花(オムニバス)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
白ひげ海賊団が次にたどり着いた島は、夏島と言う程の熱帯ではないけれども、そろそろ夏を感じるような気候の島だった。
彼ら海賊団を迎える港町はかなり活気のある街で、だがこの島の中では、その街が一番栄えているのだと人々の会話から知る。
とりあえず行こう、酒場にでも、と言われ、エースは特に何も考えずマルコの後に着いていった。
「ねえ、そこのお兄さーん。彼女にお花、どう?」
「え、オレ?」
賑やかな通りを人を避けながら歩いていると、エースに向かって掛けられた声が1つ。
ふっと声のする方を向くと、色とりどりの花が店先に並べられていた。
「そう、君。そんなにかっこいいんだし、花もあげたら女の子ゲットできる確率上がるんじゃない?」
「あのなあ……そういうんじゃないって」
「またまた」
くすくすと楽しそうに笑うのは、花屋の店員だ。もしかしたら店長かもしれない。
少し面倒な絡まれ方だが、不思議と嫌な気持ちにはならない。普段だったら無視するだろうが。
エースがこうして少し立ち止まった間にどうせマルコとはぐれてしまったので、ふらりとその花屋に近づいた。
「花屋なんて珍しいな、こんなに海が近いのに」
「やっぱりそう思う? お兄さん、海賊でしょ」
「ああ」
「俺はレイシ。この花屋の店長だよ」
他に従業員は居ないけどね、とレイシは笑う。
確かにあまり大きな店ではないが、こんなに賑やかな通りなら結構忙しいんじゃないか、と興味本位で尋ねるエース。
「ううん。皆君と同じ理由だよ」
「え?」
「海が近いからって」
通りの大分中に入ってきたので潮風が直接吹き付けるような感じではない。しかし港町ゆえ、髪の毛がパサついたり、色々な物が傷みやすいのは確かだろう。花もまた然り。
「ああ、ごめんね。そんな顔しないで。それでもお客さんは来てくれるわけだし、別に君にそんな顔をさせたかったわけじゃないから」
呼び止めてごめんね、と言うレイシ。
「いや、どうせ大した目的はなかったし」
「そうなんだ。……そういえば船、見たと思うけど。今は他の海賊もこの街にいるから」
「ああ」
「喧嘩するなとは言わないけど、あんまり街を壊さないようにしてほしいかな」
「何だよそれ」
どんなんだと思われてんだ、とエースは笑う。でもまあ当然か、とも。
海賊だって所構わず喧嘩をふっかけているわけではない、一応。マナーが悪いのが多いから必然的に我慢ならないことが増えるだけで。
「そうだ、俺、エースってんだ」
「ふうん、エースか」
「1週間くらいここに居るらしいから、また会えるといいな」
「うん、そうだね」
花買って行って、とは最初の声かけ以来一度も言わず。また引き留められることもなく。
じゃ、とだけ言って、マルコを捜しに花屋を離れた。
「おい、エース。……エースってば!」
「え? あ、何?」
「聞いてなかったのかよ」
その後無事にマルコ達の集う酒場にたどり着いたものの、エースはどこか上の空だった。
見渡してみれば、あの花屋の店長が言ったように、別の船の海賊が居る。しかしそちらも特に何かする気はないようで、互いに干渉しないようにしていた。
「なんか変だぜ、エース」
「そうか?」
「ああ。……可愛い子でもいたのか?」
「……いや」
「何だよいその間は」
可愛い子? ――いやあれは男だ。
しかし即答できなかった間が怪しまれる。
「何だよエース抜け駆けする気か?」
「いやそんなんじゃないし」
「いやぁ海の男ってのはつらいよな。ある街に好きな女を作っても、明日にはもう離れなきゃいけない……」
「だからそんなんじゃないっての」
面倒くさくなったエースは席を立つ。どうせ食事はあらかた終えた後だ。
「おいどこ行くんだよエース」
「先に帰る」
後ろから何か言われたが特に気にすることもなく酒場を出る。
すっかり辺りは暗くなって、空には星がいくつか見えた。
(……真っ直ぐ帰るのもアレだしな)
暗い中全く知らない街を歩くのは危険だというのも重々承知だったが、それでもこの何とも言えない気持ちを整理しておきたかった、せめて船に帰るまでには。
エースは何となく高い方へ登っていく。突然街や、海を見渡しておきたいような気持ちになったのだ。
海なんて毎日飽きるほど見ている筈なのに、何故だろう、今はその姿が愛しかった。
「見えた」
登り始めて少しすると簡単に崖に着いた。少し木が多くて見通しは悪いが、まあ誰も居ないだろう。
そう思いながら座って黒い海を眺める。
明日の朝にはまた光り輝くその姿を見せてくれるのだろう。
後ろに手をついて少し休もうとすると、柔らかい感触に触れた。
「?」
振り向くと、そこには花。昼間と勘違いしているのか、1つだけ咲いている花があった。
エースは慌てて手をどける。
「……綺麗な花だな」
見た目には赤いアサガオだ。仄かな月明かりの許でもその可憐さは分かる。
少し眺めていると、仲間の中に、花に詳しかった奴がいたのを思い出した。
別にだから何をするというわけでもないが、何だか気になった。
