夕暮れに問う(庭球/鳳)
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長太郎が女子と付き合い始めてから丁度1週間め――勿論俺が数えていたわけではない、その子が大きな声で話していたことだ――の放課後、俺はどうしても帰る気になれず、誰もいない教室でぼーっとしていた。
本当は、もしこの教室から一歩でも出てしまえば長太郎に再び会ってしまうんじゃないか。そんなよく分からない不安を抱いているだけだ。
陽は徐々に傾いてきており、教室が僅かにオレンジ色に染まっている。
「……何でこんなに」
心が苦しいのだろうと考えた瞬間、思わず涙が溢れた。
「え、え?」
頬を流れ落ちる生暖かいもの、それに驚いてぐいと制服の袖で拭くが、それでも絶え間なく流れ落ちてくる。
もしかして、実は自分はこんなに、傷ついていたのか。――何に?
分からなかったが止まらないものは仕方ないので、嗚咽を堪えながら、涙は流れるに任せた。
「澪士、いるか?」
「!」
その時教室の扉が叩かれる。
聞き覚えのある声、それは。
「! いた!」
入ってきたのは宍戸先輩だ。
涙を見られたくはないと思ったが隠す力もなく、俺はひどい顔のまま、宍戸先輩を迎え入れた。
「おい、どうしたんだよ!?」
「わ、分からなくて、」
「分からない?」
その意味が分からないとでも言いたげな先輩。そりゃそうだろう、俺にだって分からないのだから。
「どうしたんだよ、言ってみろ」
「う……別に、大したことじゃ……」
「いいから」
強引に俺に迫っているように見えるが、宍戸先輩の言い方はとても優しかった。
その優しさにとうとう耐えかね、俺は大きな声を上げて泣いてしまった。
嗚咽の合間に言葉を挟み、のべ1時間ほど宍戸先輩は俺の前の席に座り、辛抱強く俺の話を聞いてくれた。
教室は全てがすっかりオレンジに染まっており、こんなに拘束してしまったことを謝罪する。
「……先輩、ところで何でこんな所に?」
「実は」
俺は全てを話してしまっていた。勿論音楽室でキスしたとか抱きしめられたとかそういった詳細なことは話していないが、一緒に出かけたこととか。
女の子に辛辣な言葉を投げ掛けられたこと、そこで長太郎に冷たくしてしまったこと、女の子と付き合ったことは素直に喜ぶべきだったのだろうが、そうはできなかったこととか。
そして今、こうして、涙が止まらなかったこと。
「最近長太郎の様子が変で」
「え?」
宍戸先輩はかいつまんで話してくれた。
つまり、1週間くらい前から長太郎はテニス部に顔を出すものの、普段の長太郎とは様子が全く違ったようなのだ。
いつもにこにこしていて優しいし、練習試合の時だって笑みこそ消すもののその柔らかな雰囲気はあったのに。
この1週間、どうにもイライラしていて手が付けられず、宍戸先輩が叱ったものの全く効果はなかったらしい。
そこで何か知らないかと俺を訪ねてきたらしかった。
「でも、そういうことか。漸く原因が分かった」
「え? 分かったんですか?」
「……澪士、お前本当に分かんないのか?」
呆れたような声で言われるが、全く心当たりはない。1週間前といえばクラスの女子と付き合い始めた頃だろうが、まさかそんなことでイライラする筈はないし。
宍戸先輩に行くぞ、と言われ、思わずどこへ、と問い返してしまう。
「決まってんだろ」
鞄は先輩によって取り上げられ、俺は後を着いていかざるを得なくなる。
「あの……先輩、待ってくださ、」
先程まで泣いていたせいで目が腫れぼったい。それに絶え間なく涙を流したせいで息も上手く吸えず、無駄に体力も消費してしまった。
