それなのにまさか1人だけの部屋を与えられるなど、これほどの広さの部屋を与えられるなど、思ってもみなかった。
明日から再び責務を務めなければならない。そう感じた。
「とりあえず寝よう」
夕飯は食べていなかったがそれどころではない。空腹は感じるがそれより瞼が重い。
風呂に入ることも考えず、持ってきた荷を片付けることも考えず、僕はただ、布団の上に横たわった。
しかし翌日以降、僕にとって奇妙なことが起こる。
「いけません、澪士様。この屋敷を出ては」
「屋敷を出てはいけないとは……何故ですか?」
ある日僕が、花屋を開いていた時のお客様を訪ねに行こうとすると、門の付近を警備していた兵が慌ててそう言った。
なお、僕がこの屋敷に来てからというものの、僕に謙った言葉を遣わないのは毛利様と馴染みの女中くらいだった。つまり僕はかなり身分の高い者と思われているようなのだ。
「それが毛利様のご命令でございます」
「毛利様が……?」
毛利様が仰るには、と兵は言う。
「我々はやむなく戦を続けています。ですからどこの者に恨まれても致し方なく、その者どもに隙を与えないためにも、澪士様の外出を制限するようにと」
「なるほど……」
何も納得できるような説明ではないが、今の僕には、そう答えるよりほかにはなかった。
ありがとうございますと言い、僕は門から外に出ることを諦める。
代わりに裏口を知っていたため――女中に教えてもらった――そちらへ向かった。
しかし考えが甘かった。
「何をしている? 澪士」
「毛利様……!」
突然声を掛けられ、僕は素早く振り向く。
「まさかそこから外に出ようと考えていたのではあるまいな」
「いえ、そんな……」
「我に仕えるようになったからには、我の命令は聞かねばならぬ」
さもなくば、と彼の瞳の奥が妖しく揺れた。
僕は彼の持っていた輪刀のことを思い出し身震いする。
「疑われるような真似をして申し訳ございません、毛利様。庭の花を手入れする作業に戻ります」
特に何も答えずに彼は去っていく。――裏口の前で、僕は1人。
今ここから出れば恐らくかつてのお客様を訪ねることができるだろう。同時に彼を裏切ることにもなるが。
彼は少し異常なのかもしれない。
そう思ったが、僕はもう、彼に仕えることを決めてしまったのだ。
「……戻ろう」
先程伝えたように、僕は諦めて庭へ戻った。
それ以降、僕は庭にすら最低限しか出ないようになった。それ以外の時間は縁側に座り、特にすることもなく外を眺めていた。外すら眺め飽きてしまったが。
毛利様は、時間がある時は時折僕の側へやってきて、たまに話すこともあるし、何も話さずに共に外を眺めていることもあった。
僕はこの屋敷の外の世界を忘れてしまいそうだったが、毛利様のお側に居られるのならそれもいいかもしれない、そう思いかけていた。
ある日僕は小さく呟く。
「新しい花が……欲しいな」
庭は相変わらず僕がかつて植えた花と、頼めば兵たちがいくつかの花を買ってきてくれることもあった。
それでも元々花に詳しくない人々が多いのだろう、とても庭に植え付けるような元気のない花だったり、現在植わっている花を買ってきたりして、僕の理想とする庭には程遠いものだった。
そんな風に思っていた矢先、僕は思わず、毛利様の隣でそんなことを零してしまったのだ。
「花? 今のままでは不満か」
「この庭はもっと美しく出来る筈です」
僕はそう答える。僕にはその自信がある、もし僕に自由に花を選ばせてもらえるなら、だが。
ふん、と言って毛利様はそれきり黙り込んでしまった。
そして側に居る時間はいつもよりずっと短く、今日はすぐに自室へと帰ってしまわれた。
「……やはり、怒らせたかな」
花は僕が兵に言い付けることもあるが、毛利様が直々に何かを告げていることもあると聞いた。だとしたら僕は毛利様を傷つけたことになるだろう。
そうは思ったものの、僕は毛利様を追って彼の部屋へ行く気にはならなかった。
もう長いことここに閉じ込められているせいで、立ち上がることも億劫になってしまっているのだ。
このままじゃいけないと思いつつ、花を世話する気力さえ失くなってしまいそうだった。
「どうしたものかな……」
確かに初めて毛利様にお会いした時、その姿に僕は一目で心を奪われたのだ。それは事実だ。そして彼のお側に居たいと感じたことも。
けれどこんな風に共に居たかったわけではない。もっと自由で、もう少し対等な関係で。
「もしかして」
