庭球
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「澪士と言います。よろしくお願いします」
中1の終わり頃、ある日転校してきた少年は、たったそれだけ言葉少なに自己紹介するとさっさと自分の席に着いてしまった。
なんだか頼りなさそうな奴だと近くの席の日吉若は思っていたのだが、彼は2年生に上がる頃、すっかり学校には姿を見せなくなってしまっていた。
時折空いた席を見ては思い出していた日吉だったが、2年生に進級すると本格的にテニス部が忙しくなり、完全に忘れてしまっていた。
そんなある日。
「日吉」
「はい」
放課後、足早にテニス部の部室へ向かおうとする日吉を、担任が引き止める。
「あのさ、お前澪士って覚えてるか?」
「澪士……ああ」
少し考えて思い出す。そういえばどうしたんだろう。
で、と日吉は担任を急かす。
「あいつの家に行ってちょっと様子を見てきてほしいんだが」
「え? 何で俺が?」
「お前、1年生の時、少し澪士と話したことあるだろう。だから適任じゃないかと思って」
そういうのって担任がやるモンじゃないのか、と苛立ちを向ける日吉。
「勿論澪士の家には何度も行ってるさ。でもな、同年代の友達が訪ねてきた方ができる話もあるだろう」
「でも……」
「それに、澪士の家はお前の帰り道にあるから。まずはこのプリントを届けてくれ。頼んだぞ」
「……はあ……」
それ以上日吉に反論を許さず、担任は無理やりプリントを押し付けると、さっさと職員室に戻っていった。
一体何だと言うのか。何で自分がそんなことをしなきゃいけないのか。以前同じクラスだったからって、家が近いからって。
「……とりあえず部活に」
プリントを無造作にスクールバッグに放り込むと、再び日吉は急いだ。
その帰り、日吉は澪士の家の前にいた。ちなみに家の場所は、担任に押し付けられたプリントの束の中にメモが入っていて、そこに書いてあった。
テニス部の部活が終わるくらいだから結構遅い時間なのだが、プリントを届けるだけならそう失礼にならないだろう。
そう考え、日吉はベルを鳴らした。
「はーい」
名乗る間もなくドアが開く。
「あれ? えーと……」
「日吉若」
「そうだ、日吉くん」
出迎えたのは澪士。相手が日吉だと分かると、少し表情が曇る。
普段学校に行っていないことを恥ずかしく思っているようだった。
「こんな時間にどうしたの?」
「プリントを届けに来た」
「プリント? ごめんねわざわざ、ありがとう」
日吉が差し出すプリントを澪士は受け取る。
「こんな遅い時間にわざわざ来てくれてありがとう」
「いや、こっちこそ遅い時間に悪かった」
「ううん、日吉くんなら嬉しいから、いつでも来て」
いつでもっていうのはどうなのか、と思いながら、日吉はそれじゃとだけ言いその場を後にした。
翌日、担任に澪士の家へ行った時のことを伝えると、じゃあできるだけ毎日頼むな、と言われた。
馬鹿かと罵りたかったが相手は担任だ。そこはぐっと堪える。
「俺も暇じゃないんですけど」
「そうだよな、悪かった。じゃあ暇な日だけでいいから行ってくれ」
「だから……」
「いつでも来てって言われたのは、多分日吉だけだと思うぞ」
「え?」
担任の言葉の意味が分からず思わず聞き返す。
「今まで何人かに頼んでるんだが、皆大体、ほとんど会話もなかったって言ってたな」
「……ちっ」
思わず舌打ちした。何だ、そうなのか。ならこんな詳細なんて話すんじゃなかった。
これは面倒な役目を押し付けられたな、と思いながら、プリントを受け取った。
暫く来るのが空いてしまい、次に訪ねることができたのは、初めて訪問した日から1週間と少し経った日だった。