早足で歩いていく先輩と同じ速度で歩くことはできず、小走りで靴を履き替え、玄関を出るとそこには。
「長太郎」
宍戸先輩が、そこにいた長身の男に声を掛ける。
「宍戸先輩……澪士? 何でここに……」
「ちょう、たろ?」
目は水のせいで曇ってしまっていて上手くその人を捉えられない。いつだかと同じように逆光だ。しかし宍戸先輩はそう呼んだし、その声は明らかにその人だった。
俺は突然涙の痕が恥ずかしくなって俯く。
「宍戸先輩、澪士に何したんですか」
「何もしてねェよ、むしろお前のせいだろ」
「俺の? ……」
「激ダサだぜ」
顔を上げられない。今は長太郎だけには会いたくなかったのだ。
だが去っていく足音は恐らく先輩のもので、俺は小さな声で宍戸先輩、と呼び止めた。
「行かないで」
「……はあ」
さっき全てをさらけ出してしまって、もう先輩に隠しているものは殆どなかったし、でもさらけ出してしまったからこそ、こうして1人で長太郎の許に置いていかれたくはなかった。
溜息をつき、宍戸先輩は口を開く。
「お前ら、ちゃんと話し合え」
「え?」
「何で他人の言葉に踊らされる? お前らは誰よりお互いのことを見てただろ」
宍戸先輩が何を言いたいのか分からず、俺は思わず顔を上げた。
「逃げんな。思ってることを全部話せ。……それだけでいいだろ」
ほら、と言って先輩は鞄を投げた、長太郎の方に。長太郎はそれを難なく受け止める。
そのまま宍戸先輩は俺たちに背を向けてテニスコートの方に去っていった。
――残されたのは俺と長太郎、沈黙と夕陽。
「……、」
長太郎は口を開いたが、そこから漏れたのは空気だけだった。
仕方なく俺が言葉を絞り出す。さっきまで泣いていたから震えている。
「……あの……別に、宍戸先輩は俺に、何もしてないから」
俺が勝手に泣いていて、話を聞いてくれただけ。
「澪士……」
「確かに……俺は、何も話してなかった。待ってるって、長太郎は言ってくれたから……」
思い出す、あの日。チケットを突き返したあの日の帰り道。
覚えてるのは俺だけかもしれない、でもそれでも構わない。
「これ以上、長太郎と一緒に居るのは……お互いに不幸なんじゃないかなって思った」
「何で」
「それは……その」
長太郎が一歩俺の方に近づいてくる、俺はその分一歩下がった。
「あの子が……気持ち悪いと言ったから」
「あの子?」
「長太郎に相応しいのは、俺ではなく、自分だって」
自分で言ってて思った、何だこれは、告白みたいじゃないか。
まるで俺が長太郎の隣にいるのが当たり前みたいな。
「……それで澪士は、俺にチケットを?」
俺は何も答えなかった、否、答えられなかった。
でも沈黙は肯定だ。長太郎も暫く何も言わなかった。
「俺は……もう、何もいらなかった」
「?」
暫くして絞り出された長太郎の言葉は、俺にはよく分からない。
「澪士にそうやって拒絶されたら、もうどうしようもなかった。でもこれ以上嫌われたくなかった」
「長太郎……」
「だから俺は逃げようとしてた、」
長太郎がこっちに来る度同じだけ逃げていたけど、いつの間にか背中には壁があり、これ以上逃げる場所はなかった。
それでも長太郎は近づいてくる。
「でも……そっか。宍戸先輩の言う通りだった」
長太郎の影が夕焼けと重なる。ようやくその表情が見えた。
それはいつもの長太郎のように見えた。
「俺、もっと澪士と向き合うべきだった。」
距離をいきなり詰められる、俺の鞄はそこの石畳の上に置かれる。
長太郎に抱きしめられた、いつかと同じように。
「長太郎、」
「ごめん、澪士。俺は君を沢山傷つけたね」
「そんな……俺の方こそ、」