僕は浅はかなことを考えたが、すぐに頭を横に振り、その考えを追いやった。
僕が毛利様にぽつりと零した言葉をすっかり忘れてしまった頃、毛利様はいつものように僕の座る縁側にやってきて、こう告げた。
「花を持ってきた」
「花?」
「前に言っていたことだ。……忘れたのか?」
「いえ、まさか」
そう言いながら僕は記憶の糸を手繰る。
彼に不審な目を向けられつつ、僕はそれなりに前のその記憶を探り当て、ああ新しい花が欲しいと言った時のことか、と思い出した。
「それだ」
毛利様は庭の一角を指す。
そこにあったのは、白い、広がるような可憐な花弁を付けた花があった。
「これは……テッポウユリ?」
「知っているか」
「はい。とても香りの良い花ですね。私は好きです」
「そうか」
毛利様の言葉はいつもより更に少ない。けれど僕はそれを気にも留めなかった。
花屋を営んでいた当時、テッポウユリは扱っていなかったけれど、その存在だけは知っていた。
だからとても嬉しくて、思わず庭に出ていって一株拾い上げ、それを持って彼の側へ戻った。
「ありがとうございます、毛利様」
「澪士、何か困ったことがある時は、我に言え」
「……? はい」
「邪魔をする者は我が排除しよう」
僕は思わず毛利様をまじまじと見返す。
「これからも我に仕えよ」
はい、と僕は答えた。
テッポウユリ///純潔・甘美・威厳
初めて毛利元就の屋敷に足を踏み入れ、有難くも彼の前で頭を垂れる恩恵に与る。
「本日こちらに伺ったのは、花などご入用ではないかと思いまして」
「花?」
「はい」
顔を上げ、後ろを振り向く。
そこには箱が積んであり、その中に花を入れてあった。
「花が何の役に立つのか、申してみよ」
「仰る通り、花は戦の役には立ちません。しかし戦の合間に、皆様の心を安らげることができます」
毛利様の視線は相変わらず鋭い。
それでも僕は怯えないようにと必死に前を向く。
「いかがでしょうか?」
「――笑わせる」
ふっと彼は笑う。僕は思わず見とれる。
例え冷たさが垣間見えるその瞳でも、侮蔑を孕むその物言いでも、只々嬉しかった。
「毛利様」
「よかろう、澪士と言ったか? 好きなだけ置いていけ」
「え……」
「お前の置いていった分だけ我が買い取る。それでよいか?」
「え、あの、」
その目は既に、これ以上語ることはない、と言っているように見えた。
それは冗談ではなく本当に植えて帰ってよいのですか? と尋ねたかったが、恐らく尋ねたところで面倒そうに返答されるだけだろう。
僕はただ頭を下げ、後ろに置いてあった箱を持ち上げ、謁見の間をを去ろうとした。
その時だった。
「澪士」
「はい」
「また近くに来た時は、いつでも来るが良い」
「は……はい!」
有難き幸せです、とあながち嘘でもない言葉を残し、僕はそこから退出した。
その日は屋敷の兵士たちに不審がられながらも、毛利様の許可を頂いた、と言い、無理やり花を屋敷に置いたり庭に植えたりして帰った。
後日その花々の世話をしに再び彼の屋敷を訪ねると、どうやら毛利様が会いたがっているのだという。確かに毛利様に仕える方々の態度も幾分か丁寧なものになっていた。
僕は畏れながら再び謁見の間でまみえる。
「毛利様、この度は再びお招きいただき――」
「先日は花を植えて帰ったのだろう」
「は、はい」
もしかして怒られるのだろうか、と思わず身構える。
「いくらだ?」
「え?」
「買い取ると言っただろう」
「え、あ、ええ」
唐突に告げられ、僕は狼狽した。そういえばそういう話だった。
「ええと、申し訳ありません。今直ぐに申し上げるのは難しいので、明日再び、お訪ねしてもよろしいでしょうか」
「我を盗人にする気か?」
「申し訳ございません」
僕が頭を垂れると、彼は次の言葉を紡ぐ。
「……まあよい。花のせいかは分からぬが、ここの者たちも、少しか士気が上がっているようだ」
「!」
ふっと零れたその言葉は、僕にとってとても嬉しいものだった。
花は人を幸せにする。僕は経験上、それを知っている。
それでも毛利様に差し上げるにあたってはやはり不安があったため、そんな嬉しいことを実際に聞けたのは、非常に有意義なことだった。
「今後もそのように」
「はい、かしこまりました」
僕はそう答え、顔を上げないまま、その間を去る。
とても緊張したが、とても良い情報が得られた。
その後、よく丁寧に花の世話をして帰った。
それからというもの、僕は数日おきに毛利家の屋敷を訪ね、花の世話をして回った。元気がなければ水を遣り、枯れかけているものがあれば交換するなど、他ではやっていないようなこともやった。