今日はたまたま部活がなかった、そのため前回より早い時間にたどり着く。
「あー日吉くん」
ベルを鳴らすとばたばたという足音が聞こえた後、中から澪士が顔を出した。相変わらず元気そうだ。
「またプリント届けに来てくれたの? ありがとう」
「ああ」
よかったら家に上がらない、と問われる。
「あんまり話し相手がいなくてさ、寂しいんだよね」
普段だったらマッハで断っているだろう。日吉は面倒なことは基本的に嫌いだ。
でもその時は、なぜか断れなかった。断ってはいけないような気がした。
澪士のその表情が、本当に寂しそうに見えたからかもしれない。
「……少しだけなら」
「やったー! ありがとう!」
どうぞどうぞ、と澪士は中へ入っていく。見れば沓脱ぎを裸足で踏んでいたようだ。
通されたリビングには2人掛けのソファと1人掛けのソファが並べてある。
座っていて、と澪士は言い、間もなく隣接したダイニングから飲み物を持って戻ってきた。
「澪士、家族は?」
「両親は共働きだから帰ってくるの遅いよ。日吉くんは?」
「俺の家は道場だから、いつも五月蝿い」
そう答えながら内心日吉は少し驚いていた。まさか自分のことを聞かれるとは思っていなかった。
日吉はその風貌から――勿論中身もその風貌の通りなのだが――あまり人に話しかけられることはない。テニス部レギュラーの愉快で遠慮の欠片もない面々は別だが。
だから日吉の家族がどんな風なのかなんて、澪士以外に聞かれたことはなかった(繰り返すが、テニス部レギュラー以外には)。
「へえ、道場か。じゃあ何でテニス部なの?」
「テニス部の方針が気に入った」
「どんな?」
「学年が下でも、実力があればレギュラーになれるし、負ければレギュラーから外れるところだ」
「へえ……日吉くんって」
面白い人だね。
まさかそんな返しがくるとは思わず面食らう。
「面白い?」
「うん、不思議な人っていうか」
そう言って笑う澪士に、日吉は思ったことをそのまま尋ねる。
「澪士は何で学校に来ないんだ?」
何も考えずにそう聞いたが、聞いた後、さすがにまずかったかと反省した。
彼が何らかの理由で学校に来ないのは分かる。元気そうだから病気ということはないだろう。
そういえば担任も何も言わなかった。
「いじめ、って程でもないけど。合わなかった」
「いじめ?」
日吉の眉間に皺が寄る。
「日吉くんには話してなかったかもしれないけど、僕、帰国子女なんだよ」
「へえ」
「って言っても日本人学校に通ってたからさ、全然英語は話せないんだよね」
だけどさ、と澪士は溜息をつく。
「前に居た中学校で、小学生の時はアメリカに居ましたって言ったら、英語を喋れってうるさくて。でも僕は話せないって言ったらつまんないって言われて無視され始めて」
そう語る澪士の口調は悲壮なものではなく、むしろ何かふっきれてしまったかのように清々しい。
「それが嫌で氷帝学園に転校してきたんだけど……こっちの方が本物の帰国子女がいる分、面倒なことが多くて」
「ああ」
帰国子女ではない日吉にも澪士の言いたいことは分かった。
確かに氷帝学園には小学生の時に海外に居たという生徒が多い。テニス部部長の跡部だってそうだ。
でも日吉はそちら側ではなく、決してそんな金持ちと比べられることもないため、澪士の気持ちも分かる。
「ここだったら僕の居場所もあるかな、って思ったけど、やっぱりダメだった。ちょうどよく親の転勤が決まったから僕も着いてきたんだけど、私立中学でもこうなら……もう、どこも行く必要ないかなって」
そう言いながら見せる笑顔はそこまで悲痛なものでもなかったが、やはり日吉は後悔していた。
こんなこと聞いて、知って、どうになる? どうせ俺は彼のためには何もしないし、何もできないのに。
