Stella Peluche
夏のライブの後、安慈は一人暮らしを始めた。
元々、大学に入ったら家を出るつもりではいたが、夏休み中はライブの準備で忙しかったから、9月の連休で引っ越したのだった。
引っ越しから10日ほど経って、安慈の家に瑞貴が泊まりにくることになった。
今日はレコーディングの後、翔も含めて事務所の近くのファミレスで夕飯を済ませて、安慈の家に行くまでにコンビニで飲み物などを買ってから戻ってきたところだ。
「もう、荷解き終わってるんだ」
玄関からは、引っ越して間もないとは思えないくらい部屋が綺麗に片付いていたのが見えて瑞貴はそう言った。
『友達の家に泊まる』ということが初めての瑞貴は、いつもより大きめの荷物を抱えてソワソワと落ち着かない様子だった。
「あぁ、実家から持ってくるものも大して多くなかったからすぐ終わったよ。もともと、実家でも部屋は幸慈と一緒だったからあまり物も無かったし」
「ふぅん」
中に入ると、安慈が部屋の明かりを付けて、カーテンを閉める。
その後は『手を洗いましょう♪』と適当なメロディで歌いながら瑞貴を洗面所に連行したり、その後はパソコンを立ち上げたりと、恐らく彼が帰宅してから行っているルーティンをこなしていた。
「あ、瑞貴。先に寝てていいからね。俺、ソファで寝るし」
ベッドに腰掛けていた瑞貴に安慈がそう言ってパソコンのあるデスクに向かった。
暫く雑談をしたり、テレビを見たりして、順番にシャワーを済ませた後、各々がナイトルーティンをして今に至る。もう日付が変わりそうな時間だ。
「こんな時間からまだ何かするの?」
「ちょっとだけ。週明けに出すレポートを見直しておこうと思って」
「レッスンとか仕事とか終わった日も、そうやって勉強してるの?」
「あまりにも疲れてたらシャワーして寝ちゃうけど、余力があればやるようにはしてるよ。結構授業もみっちりだし。予習とか復習とかしておかないとやっぱり難しいからさ」
安慈は座っていた椅子をくるりと回して、瑞貴の方を向いた。
「……大変なのに、本当、表に出さないよね」
瑞貴はそう言って、ベッドに座ったまま身体だけ横に倒した。彼の言葉に少し目を大きくした安慈だったがすぐに微笑む。
「大変だけど、学業もアイドルの仕事も今がチャンスなんだよ。これを手放したらきっと次は手に入れられない。だから辛くはないよ」
「そっか……」
しばらく、部屋に静寂が訪れる。
安慈は瑞貴を見つめたまま、穏やかな表情で黙っている。瑞貴が何か言いたげな様子なのだが、なかなか口に出さないでいたからだ。
「あの……さ……」
「うん」
「安慈は……将来どうするとか……決めてる?」
少しずつ、言葉を選ぶように話す瑞貴。
「うーん……まだハッキリとは決めていないかな。けれど、決めるための選択肢はたくさん作っておいたほうがいいとは思ってる」
「なるほどね……」
「どうしたの?瑞貴は美大受けるんでしょ?」
少し前に、今後の活動について会議をした際に、翔と瑞貴の進路を聞いていた安慈は、彼に何か迷いが出たのかと思ってそう訊いた。
「うん。ちゃんとやりたいと思ったから選んだけどね……。ほら、翔はもう歌うのが仕事というか、もう使命ってくらい一生懸命じゃん。
進路も、作詞作曲したいっていうからそういう学校行くって言ってたし……」
瑞貴はそう言いながら、座っていた状態からもぞもぞと動いて全身をベッドに乗せた。
「この前ね、たまたま事務所で社長に会って、美大受験しますって言ったらニコニコしてたんだけど、ふと、この人もアイドルやってたんだよなぁって思って」
「うん。そうだね」
「だからさ、事務所の経営もできるんだなぁ……って思ったらね、つい『ゆくゆくは社長の席、僕も座っていいですよね』って言っちゃったんだよね」
「えぇっ!」
瑞貴の淡々と発せられた言葉に血の気が引く安慈。社長に宣戦布告じゃないかと冷や汗が出る。