「帰って聞いてみるか」
そのアサガオを見つけたお陰で何だか元気になった気はする。でももう少しだけ、海を眺めていたい。どうせまたすぐにあそこに帰るのに。
心を空にしてぼーっと海を見るだけのつもりだったが、いつの間にか昼間のレイシのことを思い出したりして、結局寝付けないだろうという結論に至った。
「あーそりゃルコウソウだな」
「ルコウソウ?」
翌日、船上で花に詳しい仲間を見つけ、昨晩の花のことを話してみた。
すると間髪入れずに答えが返ってきたので、そんなに有名な花なのか、とエースは問うてみる。
「まあ綺麗な花だしな。それに花言葉もロマンチックだし、人気はあるんじゃねえか? ツル性だから花束にするには向かないと思うけどな」
「へえ、どんな花言葉なんだ?」
「確か……『常に愛らしい』とか『情熱』とかって意味だったと思うぜ」
「ふーん」
で、その花がどうかしたのか、と逆に聞かれ。
この街で見かけたのだと素直に答える。
「そういうことじゃなくてよ、誰か見せたい奴でも居るのか? ってことだよ」
「はあ?」
「聞いたぜ、昨日の。可愛い子見つけたんだろ」
「だから違うって」
まさかこんなところまで伝わっているとは、とエースはげんなりする。こうなったらもう船員全員が知っているのではないのか。
ありがとな、と早口で礼を言い、さっさと船を下りることにする。
と言ってもこんな何も知らない街ではあてもなく。
「さて、どうすっかな」
そう思った時に思い浮かんだのは、昨日の花屋。だが軽く頭を横に振り、その思いを打ち消す。何でそんなのが浮かぶんだ。飯より先に。
エースは少し考えて、何か食事屋を探そうと思った。そういえばまだ朝食を食べてきていない。
街に向かって歩きだした矢先だった。
「あ、昨日の!」
「ん?」
「エースだっけ」
声を掛けられて驚いて振り向くと、そこには件の花屋の店長が居た。
「レイシ、どうしてこんな所に?」
エースが驚くのも当たり前だった。ここはあくまで港であり、花になんか何も関係ない場所だろう。
あははとレイシは笑った。
「今日は休み」
「休み? そっか、休みもあるのか」
「酷いな、そんな酷い商売じゃないって。ただもうひとつの仕事があってね」
「もうひとつ?」
そう答えるレイシが抱えていたのは木のカゴ、中から時折何かを叩く音が聞こえる。
近づいてくるレイシのその腕の中を覗き込むと、何とカゴの中には魚がいた。しかもまだ生きている。
「魚? 何で?」
「俺、花屋が休みの時には、たまに友達の店手伝ってんの」
「へえ、魚屋?」
「いや、レストラン」
「おお」
そのエースの反応にレイシは察したように言う。
「もしかして、ご飯まだ?」
「ああ」
「丁度良かった、うちもまだ開店はしてないんだけど、俺の友達だって言ったら何か出してくれるかも」
「マジか!?」
「うん」
エースは歩きだしたレイシの後に着いていく。
街は昨日と同じような賑やかさに包まれており、その喧騒が何だか安心する。
「俺、結構食うけど」
「そうなの? まあきっと大丈夫だよ。俺も一緒に朝食作ってもらおうかと思ってるけど、俺も結構食べるから」
そうはいってもエースだって規格外である、それは自分でも分かっているのだが。
しかし折角の好意を逃してしまうのも、と思うので、黙っておく。
昨日の花屋とは違う通りに入るとすぐ、白い庇の突き出た店が見えた。
「ここが店だよ」
爽やかな外観の店だ。カランカランと鈴を鳴らして入っていく。
「よーレイシお帰り……って、誰?」
「エース。昨日会った」
「よろしく」
「そうか、俺はここの店長。もしかしてエースも朝飯食いに来たわけ?」
「ああ、できれば」
「分かった。レイシ魚寄越せ、2人ともちょっと待ってろよ」
気さくなレイシの友人だけあって非常にフレンドリーだ、とりあえず朝食にありつけそうでエースは安心する。
じゃあ座ってようか、とレイシに促されるが、店は外から見るより広く綺麗で、どこに座るべきか戸惑った。
「海賊はこういう店来ないんだ?」
「ああ、そうだな。なんかこう……もっとガヤガヤしてるような、酒場とかに行くことが多いな」
「ああ分かる、なんかそんなイメージ」
レイシが窓の傍のテーブルについたので、エースもそれに倣ってレイシの向かいに座る。
じっと窓の外を行き交う人々を眺めるその横顔に、思わず見とれた。
「でも、大変だな」
「ん? 何が?」
「だって休みなのに働いてるんだろ?」
その事実を押し隠すようにエースは質問を絞り出す。
視線がエースの方に戻ってきて、それはそれで、胸を締め付けた。
「あはは、別に大したことないよ。ここも好きで手伝ってるだけだし」
「んー」
「それに海賊はずっと大変なんじゃないの? 海の上だったら、いつ敵が来るか分からないから、常に気を張ってそうだし」
「や、そんなこともないけどな」
それから朝食が出てくるまで、エースは海の上での生活の話をした。レイシは面白そうに頷いては色々と質問してくれる。
盛り上がっている間に店長が戻ってきて、2人分の食事をテーブルに置いてくれた。
「ありがとう」
「お、美味そう!」