「ごめん、変な話しちゃった」
「いや、俺から聞いたんだから、気にするな」
とはいうものの、2人の間には少しの間、沈黙が下りる。
「これでも家でちゃんと勉強はしてるんだよ」
「そうか」
「たまにはね、学校行きたいなって思ってるよ」
先生に伝えといて。
そう言って澪士は少し笑った。
いつの間にか、日吉と澪士は仲良くなっていた。
日吉は部活がない日は毎日澪士の家に行っていたし、部活がある日も連絡を取り合い行く時もあった。
何でそんなに熱心になったのか、それは日吉自身にも分からない。
けれど学校で会った短い期間において全く知らなかったと思うようなことも沢山あった。
「ねえ若」
「ん?」
「テニス部って試合とかないの?」
「ある」
そしていつの間にか、澪士は日吉のことを若と呼ぶようになっていた。日吉は相変わらず人の名前をあまり呼ぼうとはしないが。
このたった少しの年月でも2人の距離は確実に縮まっていた。
「来週の土曜日に練習試合がある」
「ええ。それって外部の人も行っていいやつ?」
「ああ」
「本当に?」
じゃあ僕行こうかな、と澪士はぽつりと呟く。
まさかそんなことを言い出すとは思わなかったので、日吉は驚いて澪士をまじまじと見た。
「……本気で言ってんのか?」
「本気だよ」
若のこと応援しに行ってあげる。
そう笑う澪士が本気なのかどうなのか、日吉には見当がつかなかった。
あっという間に試合の日がくる。今日の練習試合は氷帝のコートでやるそうだからホーム試合だ。
「誰か待ってるの?」
「!」
何だか落ち着きがない日吉に気づいたのか、同学年の鳳が声を掛ける。
違う、と答えるが、どうもそうは受け取ってもらえなかったようだ。
「今日の試合、頑張れそうだね」
そうだ、彼がいようといまいと勝たなければいけないのは事実だ。何故ならここは氷帝学園だから。
日吉はシングルスにアサインされていたが出番はもう少し先のようだ。
とりあえずベンチに座り、心を落ち着かせることにした。
「何だ日吉、緊張してんのか?」
「久々の練習試合だC」
「緊張なんかするわけないじゃないっすか」
「まあ日吉のことは心配してないからな」
レギュラーの面々に代わる代わる声を掛けられる。無理やり静める。
レギュラー同士の試合ではまず芥川が戦うようだ。別のコートで準レギュラー陣の試合も同時に行われるらしい。
ただ、芥川なら心配はいらないだろう。恐らくすぐに勝ってくれる。
そうすれば自分の出番か、と日吉は思った。
(……澪士が)
もし試合の途中に澪士を見つけてしまったら。
杞憂に終わることを願いながら出番を待った。
少し経つと無事に芥川がピースをしながらベンチに戻ってきた。
当然だと言わんばかりの跡部、よくやったと労う宍戸。樺地は相変わらず何も言わない。
次は日吉の出番だ。ジャージの上着を脱いでベンチにかけ、コートへ向かう。
「ウィッチ?」
「ラフ」
相手に問われ、日吉は迷いなく答える。くるくるとラケットが回る。
宣言通りラフが上に来、サーバーを選択する。
「お願いします」
日吉がそう言って試合が始まるかに思えた、その瞬間だった。
「若ー! 頑張れーっ!」
一際大きい声が注目を集める。
聞き覚えのある声にぎょっとして観客の方に目を遣った日吉は、想像通りの人を見つけた。
「澪士……」
何も試合が始まってからこんな大きな声で叫ぶことはないだろうに。
そう思いながらもそんなに嫌ではなく、口の端だけ上げてみせてから、ボールを高く投げ上げた。
試合が一通り終わって解散の流れになると、日吉は1人その輪から外れ、鞄を持って校舎に入った。
最早観客席に彼は見当たらなかったので、きっといるとしたら、あそこだ。