そうする内に、毛利家に仕えている女中と話すようになり、また、毛利様自身とも話すことが増えた。
そんなある日だった。
「澪士、我に仕えぬか」
「え……?」
もはや陽も暮れかかっている時間に屋敷を訪れた僕に、彼はそう告げる。
「ですが私は戦うことができません、」
「知っている。庭師として仕えぬか、という話だ」
「!」
その言葉は何よりも嬉しいものだった。商売の対価として銭を受け取るよりもずっと。
毛利様のその言葉は、僕の花屋としての矜持を認めてくださるものであり、僕自身のことを認めてくださっているものでもあった。
「身に余る光栄です」
「明日、全ての荷を持ってここへ」
「かしこまりました」
是と伝えるまでもなく彼はそう言い、先に部屋から出ていってしまう。これは珍しいことだが、残された僕は1人。
この申し出を受けてよかったのか悪かったのか、今の僕にはまだ分からず。
「明日……か」
願う間もなく明日はやってくるだろう。そうなる前にやることが多くある。
僕はそれに気づき、急いで屋敷を飛び出した。
翌日、花屋を閉めることや荷造りに奔走し、何とか周りに話を付けることができた。
自身の荷もそれ程多くはなく、疲れた身体を引きずって毛利家にたどり着いたのは、陽もすっかり暮れてしまった頃である。
もしこれで昨日の約束を反故にされてしまったら、と考えると恐ろしくもあったが、屋敷に近づくにつれ、人影が見えてその心配もなくなった。
「毛利様……」
「遅い」
「申し訳ございません」
僕はその場に跪きたかったが、今ここで膝を地面に付けてしまえば、二度と立ち上がれなくなる気がした。
そのため心の中で詫びながら、僕は頭を深く下げた。
だがそれが良くなかった、疲れた足は偏った体重を支えることが出来ず、ぐらりと前に揺れる。
「うわ、」
足を付こうとしたがその前に誰かに支えられた。
「毛利様……! 申し訳ありません!」
「本当に1日で全て片付けたのか」
「ええ、勿論です。毛利様とのお約束ですから」
相当に疲れていることが見抜かれてしまったらしい。
「今日は早く寝ろ。明日も好きな時間に起きるとよい」
「ですが……」
「我に仕えると決めたのなら、今後は、もう少しここの花のために割く時間も増えるだろう」
それはその通りだ。むしろ僕はそのためにここに来たのだから。
こっちへ来い、と言われたので僕は素直に毛利様に従う。彼が自ら屋敷を案内してくれるようだ、こんな幸福がほかにあるだろうか。
「そこがそなたの部屋だ。好きに使うが良い」
「勿体なき幸せです」
そう言い置いて彼はさっさと去っていく。僕の胸に残るのはただの幸福感だけだ。
襖をそっと開けるとそこは5畳ほどの広さがあった。
中には机と布団が置かれている。僕は嬉しくなった。
「まさか……僕のために、こんな部屋を用意していただけるなんて……」
心の中では、他の人々と同じ部屋で寝起きするのだろうと思っていた。それでも何とか耐えようと覚悟を決めてきたのだ。毛利様のためであるから。
それなのにまさか1人だけの部屋を与えられるなど、これほどの広さの部屋を与えられるなど、思ってもみなかった。
明日から再び責務を務めなければならない。そう感じた。
「とりあえず寝よう」
夕飯は食べていなかったがそれどころではない。空腹は感じるがそれより瞼が重い。
風呂に入ることも考えず、持ってきた荷を片付けることも考えず、僕はただ、布団の上に横たわった。
しかし翌日以降、僕にとって奇妙なことが起こる。
「いけません、澪士様。この屋敷を出ては」
「屋敷を出てはいけないとは……何故ですか?」
ある日僕が、花屋を開いていた時のお客様を訪ねに行こうとすると、門の付近を警備していた兵が慌ててそう言った。
なお、僕がこの屋敷に来てからというものの、僕に謙った言葉を遣わないのは毛利様と馴染みの女中くらいだった。つまり僕はかなり身分の高い者と思われているようなのだ。
「それが毛利様のご命令でございます」
「毛利様が……?」
毛利様が仰るには、と兵は言う。
「我々はやむなく戦を続けています。ですからどこの者に恨まれても致し方なく、その者どもに隙を与えないためにも、澪士様の外出を制限するようにと」
「なるほど……」
何も納得できるような説明ではないが、今の僕には、そう答えるよりほかにはなかった。
ありがとうございますと言い、僕は門から外に出ることを諦める。