「お願いがあるんだ」
そうあらたまって言った長太郎は俺から離れ、真剣な表情で言う。
「澪士、好きだ。……俺と付き合ってください」
「……え?」
突然告げられた言葉に困惑を隠せない。
「え、でも、」
「本当は初めて会った時から澪士のことが好きだった。でも男同士だって思って、見ないふりしてた。……でもダメだった」
初めて聞くことばかりで、全然頭に入ってこない。
やけに夕焼けが眩しく感じる。
「澪士にもあんな風に言われたし、女の子と付き合えば変わるかなとも思ったけど……宍戸先輩にも迷惑掛けるくらい、俺は、澪士のことが忘れられなかった」
「あ……」
そうかそれで、さっき宍戸先輩は、あんなことを。
何だ、そんなことだったのか。分かってしまえばとても簡単なことだ。
「……俺も」
俺は今まで自分で自分の気持ちが分かっていなかった。
知ってしまえば今までの謎なんて全て簡単に解けてしまう。
ああ何でこんな簡単なことも分からなかったのだろうと。
「俺も多分、ずっと長太郎のこと好きだったんだ、でも、気づいてなかった。まさか男を好きになるなんて思ってなかったから」
だから。
「俺でよければ、付き合ってください」
「……澪士!」
今度こそ強く抱きしめられる。でも今までとは全然意味が違う。
今度は俺も迷いなく背中に腕を回し、抱きしめ返した。
「ごめん澪士、たくさん傷つけて」
「いや」
「でも安心して、あの子とは手を繋いだりも、一緒に帰ったこともないから」
「……そういえば」
俺たちは身体を離して見つめ合う。
「あの子と付き合ってるんじゃん、長太郎」
「明日別れる」
「えっ」
「大丈夫」
長太郎の「大丈夫」はもう何度も聞いている。
彼が「大丈夫」と言った時、それは必ず何とかなる。
だから今回も安心した。安心したって言い方はちょっとおかしいかもしれないけど。
「とりあえず今日は帰ろう」
「ああ」
「送るから」
今日は拒否する理由はなかった。
俺は自分の鞄を拾い、いつものように歩き出す。
本当は、もしこの教室から一歩でも出てしまえば長太郎に再び会ってしまうんじゃないか。そんなよく分からない不安を抱いているだけだ。
陽は徐々に傾いてきており、教室が僅かにオレンジ色に染まっている。
「……何でこんなに」
心が苦しいのだろうと考えた瞬間、思わず涙が溢れた。
「え、え?」
頬を流れ落ちる生暖かいもの、それに驚いてぐいと制服の袖で拭くが、それでも絶え間なく流れ落ちてくる。
もしかして、実は自分はこんなに、傷ついていたのか。――何に?
分からなかったが止まらないものは仕方ないので、嗚咽を堪えながら、涙は流れるに任せた。
「澪士、いるか?」
「!」
その時教室の扉が叩かれる。
聞き覚えのある声、それは。
「! いた!」
入ってきたのは宍戸先輩だ。
涙を見られたくはないと思ったが隠す力もなく、俺はひどい顔のまま、宍戸先輩を迎え入れた。
「おい、どうしたんだよ!?」
「わ、分からなくて、」
「分からない?」
その意味が分からないとでも言いたげな先輩。そりゃそうだろう、俺にだって分からないのだから。
「どうしたんだよ、言ってみろ」
「う……別に、大したことじゃ……」
「いいから」
強引に俺に迫っているように見えるが、宍戸先輩の言い方はとても優しかった。
その優しさにとうとう耐えかね、俺は大きな声を上げて泣いてしまった。
嗚咽の合間に言葉を挟み、のべ1時間ほど宍戸先輩は俺の前の席に座り、辛抱強く俺の話を聞いてくれた。
教室は全てがすっかりオレンジに染まっており、こんなに拘束してしまったことを謝罪する。
「……先輩、ところで何でこんな所に?」