「そんなこと言って怒られなかったの⁉︎」
「うん。怒られるどころか、ものすごく笑われた。『アタシはまだくたばる気は無いから暫くは譲れないわよ』って。隣にいた高嶺さんがものすごい慌ててた」
「そりゃそうでしょ……もう。坊ちゃん強気なのもほどほどにしてよぉ」
安心したようにため息をついた安慈の様子に、クスクスと瑞貴が笑った。
「なんかね……漠然と、アイドルとして表に出なくなったら、僕は何ができるのかなって思ってさ……。飛鳥井の事業は継ぐつもりないし、その辺は兄さん達でやるだろうから、僕は全然違うことやるつもりだけど……」
少しウトウトしてきたのか、瑞貴の瞬きがゆっくりになる。
「マm……母さんが、歌劇団を退団して芸能界を引退した時、どんな気持ちだったんだろうなって……。僕が、アイドルとしてやりきったと思えたら、舞台から降りてもいいと思えるのかなって……なんか、いっぱい考えちゃって……」
「……不安になった……?」
安慈の言葉に、瑞貴は小さく頷く。
それを見て、安慈は椅子から立ち上がると、瑞貴が横になっているベッドに腰掛けた。
「そっか……。分かるよ。この先ずっと安泰だとは言い切れないもんね。だから、さっきも言ったけど、岐路に立たされた時に選べる道を自分で作っておいた方がいいと思ってる。瑞貴なら舞台演出家になる方向でも、芸能事務所立ち上げるとかでも良いだろうし、瑞貴はダンスが上手だから教える側になってもいいと思うよ。ほら、ちょっと考えただけでアイドル以外にもこんなに選べる道がある」
「ほんとだね……。ふふっ、ありがとう」
「どういたしまして。大丈夫だよ。やりたいことって、これからもどんどん増えていくだろうし、ステラペもまだまだ忙しいし、不安になるのはまだ早いと思うよ」
「うん……」
「まずはせっかく手に入れたチャンスだから、ステラペの活動をやり切ったって思えるまで頑張ろう。俺は、その間に『選択肢』を作るのでも遅くないと思う」
「……そうだね……」
瑞貴が本格的にウトウトしてきて、瞼がゆっくりと閉じたり開いたりしている。
安慈はその様子を小さな子供みたいだなと思いながら、ベッドの上に畳んであったタオルケットを広げて瑞貴に掛けてやった。
「もう半分寝てるじゃん。そのまま寝ていいよ」
「うん……」
モソモソとタオルケットの端を掴んで、身体を丸める瑞貴。
安慈はデスクに戻ろうとベッドから立ち上がると、くい、と服を引っ張られた。
「安慈……ありがと……。ちょっと……スッキリした……」
「……どういたしまして。おやすみ」
「おやすみ……」
瑞貴が再び身体を丸めると、程なくして穏やかな寝息が聞こえてきた。
安慈は、寝てる姿は完全に子供だなぁ……と思いながら、そっと瑞貴の頭を撫でてパソコンへ向かった。
元々、大学に入ったら家を出るつもりではいたが、夏休み中はライブの準備で忙しかったから、9月の連休で引っ越したのだった。
引っ越しから10日ほど経って、安慈の家に瑞貴が泊まりにくることになった。
今日はレコーディングの後、翔も含めて事務所の近くのファミレスで夕飯を済ませて、安慈の家に行くまでにコンビニで飲み物などを買ってから戻ってきたところだ。
「もう、荷解き終わってるんだ」
玄関からは、引っ越して間もないとは思えないくらい部屋が綺麗に片付いていたのが見えて瑞貴はそう言った。
『友達の家に泊まる』ということが初めての瑞貴は、いつもより大きめの荷物を抱えてソワソワと落ち着かない様子だった。
「あぁ、実家から持ってくるものも大して多くなかったからすぐ終わったよ。もともと、実家でも部屋は幸慈と一緒だったからあまり物も無かったし」
「ふぅん」
中に入ると、安慈が部屋の明かりを付けて、カーテンを閉める。