代わりに裏口を知っていたため――女中に教えてもらった――そちらへ向かった。
しかし考えが甘かった。
「何をしている? 澪士」
「毛利様……!」
突然声を掛けられ、僕は素早く振り向く。
「まさかそこから外に出ようと考えていたのではあるまいな」
「いえ、そんな……」
「我に仕えるようになったからには、我の命令は聞かねばならぬ」
さもなくば、と彼の瞳の奥が妖しく揺れた。
僕は彼の持っていた輪刀のことを思い出し身震いする。
「疑われるような真似をして申し訳ございません、毛利様。庭の花を手入れする作業に戻ります」
特に何も答えずに彼は去っていく。――裏口の前で、僕は1人。
今ここから出れば恐らくかつてのお客様を訪ねることができるだろう。同時に彼を裏切ることにもなるが。
彼は少し異常なのかもしれない。
そう思ったが、僕はもう、彼に仕えることを決めてしまったのだ。
「……戻ろう」
先程伝えたように、僕は諦めて庭へ戻った。
それ以降、僕は庭にすら最低限しか出ないようになった。それ以外の時間は縁側に座り、特にすることもなく外を眺めていた。外すら眺め飽きてしまったが。
毛利様は、時間がある時は時折僕の側へやってきて、たまに話すこともあるし、何も話さずに共に外を眺めていることもあった。
僕はこの屋敷の外の世界を忘れてしまいそうだったが、毛利様のお側に居られるのならそれもいいかもしれない、そう思いかけていた。
ある日僕は小さく呟く。
「新しい花が……欲しいな」
庭は相変わらず僕がかつて植えた花と、頼めば兵たちがいくつかの花を買ってきてくれることもあった。
それでも元々花に詳しくない人々が多いのだろう、とても庭に植え付けるような元気のない花だったり、現在植わっている花を買ってきたりして、僕の理想とする庭には程遠いものだった。
そんな風に思っていた矢先、僕は思わず、毛利様の隣でそんなことを零してしまったのだ。
「花? 今のままでは不満か」
「この庭はもっと美しく出来る筈です」
僕はそう答える。僕にはその自信がある、もし僕に自由に花を選ばせてもらえるなら、だが。
ふん、と言って毛利様はそれきり黙り込んでしまった。
そして側に居る時間はいつもよりずっと短く、今日はすぐに自室へと帰ってしまわれた。
「……やはり、怒らせたかな」
花は僕が兵に言い付けることもあるが、毛利様が直々に何かを告げていることもあると聞いた。だとしたら僕は毛利様を傷つけたことになるだろう。
そうは思ったものの、僕は毛利様を追って彼の部屋へ行く気にはならなかった。
もう長いことここに閉じ込められているせいで、立ち上がることも億劫になってしまっているのだ。
このままじゃいけないと思いつつ、花を世話する気力さえ失くなってしまいそうだった。
「どうしたものかな……」
確かに初めて毛利様にお会いした時、その姿に僕は一目で心を奪われたのだ。それは事実だ。そして彼のお側に居たいと感じたことも。
けれどこんな風に共に居たかったわけではない。もっと自由で、もう少し対等な関係で。
「もしかして」
僕は浅はかなことを考えたが、すぐに頭を横に振り、その考えを追いやった。
僕が毛利様にぽつりと零した言葉をすっかり忘れてしまった頃、毛利様はいつものように僕の座る縁側にやってきて、こう告げた。
「花を持ってきた」
「花?」
「前に言っていたことだ。……忘れたのか?」
「いえ、まさか」
そう言いながら僕は記憶の糸を手繰る。
彼に不審な目を向けられつつ、僕はそれなりに前のその記憶を探り当て、ああ新しい花が欲しいと言った時のことか、と思い出した。
「それだ」
毛利様は庭の一角を指す。
そこにあったのは、白い、広がるような可憐な花弁を付けた花があった。
「これは……テッポウユリ?」
「知っているか」
「はい。とても香りの良い花ですね。私は好きです」
「そうか」
毛利様の言葉はいつもより更に少ない。けれど僕はそれを気にも留めなかった。
花屋を営んでいた当時、テッポウユリは扱っていなかったけれど、その存在だけは知っていた。
だからとても嬉しくて、思わず庭に出ていって一株拾い上げ、それを持って彼の側へ戻った。
「ありがとうございます、毛利様」
「澪士、何か困ったことがある時は、我に言え」
「……? はい」
「邪魔をする者は我が排除しよう」
僕は思わず毛利様をまじまじと見返す。
「これからも我に仕えよ」
はい、と僕は答えた。
テッポウユリ///純潔・甘美・威厳