「そう言ってもらえると作りがいがあるな。おかわりはないけどそれ全部食っていいぞ」
貝のパスタ。木のカゴの奥には、もしかしたら貝も入っていたのかもしれない。
後から持ってきてくれたのはカルパッチョ。先程まで生きていた魚だろうか。
「エース、海賊だから魚は飽きた?」
「えっお前海賊なのか!?」
「ああ。でも魚は美味いし、こんな美味い料理は船の上じゃなかなか出てこないからな。これならいくらでも食える」
店の店長は笑って奥に引っ込もうとする。
「あーそうだー。ねー相談があるんだけど」
「ん?」
「……今日、やっぱ休んでいい?」
「何だよいきなり」
唐突なレイシの申し出に店長は嫌な顔をして見せる。
しかし一瞬でそれを苦笑に変えた。
「何か用事でも思い出したか?」
「そういうこと。ごめん、この埋め合わせは今度するから」
「いーって。ほぼ無償で働いてくれてるわけだし」
そう言いながら今度こそ店長は裏に戻っていく。きっとランチに向けて色々な準備があるのだろう。
「エース、この後暇?」
「ああ、暇だけど」
「だったら少し散歩しない?」
「え、いいのか? 用事があるんじゃ」
「さっきの話してたら、もっとエースと話したくなった」
素直に笑顔で伝えられる好意は嫌いではない。が、そういうことに慣れないエースにとって、どう答えるのが正しいのか分からない。
けれどレイシと共に過ごす時間はきっと悪くないだろう。
「俺もこの後何しようかって思ってたところだから、丁度よかった」
「本当に? 色々案内してあげるよ」
2人はその後、気持ち早めにパスタを食べ――それはエースの願望だったかもしれない――エースは無理やり代金を置いていき、店を出た。
まだ朝だが日射しはそれなりにある。いい天気だ。
「で、どこ行くんだ?」
「どうしようかな。案内したい所は色々あるけど」
そう迷いながら考えてくれている、レイシのその姿が何だか嬉しい。
「じゃあこっち」
「ああ」
人混みの中ではぐれないよう、エースはレイシの後を着いていった。
色々な所に案内され、夕食を食べると、早くも別れの時間となっていた。
空には三日月が浮かび、星も見え隠れする。
送る、と言ってエースはレイシの家の近くまで話しながら歩いた。
「ありがとう、エース。今日はすごく楽しかった」
「こちらこそ」
「……またこんな時間があったらいいね」
――それはどういう意味なのだろうか? 心もとない月明かりの下では、その表情は見えず。
明日は俺仕事だからそれじゃあ、と言ってレイシは角を曲がっていった、エースはその角から顔を出し、レイシの姿が見えなくなるまで見送る。
(……でも、あと1週間だけだ)
また会えたらいい、とは思う。勿論あの花屋に行けば明日だって会えるだろう。けれどきっとこの1週間以内にこんな休みはないだろう。
今日のことは只しっかり胸にしまっておこう。そう決めた。
その後、ログポースのログが溜まるまでの間、エースは何かと理由を付けて例の花屋の前を通りかかった。
そういう時、何故か必ず客はおらず、レイシはとても嬉しそうに迎えてくれる。束の間の会話も楽しむことが出来た。
けれどとうとう明日この島を出立する、となった日、エースはとてつもない寂しさと後悔に襲われる。
(……もう、お別れか)
海賊という立場上、別れは何度も経験している。レイシのように島々で仲良くなった人と別れてきたのもあるし、他の海賊や海軍と戦っている間に、同じ白ひげ海賊団の仲間を喪ったこともある。
でも今回は何かが違う、エースはそう思っていた。胸に去来する感情の種類が違うような気がしていた。
それが何なのか、言葉にする術は持っていなかったけれど。
「おい、エース呑んでるか!?」
「おー!」
だからその寂しさとよく分からない感情を吐き出してしまおうとして、夜、初日に入ったのと同じ酒場で開かれる宴会に参加して、いつもより深酒をしていた。
エースは元々それ程飲まないが――あまり深く酔うのが好きではないのだ――今日はかなり飲んでいる。
けれどそれ以上に周りの仲間たちが呑んでいるので、エースがどれだけ呑んだところで特に心配して気にされるようなことはなかった。エースとしてはそれで良かったのだが。
「もう一杯」
「おーエース呑むねえ」
そう言いながらエースは酒を煽る。同じテーブルにつく者たちから歓声が上がる。
そうして注文したその一杯も飲み干した。周りの者たちはまだまだ飲む気があるらしい。
気持ち悪いということはなかったが、少し酔いを覚ましたくて、席から立ち上がった。
「ちょっと外行ってくるわ」
「おー」
特に心配する者もいない。確かにそういうのは日常茶飯事だ。
下手に気にされると今は面倒くさいので、有り難い、と思いながらエースは外に出る。
酒場から外に出てぼーっと空を眺めていると、うっすらと月が目に入って、突然初日のことを思い出した。
花のことも。
「……レイシ、居るかな」
なんて馬鹿な考えだろう。寂しくなって別れたくなくなるだろうから、もう今日は会わないと決めていたのに。
実際エースは今日は花屋の近くには寄り付かなかった。わざと避けていると言ってもいいくらいに。