共に学校で過ごした時間は短かったが、大体想像がついた。
「……いた」
「あっ若、お疲れ様」
2年F組の教室。
土曜日だから、教室には生徒は誰もいない。
「あんな大きい声出さなくても」
「若、多分僕がいるの気づいてなかったなって思ったからさ」
確かに気づいてはいなかったが。
「ねえ、若、さっきの試合勝ったじゃん? だから、何かご褒美をあげたいと思うんだ」
「は? 何をいきなり」
「人間はねー、勝った時はご褒美があった方がいいよ!」
いきなり謎の理論を展開され、日吉は面食らう。
何でもいいよ、アイスとかでも、と笑いながら言うところはちゃんと中学生だ、と少しほっとした。ずっと学校に来てなくても同じ人種なのだと。
日吉は少し考える振りをした。
「澪士が」
「ん?」
「学校に来ること」
「えっ」
澪士は流石に面食らったような表情をする。
「何それ? どういうこと?」
「何でもいいって言っただろ」
「それはそうだけど」
日吉が何を考えているかなんて、恐らく澪士には分からないだろう。それでいい、別に真意を告げるつもりなどないのだから。
うーんと独り言を言いながら暫し悩んでいたようだったが、少しして、澪士は頷いて日吉を見た。
「わかった。若がそれでいいって言うなら」
「ああ」
「……本当に、それでいいの?」
念を押すように尋ねる澪士に頷く日吉。
「じゃあ、月曜日からちゃんと来るよ」
「澪士、お前を嫌いな奴もいると思うけど、俺は味方だから」
「若……」
「でも無理はするなよ」
うん、と間髪入れずに澪士は答える。その笑顔がこの学校にあれば、どれだけ救われることか。
きっと大丈夫。澪士のことを守ってみせる。ちょっとした誤解から生まれたすれ違いなんじゃないかと思うから。
「帰るか」
「うん」
2人は並んで歩く。
毎日こうであればいいのに、と思った。
中1の終わり頃、ある日転校してきた少年は、たったそれだけ言葉少なに自己紹介するとさっさと自分の席に着いてしまった。
なんだか頼りなさそうな奴だと近くの席の日吉若は思っていたのだが、彼は2年生に上がる頃、すっかり学校には姿を見せなくなってしまっていた。
時折空いた席を見ては思い出していた日吉だったが、2年生に進級すると本格的にテニス部が忙しくなり、完全に忘れてしまっていた。
そんなある日。
「日吉」
「はい」
放課後、足早にテニス部の部室へ向かおうとする日吉を、担任が引き止める。
「あのさ、お前澪士って覚えてるか?」
「澪士……ああ」
少し考えて思い出す。そういえばどうしたんだろう。
で、と日吉は担任を急かす。
「あいつの家に行ってちょっと様子を見てきてほしいんだが」
「え? 何で俺が?」
「お前、1年生の時、少し澪士と話したことあるだろう。だから適任じゃないかと思って」
そういうのって担任がやるモンじゃないのか、と苛立ちを向ける日吉。
「勿論澪士の家には何度も行ってるさ。でもな、同年代の友達が訪ねてきた方ができる話もあるだろう」
「でも……」
「それに、澪士の家はお前の帰り道にあるから。まずはこのプリントを届けてくれ。頼んだぞ」
「……はあ……」
それ以上日吉に反論を許さず、担任は無理やりプリントを押し付けると、さっさと職員室に戻っていった。
一体何だと言うのか。何で自分がそんなことをしなきゃいけないのか。以前同じクラスだったからって、家が近いからって。
「……とりあえず部活に」
プリントを無造作にスクールバッグに放り込むと、再び日吉は急いだ。
その帰り、日吉は澪士の家の前にいた。ちなみに家の場所は、担任に押し付けられたプリントの束の中にメモが入っていて、そこに書いてあった。