「実は」
俺は全てを話してしまっていた。勿論音楽室でキスしたとか抱きしめられたとかそういった詳細なことは話していないが、一緒に出かけたこととか。
女の子に辛辣な言葉を投げ掛けられたこと、そこで長太郎に冷たくしてしまったこと、女の子と付き合ったことは素直に喜ぶべきだったのだろうが、そうはできなかったこととか。
そして今、こうして、涙が止まらなかったこと。
「最近長太郎の様子が変で」
「え?」
宍戸先輩はかいつまんで話してくれた。
つまり、1週間くらい前から長太郎はテニス部に顔を出すものの、普段の長太郎とは様子が全く違ったようなのだ。
いつもにこにこしていて優しいし、練習試合の時だって笑みこそ消すもののその柔らかな雰囲気はあったのに。
この1週間、どうにもイライラしていて手が付けられず、宍戸先輩が叱ったものの全く効果はなかったらしい。
そこで何か知らないかと俺を訪ねてきたらしかった。
「でも、そういうことか。漸く原因が分かった」
「え? 分かったんですか?」
「……澪士、お前本当に分かんないのか?」
呆れたような声で言われるが、全く心当たりはない。1週間前といえばクラスの女子と付き合い始めた頃だろうが、まさかそんなことでイライラする筈はないし。
宍戸先輩に行くぞ、と言われ、思わずどこへ、と問い返してしまう。
「決まってんだろ」
鞄は先輩によって取り上げられ、俺は後を着いていかざるを得なくなる。
「あの……先輩、待ってくださ、」
先程まで泣いていたせいで目が腫れぼったい。それに絶え間なく涙を流したせいで息も上手く吸えず、無駄に体力も消費してしまった。
早足で歩いていく先輩と同じ速度で歩くことはできず、小走りで靴を履き替え、玄関を出るとそこには。
「長太郎」
宍戸先輩が、そこにいた長身の男に声を掛ける。
「宍戸先輩……澪士? 何でここに……」
「ちょう、たろ?」
目は水のせいで曇ってしまっていて上手くその人を捉えられない。いつだかと同じように逆光だ。しかし宍戸先輩はそう呼んだし、その声は明らかにその人だった。
俺は突然涙の痕が恥ずかしくなって俯く。
「宍戸先輩、澪士に何したんですか」
「何もしてねェよ、むしろお前のせいだろ」
「俺の? ……」
「激ダサだぜ」
顔を上げられない。今は長太郎だけには会いたくなかったのだ。
だが去っていく足音は恐らく先輩のもので、俺は小さな声で宍戸先輩、と呼び止めた。
「行かないで」
「……はあ」
さっき全てをさらけ出してしまって、もう先輩に隠しているものは殆どなかったし、でもさらけ出してしまったからこそ、こうして1人で長太郎の許に置いていかれたくはなかった。
溜息をつき、宍戸先輩は口を開く。
「お前ら、ちゃんと話し合え」
「え?」
「何で他人の言葉に踊らされる? お前らは誰よりお互いのことを見てただろ」
宍戸先輩が何を言いたいのか分からず、俺は思わず顔を上げた。
「逃げんな。思ってることを全部話せ。……それだけでいいだろ」
ほら、と言って先輩は鞄を投げた、長太郎の方に。長太郎はそれを難なく受け止める。
そのまま宍戸先輩は俺たちに背を向けてテニスコートの方に去っていった。
――残されたのは俺と長太郎、沈黙と夕陽。
「……、」
長太郎は口を開いたが、そこから漏れたのは空気だけだった。
仕方なく俺が言葉を絞り出す。さっきまで泣いていたから震えている。
「……あの……別に、宍戸先輩は俺に、何もしてないから」
俺が勝手に泣いていて、話を聞いてくれただけ。
「澪士……」
「確かに……俺は、何も話してなかった。待ってるって、長太郎は言ってくれたから……」