尤も今日は明日の出発に備え、食糧や備品を買い込む必要があったので忙しくて、そんな暇もなかったわけだが。
(今の俺の姿を見たら、どう思うだろう)
こんな、酒の力を借りようなんてどうかしている。自分はそんな人間ではなかった筈なのに。
そう思いながらも花屋へ向かう足取りは止まらず、あっという間にそこに着いてしまった。
「あれ……エースじゃん」
明かりの消えた花屋から出てくるレイシ。丁度帰るところだったようだ。
頭が上手く回らず、エースは何も答えられない。
「もう出発したのかと思ってた。今日は来なかったから」
「いや……出発は明日だ」
「ああ、そうなんだ。じゃあ今日は宴会?」
「分かんのか?」
「エース、たくさん呑んだんだろうなって感じ」
そう苦笑するレイシに、エースは少し恥ずかしくなる。やはりバレていたか。
「あのさ、レイシ」
「ん?」
「明日は朝早いから、多分今日で、もう会えなくなる」
「……そうなんだ」
沈んだ声。
「だから、少し散歩しないか」
「うん、いいよ」
2人は並んで歩く。通りは昼間と打って変わって静かだ。
エースは特に何を考えたわけでもないが、自然に、レイシの左手を取って自分の右手に絡めた。
「エース? ……」
レイシは一瞬驚いたようにエースを見たが、意図を察したのか、何も言わずに握り返してくる。
どうせ見ているのはたった2、3人だ。それにエースは明日から居ない身。
嫌がる理由もなかったのだろう、と結論付ける。
「どこ行くの?」
「内緒」
そう言いながらエースは、初日と同じ、海を見渡せる場所へ登っていく。
2人の手は強く互いを握り合う。まるで放すことを恐れるかのように。
沈黙が2人の間を支配して少し経つと、例の場所にたどり着いた。
「……レイシ」
「何、エース」
エースはレイシの名を呼ぶ、しかし2人の目線は暗い海に投げられている。
「この花、見せたかったんだ」
「え、花?」
見ればこの前と同じ、咲いている花が一輪。
赤いアサガオ、花屋であるレイシなら知っているかもしれないけれど。
「俺、この花知らないかも」
「え、そうなのか?」
「うん。あんまり花屋向きの花じゃなさそうだし」
なんて花? と尋ねられ、ルコウソウ、と答える。
「ルコウソウ。へえ」
「花言葉は、『常に愛らしい』とか『情熱』って意味らしい」
「そうなんだ。確かに可愛い花だね」
違う、とエースは口の中で言った。
確かにこの花は綺麗だけれども、そうじゃなくて。
「……レイシに、あげたいんだ。この花を」
「え?」
いつの間にかしゃがみ込んでその花を見ていたレイシが、エースを見上げる。
その目が、その仕草が。
今まで出会ったどの女性より、エースにとって好ましい。
「もう、明日には出発しなきゃいけないから」
何も言わない方が幸せだろう。グランドラインに浮かぶこの島に、次戻ってこれるとしても、いつになるか。
「……エース」
レイシは立ち上がる。エースと相対する。
横顔だけが月に照らされて、その表情があまりに悲しそうで。
「もう、行っちゃうんだ」
「!」
レイシの手がエースに向かって伸びる。ここでそんなことをしてしまえば戻れないこと、2人とも分かっている。
けれどエースはそれから逃げることも叶わず、甘んじて受け入れた。
その柔らかさに、結局レイシの背中に手を回すこともしてしまう。
「俺、エースのこと――」
「それ以上言うな。頼むから」
別れがつらくなる。今だって何とか堪えているのに。
レイシもエースも何も言わず、ただ波の音だけを聞きながら、暫く黙って抱き合っていた。
もう一生会えなくても、その温もりを思い出せるように。
「……そろそろ、戻ろうか」
どれくらいそうしていただろう、立っているのも疲れてきてしまった頃に。
レイシからそう切り出す。エースも頷く。
「ねえ、エース」
「ん?」
歩きだそうとした矢先、後ろに居たレイシが呼び止めた。
振り返ってもエースからはその表情は見えない。
「ん、」
勢い良く抱きついてくるレイシ。
と同時に唇が触れ合う。
「レイシ、」
名前を呼んで嗜めたものの、もう触れてしまった以上、簡単に止められる筈もなく。
レイシを抱きしめ、今度はエースから唇を味わう。
今までどんな人に対しても抱いたことのないような情熱で。
「んん、ふ、」
僅かに漏れる吐息がたまらなく愛しくて、もうこのまま自分のものにしてしまえればいいのに、と願った。
翌日の朝、レイシはいつもより遅く起き出した。今日は花屋は休みだ。
もうエースの乗る船は出航してしまっただろう。朝が早いと言っていたから。
「これでいいんだよね」
2人の間に明確に答えはなかったけれど、それで良いのだ、と目で取り決めた。それ以上は何もいらない。もう十分伝わったから。
さて今日は、また丘に登って、太陽の下で咲く綺麗なルコウソウを見に行こう。きっと昨晩より美しい姿を見せてくれる。
「そうだ、その前に……」
レイシは机の前に座り、抽斗から便箋と封筒を取り出す。誰かに手紙を書くのは久しぶりだ。
手紙の文章なんて書き慣れていないけれど、どうしても送りたい相手がいるから。
「……待てよ」
レイシは手紙を書き出す。