テニス部の部活が終わるくらいだから結構遅い時間なのだが、プリントを届けるだけならそう失礼にならないだろう。
そう考え、日吉はベルを鳴らした。
「はーい」
名乗る間もなくドアが開く。
「あれ? えーと……」
「日吉若」
「そうだ、日吉くん」
出迎えたのは澪士。相手が日吉だと分かると、少し表情が曇る。
普段学校に行っていないことを恥ずかしく思っているようだった。
「こんな時間にどうしたの?」
「プリントを届けに来た」
「プリント? ごめんねわざわざ、ありがとう」
日吉が差し出すプリントを澪士は受け取る。
「こんな遅い時間にわざわざ来てくれてありがとう」
「いや、こっちこそ遅い時間に悪かった」
「ううん、日吉くんなら嬉しいから、いつでも来て」
いつでもっていうのはどうなのか、と思いながら、日吉はそれじゃとだけ言いその場を後にした。
翌日、担任に澪士の家へ行った時のことを伝えると、じゃあできるだけ毎日頼むな、と言われた。
馬鹿かと罵りたかったが相手は担任だ。そこはぐっと堪える。
「俺も暇じゃないんですけど」
「そうだよな、悪かった。じゃあ暇な日だけでいいから行ってくれ」
「だから……」
「いつでも来てって言われたのは、多分日吉だけだと思うぞ」
「え?」
担任の言葉の意味が分からず思わず聞き返す。
「今まで何人かに頼んでるんだが、皆大体、ほとんど会話もなかったって言ってたな」
「……ちっ」
思わず舌打ちした。何だ、そうなのか。ならこんな詳細なんて話すんじゃなかった。
これは面倒な役目を押し付けられたな、と思いながら、プリントを受け取った。
暫く来るのが空いてしまい、次に訪ねることができたのは、初めて訪問した日から1週間と少し経った日だった。
今日はたまたま部活がなかった、そのため前回より早い時間にたどり着く。
「あー日吉くん」
ベルを鳴らすとばたばたという足音が聞こえた後、中から澪士が顔を出した。相変わらず元気そうだ。
「またプリント届けに来てくれたの? ありがとう」
「ああ」
よかったら家に上がらない、と問われる。
「あんまり話し相手がいなくてさ、寂しいんだよね」
普段だったらマッハで断っているだろう。日吉は面倒なことは基本的に嫌いだ。
でもその時は、なぜか断れなかった。断ってはいけないような気がした。
澪士のその表情が、本当に寂しそうに見えたからかもしれない。
「……少しだけなら」
「やったー! ありがとう!」
どうぞどうぞ、と澪士は中へ入っていく。見れば沓脱ぎを裸足で踏んでいたようだ。
通されたリビングには2人掛けのソファと1人掛けのソファが並べてある。
座っていて、と澪士は言い、間もなく隣接したダイニングから飲み物を持って戻ってきた。
「澪士、家族は?」
「両親は共働きだから帰ってくるの遅いよ。日吉くんは?」
「俺の家は道場だから、いつも五月蝿い」
そう答えながら内心日吉は少し驚いていた。まさか自分のことを聞かれるとは思っていなかった。
日吉はその風貌から――勿論中身もその風貌の通りなのだが――あまり人に話しかけられることはない。テニス部レギュラーの愉快で遠慮の欠片もない面々は別だが。
だから日吉の家族がどんな風なのかなんて、澪士以外に聞かれたことはなかった(繰り返すが、テニス部レギュラー以外には)。
「へえ、道場か。じゃあ何でテニス部なの?」
「テニス部の方針が気に入った」
「どんな?」
「学年が下でも、実力があればレギュラーになれるし、負ければレギュラーから外れるところだ」
「へえ……日吉くんって」
面白い人だね。
まさかそんな返しがくるとは思わず面食らう。
「面白い?」
「うん、不思議な人っていうか」
そう言って笑う澪士に、日吉は思ったことをそのまま尋ねる。