思い出す、あの日。チケットを突き返したあの日の帰り道。
覚えてるのは俺だけかもしれない、でもそれでも構わない。
「これ以上、長太郎と一緒に居るのは……お互いに不幸なんじゃないかなって思った」
「何で」
「それは……その」
長太郎が一歩俺の方に近づいてくる、俺はその分一歩下がった。
「あの子が……気持ち悪いと言ったから」
「あの子?」
「長太郎に相応しいのは、俺ではなく、自分だって」
自分で言ってて思った、何だこれは、告白みたいじゃないか。
まるで俺が長太郎の隣にいるのが当たり前みたいな。
「……それで澪士は、俺にチケットを?」
俺は何も答えなかった、否、答えられなかった。
でも沈黙は肯定だ。長太郎も暫く何も言わなかった。
「俺は……もう、何もいらなかった」
「?」
暫くして絞り出された長太郎の言葉は、俺にはよく分からない。
「澪士にそうやって拒絶されたら、もうどうしようもなかった。でもこれ以上嫌われたくなかった」
「長太郎……」
「だから俺は逃げようとしてた、」
長太郎がこっちに来る度同じだけ逃げていたけど、いつの間にか背中には壁があり、これ以上逃げる場所はなかった。
それでも長太郎は近づいてくる。
「でも……そっか。宍戸先輩の言う通りだった」
長太郎の影が夕焼けと重なる。ようやくその表情が見えた。
それはいつもの長太郎のように見えた。
「俺、もっと澪士と向き合うべきだった。」
距離をいきなり詰められる、俺の鞄はそこの石畳の上に置かれる。
長太郎に抱きしめられた、いつかと同じように。
「長太郎、」
「ごめん、澪士。俺は君を沢山傷つけたね」
「そんな……俺の方こそ、」
「お願いがあるんだ」
そうあらたまって言った長太郎は俺から離れ、真剣な表情で言う。
「澪士、好きだ。……俺と付き合ってください」
「……え?」
突然告げられた言葉に困惑を隠せない。
「え、でも、」
「本当は初めて会った時から澪士のことが好きだった。でも男同士だって思って、見ないふりしてた。……でもダメだった」
初めて聞くことばかりで、全然頭に入ってこない。
やけに夕焼けが眩しく感じる。
「澪士にもあんな風に言われたし、女の子と付き合えば変わるかなとも思ったけど……宍戸先輩にも迷惑掛けるくらい、俺は、澪士のことが忘れられなかった」
「あ……」
そうかそれで、さっき宍戸先輩は、あんなことを。
何だ、そんなことだったのか。分かってしまえばとても簡単なことだ。
「……俺も」
俺は今まで自分で自分の気持ちが分かっていなかった。
知ってしまえば今までの謎なんて全て簡単に解けてしまう。
ああ何でこんな簡単なことも分からなかったのだろうと。
「俺も多分、ずっと長太郎のこと好きだったんだ、でも、気づいてなかった。まさか男を好きになるなんて思ってなかったから」
だから。
「俺でよければ、付き合ってください」
「……澪士!」
今度こそ強く抱きしめられる。でも今までとは全然意味が違う。
今度は俺も迷いなく背中に腕を回し、抱きしめ返した。
「ごめん澪士、たくさん傷つけて」
「いや」
「でも安心して、あの子とは手を繋いだりも、一緒に帰ったこともないから」
「……そういえば」
俺たちは身体を離して見つめ合う。
「あの子と付き合ってるんじゃん、長太郎」
「明日別れる」
「えっ」
「大丈夫」
長太郎の「大丈夫」はもう何度も聞いている。
彼が「大丈夫」と言った時、それは必ず何とかなる。
だから今回も安心した。安心したって言い方はちょっとおかしいかもしれないけど。
「とりあえず今日は帰ろう」
「ああ」
「送るから」
今日は拒否する理由はなかった。
俺は自分の鞄を拾い、いつものように歩き出す。