しかし手を止め、はてこれはどこに宛てればよいのだろう、と思い、窓の外の海を眺めた。
ルコウソウ///常に愛らしい・情熱
彼ら海賊団を迎える港町はかなり活気のある街で、だがこの島の中では、その街が一番栄えているのだと人々の会話から知る。
とりあえず行こう、酒場にでも、と言われ、エースは特に何も考えずマルコの後に着いていった。
「ねえ、そこのお兄さーん。彼女にお花、どう?」
「え、オレ?」
賑やかな通りを人を避けながら歩いていると、エースに向かって掛けられた声が1つ。
ふっと声のする方を向くと、色とりどりの花が店先に並べられていた。
「そう、君。そんなにかっこいいんだし、花もあげたら女の子ゲットできる確率上がるんじゃない?」
「あのなあ……そういうんじゃないって」
「またまた」
くすくすと楽しそうに笑うのは、花屋の店員だ。もしかしたら店長かもしれない。
少し面倒な絡まれ方だが、不思議と嫌な気持ちにはならない。普段だったら無視するだろうが。
エースがこうして少し立ち止まった間にどうせマルコとはぐれてしまったので、ふらりとその花屋に近づいた。
「花屋なんて珍しいな、こんなに海が近いのに」
「やっぱりそう思う? お兄さん、海賊でしょ」
「ああ」
「俺はレイシ。この花屋の店長だよ」
他に従業員は居ないけどね、とレイシは笑う。
確かにあまり大きな店ではないが、こんなに賑やかな通りなら結構忙しいんじゃないか、と興味本位で尋ねるエース。
「ううん。皆君と同じ理由だよ」
「え?」
「海が近いからって」
通りの大分中に入ってきたので潮風が直接吹き付けるような感じではない。しかし港町ゆえ、髪の毛がパサついたり、色々な物が傷みやすいのは確かだろう。花もまた然り。
「ああ、ごめんね。そんな顔しないで。それでもお客さんは来てくれるわけだし、別に君にそんな顔をさせたかったわけじゃないから」
呼び止めてごめんね、と言うレイシ。
「いや、どうせ大した目的はなかったし」
「そうなんだ。……そういえば船、見たと思うけど。今は他の海賊もこの街にいるから」
「ああ」
「喧嘩するなとは言わないけど、あんまり街を壊さないようにしてほしいかな」
「何だよそれ」
どんなんだと思われてんだ、とエースは笑う。でもまあ当然か、とも。
海賊だって所構わず喧嘩をふっかけているわけではない、一応。マナーが悪いのが多いから必然的に我慢ならないことが増えるだけで。
「そうだ、俺、エースってんだ」
「ふうん、エースか」
「1週間くらいここに居るらしいから、また会えるといいな」
「うん、そうだね」
花買って行って、とは最初の声かけ以来一度も言わず。また引き留められることもなく。
じゃ、とだけ言って、マルコを捜しに花屋を離れた。
「おい、エース。……エースってば!」
「え? あ、何?」
「聞いてなかったのかよ」
その後無事にマルコ達の集う酒場にたどり着いたものの、エースはどこか上の空だった。
見渡してみれば、あの花屋の店長が言ったように、別の船の海賊が居る。しかしそちらも特に何かする気はないようで、互いに干渉しないようにしていた。
「なんか変だぜ、エース」
「そうか?」
「ああ。……可愛い子でもいたのか?」
「……いや」
「何だよいその間は」
可愛い子? ――いやあれは男だ。
しかし即答できなかった間が怪しまれる。
「何だよエース抜け駆けする気か?」
「いやそんなんじゃないし」
「いやぁ海の男ってのはつらいよな。ある街に好きな女を作っても、明日にはもう離れなきゃいけない……」
「だからそんなんじゃないっての」
面倒くさくなったエースは席を立つ。どうせ食事はあらかた終えた後だ。
「おいどこ行くんだよエース」
「先に帰る」
後ろから何か言われたが特に気にすることもなく酒場を出る。
すっかり辺りは暗くなって、空には星がいくつか見えた。
(……真っ直ぐ帰るのもアレだしな)
暗い中全く知らない街を歩くのは危険だというのも重々承知だったが、それでもこの何とも言えない気持ちを整理しておきたかった、せめて船に帰るまでには。
エースは何となく高い方へ登っていく。突然街や、海を見渡しておきたいような気持ちになったのだ。
海なんて毎日飽きるほど見ている筈なのに、何故だろう、今はその姿が愛しかった。
「見えた」
登り始めて少しすると簡単に崖に着いた。少し木が多くて見通しは悪いが、まあ誰も居ないだろう。
そう思いながら座って黒い海を眺める。
明日の朝にはまた光り輝くその姿を見せてくれるのだろう。
後ろに手をついて少し休もうとすると、柔らかい感触に触れた。
「?」
振り向くと、そこには花。昼間と勘違いしているのか、1つだけ咲いている花があった。
エースは慌てて手をどける。
「……綺麗な花だな」
見た目には赤いアサガオだ。仄かな月明かりの許でもその可憐さは分かる。
少し眺めていると、仲間の中に、花に詳しかった奴がいたのを思い出した。
別にだから何をするというわけでもないが、何だか気になった。
「帰って聞いてみるか」
そのアサガオを見つけたお陰で何だか元気になった気はする。でももう少しだけ、海を眺めていたい。どうせまたすぐにあそこに帰るのに。