「澪士は何で学校に来ないんだ?」
何も考えずにそう聞いたが、聞いた後、さすがにまずかったかと反省した。
彼が何らかの理由で学校に来ないのは分かる。元気そうだから病気ということはないだろう。
そういえば担任も何も言わなかった。
「いじめ、って程でもないけど。合わなかった」
「いじめ?」
日吉の眉間に皺が寄る。
「日吉くんには話してなかったかもしれないけど、僕、帰国子女なんだよ」
「へえ」
「って言っても日本人学校に通ってたからさ、全然英語は話せないんだよね」
だけどさ、と澪士は溜息をつく。
「前に居た中学校で、小学生の時はアメリカに居ましたって言ったら、英語を喋れってうるさくて。でも僕は話せないって言ったらつまんないって言われて無視され始めて」
そう語る澪士の口調は悲壮なものではなく、むしろ何かふっきれてしまったかのように清々しい。
「それが嫌で氷帝学園に転校してきたんだけど……こっちの方が本物の帰国子女がいる分、面倒なことが多くて」
「ああ」
帰国子女ではない日吉にも澪士の言いたいことは分かった。
確かに氷帝学園には小学生の時に海外に居たという生徒が多い。テニス部部長の跡部だってそうだ。
でも日吉はそちら側ではなく、決してそんな金持ちと比べられることもないため、澪士の気持ちも分かる。
「ここだったら僕の居場所もあるかな、って思ったけど、やっぱりダメだった。ちょうどよく親の転勤が決まったから僕も着いてきたんだけど、私立中学でもこうなら……もう、どこも行く必要ないかなって」
そう言いながら見せる笑顔はそこまで悲痛なものでもなかったが、やはり日吉は後悔していた。
こんなこと聞いて、知って、どうになる? どうせ俺は彼のためには何もしないし、何もできないのに。
「ごめん、変な話しちゃった」
「いや、俺から聞いたんだから、気にするな」
とはいうものの、2人の間には少しの間、沈黙が下りる。
「これでも家でちゃんと勉強はしてるんだよ」
「そうか」
「たまにはね、学校行きたいなって思ってるよ」
先生に伝えといて。
そう言って澪士は少し笑った。
いつの間にか、日吉と澪士は仲良くなっていた。
日吉は部活がない日は毎日澪士の家に行っていたし、部活がある日も連絡を取り合い行く時もあった。
何でそんなに熱心になったのか、それは日吉自身にも分からない。
けれど学校で会った短い期間において全く知らなかったと思うようなことも沢山あった。
「ねえ若」
「ん?」
「テニス部って試合とかないの?」
「ある」
そしていつの間にか、澪士は日吉のことを若と呼ぶようになっていた。日吉は相変わらず人の名前をあまり呼ぼうとはしないが。
このたった少しの年月でも2人の距離は確実に縮まっていた。
「来週の土曜日に練習試合がある」
「ええ。それって外部の人も行っていいやつ?」
「ああ」
「本当に?」
じゃあ僕行こうかな、と澪士はぽつりと呟く。
まさかそんなことを言い出すとは思わなかったので、日吉は驚いて澪士をまじまじと見た。
「……本気で言ってんのか?」
「本気だよ」
若のこと応援しに行ってあげる。
そう笑う澪士が本気なのかどうなのか、日吉には見当がつかなかった。
あっという間に試合の日がくる。今日の練習試合は氷帝のコートでやるそうだからホーム試合だ。
「誰か待ってるの?」
「!」
何だか落ち着きがない日吉に気づいたのか、同学年の鳳が声を掛ける。
違う、と答えるが、どうもそうは受け取ってもらえなかったようだ。
「今日の試合、頑張れそうだね」
そうだ、彼がいようといまいと勝たなければいけないのは事実だ。何故ならここは氷帝学園だから。
日吉はシングルスにアサインされていたが出番はもう少し先のようだ。