心を空にしてぼーっと海を見るだけのつもりだったが、いつの間にか昼間のレイシのことを思い出したりして、結局寝付けないだろうという結論に至った。
「あーそりゃルコウソウだな」
「ルコウソウ?」
翌日、船上で花に詳しい仲間を見つけ、昨晩の花のことを話してみた。
すると間髪入れずに答えが返ってきたので、そんなに有名な花なのか、とエースは問うてみる。
「まあ綺麗な花だしな。それに花言葉もロマンチックだし、人気はあるんじゃねえか? ツル性だから花束にするには向かないと思うけどな」
「へえ、どんな花言葉なんだ?」
「確か……『常に愛らしい』とか『情熱』とかって意味だったと思うぜ」
「ふーん」
で、その花がどうかしたのか、と逆に聞かれ。
この街で見かけたのだと素直に答える。
「そういうことじゃなくてよ、誰か見せたい奴でも居るのか? ってことだよ」
「はあ?」
「聞いたぜ、昨日の。可愛い子見つけたんだろ」
「だから違うって」
まさかこんなところまで伝わっているとは、とエースはげんなりする。こうなったらもう船員全員が知っているのではないのか。
ありがとな、と早口で礼を言い、さっさと船を下りることにする。
と言ってもこんな何も知らない街ではあてもなく。
「さて、どうすっかな」
そう思った時に思い浮かんだのは、昨日の花屋。だが軽く頭を横に振り、その思いを打ち消す。何でそんなのが浮かぶんだ。飯より先に。
エースは少し考えて、何か食事屋を探そうと思った。そういえばまだ朝食を食べてきていない。
街に向かって歩きだした矢先だった。
「あ、昨日の!」
「ん?」
「エースだっけ」
声を掛けられて驚いて振り向くと、そこには件の花屋の店長が居た。
「レイシ、どうしてこんな所に?」
エースが驚くのも当たり前だった。ここはあくまで港であり、花になんか何も関係ない場所だろう。
あははとレイシは笑った。
「今日は休み」
「休み? そっか、休みもあるのか」
「酷いな、そんな酷い商売じゃないって。ただもうひとつの仕事があってね」
「もうひとつ?」
そう答えるレイシが抱えていたのは木のカゴ、中から時折何かを叩く音が聞こえる。
近づいてくるレイシのその腕の中を覗き込むと、何とカゴの中には魚がいた。しかもまだ生きている。
「魚? 何で?」
「俺、花屋が休みの時には、たまに友達の店手伝ってんの」
「へえ、魚屋?」
「いや、レストラン」
「おお」
そのエースの反応にレイシは察したように言う。
「もしかして、ご飯まだ?」
「ああ」
「丁度良かった、うちもまだ開店はしてないんだけど、俺の友達だって言ったら何か出してくれるかも」
「マジか!?」
「うん」
エースは歩きだしたレイシの後に着いていく。
街は昨日と同じような賑やかさに包まれており、その喧騒が何だか安心する。
「俺、結構食うけど」
「そうなの? まあきっと大丈夫だよ。俺も一緒に朝食作ってもらおうかと思ってるけど、俺も結構食べるから」
そうはいってもエースだって規格外である、それは自分でも分かっているのだが。
しかし折角の好意を逃してしまうのも、と思うので、黙っておく。
昨日の花屋とは違う通りに入るとすぐ、白い庇の突き出た店が見えた。
「ここが店だよ」
爽やかな外観の店だ。カランカランと鈴を鳴らして入っていく。
「よーレイシお帰り……って、誰?」
「エース。昨日会った」
「よろしく」
「そうか、俺はここの店長。もしかしてエースも朝飯食いに来たわけ?」
「ああ、できれば」
「分かった。レイシ魚寄越せ、2人ともちょっと待ってろよ」
気さくなレイシの友人だけあって非常にフレンドリーだ、とりあえず朝食にありつけそうでエースは安心する。
じゃあ座ってようか、とレイシに促されるが、店は外から見るより広く綺麗で、どこに座るべきか戸惑った。
「海賊はこういう店来ないんだ?」
「ああ、そうだな。なんかこう……もっとガヤガヤしてるような、酒場とかに行くことが多いな」
「ああ分かる、なんかそんなイメージ」
レイシが窓の傍のテーブルについたので、エースもそれに倣ってレイシの向かいに座る。
じっと窓の外を行き交う人々を眺めるその横顔に、思わず見とれた。
「でも、大変だな」
「ん? 何が?」
「だって休みなのに働いてるんだろ?」
その事実を押し隠すようにエースは質問を絞り出す。
視線がエースの方に戻ってきて、それはそれで、胸を締め付けた。
「あはは、別に大したことないよ。ここも好きで手伝ってるだけだし」
「んー」
「それに海賊はずっと大変なんじゃないの? 海の上だったら、いつ敵が来るか分からないから、常に気を張ってそうだし」
「や、そんなこともないけどな」
それから朝食が出てくるまで、エースは海の上での生活の話をした。レイシは面白そうに頷いては色々と質問してくれる。
盛り上がっている間に店長が戻ってきて、2人分の食事をテーブルに置いてくれた。
「ありがとう」
「お、美味そう!」
「そう言ってもらえると作りがいがあるな。おかわりはないけどそれ全部食っていいぞ」
貝のパスタ。木のカゴの奥には、もしかしたら貝も入っていたのかもしれない。
後から持ってきてくれたのはカルパッチョ。先程まで生きていた魚だろうか。
「エース、海賊だから魚は飽きた?」
「えっお前海賊なのか!?」
「ああ。でも魚は美味いし、こんな美味い料理は船の上じゃなかなか出てこないからな。これならいくらでも食える」
店の店長は笑って奥に引っ込もうとする。
「あーそうだー。ねー相談があるんだけど」
「ん?」
「……今日、やっぱ休んでいい?」
「何だよいきなり」
唐突なレイシの申し出に店長は嫌な顔をして見せる。
しかし一瞬でそれを苦笑に変えた。
「何か用事でも思い出したか?」
「そういうこと。ごめん、この埋め合わせは今度するから」
「いーって。ほぼ無償で働いてくれてるわけだし」
そう言いながら今度こそ店長は裏に戻っていく。きっとランチに向けて色々な準備があるのだろう。
「エース、この後暇?」
「ああ、暇だけど」
「だったら少し散歩しない?」
「え、いいのか? 用事があるんじゃ」
「さっきの話してたら、もっとエースと話したくなった」
素直に笑顔で伝えられる好意は嫌いではない。が、そういうことに慣れないエースにとって、どう答えるのが正しいのか分からない。
けれどレイシと共に過ごす時間はきっと悪くないだろう。
「俺もこの後何しようかって思ってたところだから、丁度よかった」
「本当に? 色々案内してあげるよ」
2人はその後、気持ち早めにパスタを食べ――それはエースの願望だったかもしれない――エースは無理やり代金を置いていき、店を出た。
まだ朝だが日射しはそれなりにある。いい天気だ。
「で、どこ行くんだ?」
「どうしようかな。案内したい所は色々あるけど」
そう迷いながら考えてくれている、レイシのその姿が何だか嬉しい。
「じゃあこっち」
「ああ」
人混みの中ではぐれないよう、エースはレイシの後を着いていった。
色々な所に案内され、夕食を食べると、早くも別れの時間となっていた。
空には三日月が浮かび、星も見え隠れする。
送る、と言ってエースはレイシの家の近くまで話しながら歩いた。
「ありがとう、エース。今日はすごく楽しかった」
「こちらこそ」
「……またこんな時間があったらいいね」
――それはどういう意味なのだろうか? 心もとない月明かりの下では、その表情は見えず。
明日は俺仕事だからそれじゃあ、と言ってレイシは角を曲がっていった、エースはその角から顔を出し、レイシの姿が見えなくなるまで見送る。
(……でも、あと1週間だけだ)
また会えたらいい、とは思う。勿論あの花屋に行けば明日だって会えるだろう。けれどきっとこの1週間以内にこんな休みはないだろう。
今日のことは只しっかり胸にしまっておこう。そう決めた。
その後、ログポースのログが溜まるまでの間、エースは何かと理由を付けて例の花屋の前を通りかかった。
そういう時、何故か必ず客はおらず、レイシはとても嬉しそうに迎えてくれる。束の間の会話も楽しむことが出来た。
けれどとうとう明日この島を出立する、となった日、エースはとてつもない寂しさと後悔に襲われる。
(……もう、お別れか)
海賊という立場上、別れは何度も経験している。レイシのように島々で仲良くなった人と別れてきたのもあるし、他の海賊や海軍と戦っている間に、同じ白ひげ海賊団の仲間を喪ったこともある。
でも今回は何かが違う、エースはそう思っていた。胸に去来する感情の種類が違うような気がしていた。
それが何なのか、言葉にする術は持っていなかったけれど。
「おい、エース呑んでるか!?」
「おー!」
だからその寂しさとよく分からない感情を吐き出してしまおうとして、夜、初日に入ったのと同じ酒場で開かれる宴会に参加して、いつもより深酒をしていた。
エースは元々それ程飲まないが――あまり深く酔うのが好きではないのだ――今日はかなり飲んでいる。
けれどそれ以上に周りの仲間たちが呑んでいるので、エースがどれだけ呑んだところで特に心配して気にされるようなことはなかった。エースとしてはそれで良かったのだが。
「もう一杯」
「おーエース呑むねえ」
そう言いながらエースは酒を煽る。同じテーブルにつく者たちから歓声が上がる。
そうして注文したその一杯も飲み干した。周りの者たちはまだまだ飲む気があるらしい。
気持ち悪いということはなかったが、少し酔いを覚ましたくて、席から立ち上がった。
「ちょっと外行ってくるわ」
「おー」
特に心配する者もいない。確かにそういうのは日常茶飯事だ。
下手に気にされると今は面倒くさいので、有り難い、と思いながらエースは外に出る。
酒場から外に出てぼーっと空を眺めていると、うっすらと月が目に入って、突然初日のことを思い出した。
花のことも。
「……レイシ、居るかな」
なんて馬鹿な考えだろう。寂しくなって別れたくなくなるだろうから、もう今日は会わないと決めていたのに。
実際エースは今日は花屋の近くには寄り付かなかった。わざと避けていると言ってもいいくらいに。
尤も今日は明日の出発に備え、食糧や備品を買い込む必要があったので忙しくて、そんな暇もなかったわけだが。
(今の俺の姿を見たら、どう思うだろう)