とりあえずベンチに座り、心を落ち着かせることにした。
「何だ日吉、緊張してんのか?」
「久々の練習試合だC」
「緊張なんかするわけないじゃないっすか」
「まあ日吉のことは心配してないからな」
レギュラーの面々に代わる代わる声を掛けられる。無理やり静める。
レギュラー同士の試合ではまず芥川が戦うようだ。別のコートで準レギュラー陣の試合も同時に行われるらしい。
ただ、芥川なら心配はいらないだろう。恐らくすぐに勝ってくれる。
そうすれば自分の出番か、と日吉は思った。
(……澪士が)
もし試合の途中に澪士を見つけてしまったら。
杞憂に終わることを願いながら出番を待った。
少し経つと無事に芥川がピースをしながらベンチに戻ってきた。
当然だと言わんばかりの跡部、よくやったと労う宍戸。樺地は相変わらず何も言わない。
次は日吉の出番だ。ジャージの上着を脱いでベンチにかけ、コートへ向かう。
「ウィッチ?」
「ラフ」
相手に問われ、日吉は迷いなく答える。くるくるとラケットが回る。
宣言通りラフが上に来、サーバーを選択する。
「お願いします」
日吉がそう言って試合が始まるかに思えた、その瞬間だった。
「若ー! 頑張れーっ!」
一際大きい声が注目を集める。
聞き覚えのある声にぎょっとして観客の方に目を遣った日吉は、想像通りの人を見つけた。
「澪士……」
何も試合が始まってからこんな大きな声で叫ぶことはないだろうに。
そう思いながらもそんなに嫌ではなく、口の端だけ上げてみせてから、ボールを高く投げ上げた。
試合が一通り終わって解散の流れになると、日吉は1人その輪から外れ、鞄を持って校舎に入った。
最早観客席に彼は見当たらなかったので、きっといるとしたら、あそこだ。
共に学校で過ごした時間は短かったが、大体想像がついた。
「……いた」
「あっ若、お疲れ様」
2年F組の教室。
土曜日だから、教室には生徒は誰もいない。
「あんな大きい声出さなくても」
「若、多分僕がいるの気づいてなかったなって思ったからさ」
確かに気づいてはいなかったが。
「ねえ、若、さっきの試合勝ったじゃん? だから、何かご褒美をあげたいと思うんだ」
「は? 何をいきなり」
「人間はねー、勝った時はご褒美があった方がいいよ!」
いきなり謎の理論を展開され、日吉は面食らう。
何でもいいよ、アイスとかでも、と笑いながら言うところはちゃんと中学生だ、と少しほっとした。ずっと学校に来てなくても同じ人種なのだと。
日吉は少し考える振りをした。
「澪士が」
「ん?」
「学校に来ること」
「えっ」
澪士は流石に面食らったような表情をする。
「何それ? どういうこと?」
「何でもいいって言っただろ」
「それはそうだけど」
日吉が何を考えているかなんて、恐らく澪士には分からないだろう。それでいい、別に真意を告げるつもりなどないのだから。
うーんと独り言を言いながら暫し悩んでいたようだったが、少しして、澪士は頷いて日吉を見た。
「わかった。若がそれでいいって言うなら」
「ああ」
「……本当に、それでいいの?」
念を押すように尋ねる澪士に頷く日吉。
「じゃあ、月曜日からちゃんと来るよ」
「澪士、お前を嫌いな奴もいると思うけど、俺は味方だから」
「若……」
「でも無理はするなよ」
うん、と間髪入れずに澪士は答える。その笑顔がこの学校にあれば、どれだけ救われることか。
きっと大丈夫。澪士のことを守ってみせる。ちょっとした誤解から生まれたすれ違いなんじゃないかと思うから。
「帰るか」
「うん」
2人は並んで歩く。
毎日こうであればいいのに、と思った。
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