こんな、酒の力を借りようなんてどうかしている。自分はそんな人間ではなかった筈なのに。
そう思いながらも花屋へ向かう足取りは止まらず、あっという間にそこに着いてしまった。
「あれ……エースじゃん」
明かりの消えた花屋から出てくるレイシ。丁度帰るところだったようだ。
頭が上手く回らず、エースは何も答えられない。
「もう出発したのかと思ってた。今日は来なかったから」
「いや……出発は明日だ」
「ああ、そうなんだ。じゃあ今日は宴会?」
「分かんのか?」
「エース、たくさん呑んだんだろうなって感じ」
そう苦笑するレイシに、エースは少し恥ずかしくなる。やはりバレていたか。
「あのさ、レイシ」
「ん?」
「明日は朝早いから、多分今日で、もう会えなくなる」
「……そうなんだ」
沈んだ声。
「だから、少し散歩しないか」
「うん、いいよ」
2人は並んで歩く。通りは昼間と打って変わって静かだ。
エースは特に何を考えたわけでもないが、自然に、レイシの左手を取って自分の右手に絡めた。
「エース? ……」
レイシは一瞬驚いたようにエースを見たが、意図を察したのか、何も言わずに握り返してくる。
どうせ見ているのはたった2、3人だ。それにエースは明日から居ない身。
嫌がる理由もなかったのだろう、と結論付ける。
「どこ行くの?」
「内緒」
そう言いながらエースは、初日と同じ、海を見渡せる場所へ登っていく。
2人の手は強く互いを握り合う。まるで放すことを恐れるかのように。
沈黙が2人の間を支配して少し経つと、例の場所にたどり着いた。
「……レイシ」
「何、エース」
エースはレイシの名を呼ぶ、しかし2人の目線は暗い海に投げられている。
「この花、見せたかったんだ」
「え、花?」
見ればこの前と同じ、咲いている花が一輪。
赤いアサガオ、花屋であるレイシなら知っているかもしれないけれど。
「俺、この花知らないかも」
「え、そうなのか?」
「うん。あんまり花屋向きの花じゃなさそうだし」
なんて花? と尋ねられ、ルコウソウ、と答える。
「ルコウソウ。へえ」
「花言葉は、『常に愛らしい』とか『情熱』って意味らしい」
「そうなんだ。確かに可愛い花だね」
違う、とエースは口の中で言った。
確かにこの花は綺麗だけれども、そうじゃなくて。
「……レイシに、あげたいんだ。この花を」
「え?」
いつの間にかしゃがみ込んでその花を見ていたレイシが、エースを見上げる。
その目が、その仕草が。
今まで出会ったどの女性より、エースにとって好ましい。
「もう、明日には出発しなきゃいけないから」
何も言わない方が幸せだろう。グランドラインに浮かぶこの島に、次戻ってこれるとしても、いつになるか。
「……エース」
レイシは立ち上がる。エースと相対する。
横顔だけが月に照らされて、その表情があまりに悲しそうで。
「もう、行っちゃうんだ」
「!」
レイシの手がエースに向かって伸びる。ここでそんなことをしてしまえば戻れないこと、2人とも分かっている。
けれどエースはそれから逃げることも叶わず、甘んじて受け入れた。
その柔らかさに、結局レイシの背中に手を回すこともしてしまう。
「俺、エースのこと――」
「それ以上言うな。頼むから」
別れがつらくなる。今だって何とか堪えているのに。
レイシもエースも何も言わず、ただ波の音だけを聞きながら、暫く黙って抱き合っていた。
もう一生会えなくても、その温もりを思い出せるように。
「……そろそろ、戻ろうか」
どれくらいそうしていただろう、立っているのも疲れてきてしまった頃に。
レイシからそう切り出す。エースも頷く。
「ねえ、エース」
「ん?」
歩きだそうとした矢先、後ろに居たレイシが呼び止めた。
振り返ってもエースからはその表情は見えない。
「ん、」
勢い良く抱きついてくるレイシ。
と同時に唇が触れ合う。
「レイシ、」
名前を呼んで嗜めたものの、もう触れてしまった以上、簡単に止められる筈もなく。
レイシを抱きしめ、今度はエースから唇を味わう。
今までどんな人に対しても抱いたことのないような情熱で。
「んん、ふ、」
僅かに漏れる吐息がたまらなく愛しくて、もうこのまま自分のものにしてしまえればいいのに、と願った。
翌日の朝、レイシはいつもより遅く起き出した。今日は花屋は休みだ。
もうエースの乗る船は出航してしまっただろう。朝が早いと言っていたから。
「これでいいんだよね」
2人の間に明確に答えはなかったけれど、それで良いのだ、と目で取り決めた。それ以上は何もいらない。もう十分伝わったから。
さて今日は、また丘に登って、太陽の下で咲く綺麗なルコウソウを見に行こう。きっと昨晩より美しい姿を見せてくれる。
「そうだ、その前に……」
レイシは机の前に座り、抽斗から便箋と封筒を取り出す。誰かに手紙を書くのは久しぶりだ。
手紙の文章なんて書き慣れていないけれど、どうしても送りたい相手がいるから。
「……待てよ」
レイシは手紙を書き出す。
しかし手を止め、はてこれはどこに宛てればよいのだろう、と思い、窓の外の海を眺めた。
ルコウソウ///常に愛らしい・情熱
15/15ページ