その後は『手を洗いましょう♪』と適当なメロディで歌いながら瑞貴を洗面所に連行したり、その後はパソコンを立ち上げたりと、恐らく彼が帰宅してから行っているルーティンをこなしていた。
「あ、瑞貴。先に寝てていいからね。俺、ソファで寝るし」
ベッドに腰掛けていた瑞貴に安慈がそう言ってパソコンのあるデスクに向かった。
暫く雑談をしたり、テレビを見たりして、順番にシャワーを済ませた後、各々がナイトルーティンをして今に至る。もう日付が変わりそうな時間だ。
「こんな時間からまだ何かするの?」
「ちょっとだけ。週明けに出すレポートを見直しておこうと思って」
「レッスンとか仕事とか終わった日も、そうやって勉強してるの?」
「あまりにも疲れてたらシャワーして寝ちゃうけど、余力があればやるようにはしてるよ。結構授業もみっちりだし。予習とか復習とかしておかないとやっぱり難しいからさ」
安慈は座っていた椅子をくるりと回して、瑞貴の方を向いた。
「……大変なのに、本当、表に出さないよね」
瑞貴はそう言って、ベッドに座ったまま身体だけ横に倒した。彼の言葉に少し目を大きくした安慈だったがすぐに微笑む。
「大変だけど、学業もアイドルの仕事も今がチャンスなんだよ。これを手放したらきっと次は手に入れられない。だから辛くはないよ」
「そっか……」
しばらく、部屋に静寂が訪れる。
安慈は瑞貴を見つめたまま、穏やかな表情で黙っている。瑞貴が何か言いたげな様子なのだが、なかなか口に出さないでいたからだ。
「あの……さ……」
「うん」
「安慈は……将来どうするとか……決めてる?」
少しずつ、言葉を選ぶように話す瑞貴。
「うーん……まだハッキリとは決めていないかな。けれど、決めるための選択肢はたくさん作っておいたほうがいいとは思ってる」
「なるほどね……」
「どうしたの?瑞貴は美大受けるんでしょ?」
少し前に、今後の活動について会議をした際に、翔と瑞貴の進路を聞いていた安慈は、彼に何か迷いが出たのかと思ってそう訊いた。
「うん。ちゃんとやりたいと思ったから選んだけどね……。ほら、翔はもう歌うのが仕事というか、もう使命ってくらい一生懸命じゃん。
進路も、作詞作曲したいっていうからそういう学校行くって言ってたし……」
瑞貴はそう言いながら、座っていた状態からもぞもぞと動いて全身をベッドに乗せた。
「この前ね、たまたま事務所で社長に会って、美大受験しますって言ったらニコニコしてたんだけど、ふと、この人もアイドルやってたんだよなぁって思って」
「うん。そうだね」
「だからさ、事務所の経営もできるんだなぁ……って思ったらね、つい『ゆくゆくは社長の席、僕も座っていいですよね』って言っちゃったんだよね」
「えぇっ!」
瑞貴の淡々と発せられた言葉に血の気が引く安慈。社長に宣戦布告じゃないかと冷や汗が出る。
「そんなこと言って怒られなかったの⁉︎」
「うん。怒られるどころか、ものすごく笑われた。『アタシはまだくたばる気は無いから暫くは譲れないわよ』って。隣にいた高嶺さんがものすごい慌ててた」
「そりゃそうでしょ……もう。坊ちゃん強気なのもほどほどにしてよぉ」
安心したようにため息をついた安慈の様子に、クスクスと瑞貴が笑った。
「なんかね……漠然と、アイドルとして表に出なくなったら、僕は何ができるのかなって思ってさ……。飛鳥井の事業は継ぐつもりないし、その辺は兄さん達でやるだろうから、僕は全然違うことやるつもりだけど……」
少しウトウトしてきたのか、瑞貴の瞬きがゆっくりになる。
「マm……母さんが、歌劇団を退団して芸能界を引退した時、どんな気持ちだったんだろうなって……。僕が、アイドルとしてやりきったと思えたら、舞台から降りてもいいと思えるのかなって……なんか、いっぱい考えちゃって……」
「……不安になった……?」
安慈の言葉に、瑞貴は小さく頷く。
それを見て、安慈は椅子から立ち上がると、瑞貴が横になっているベッドに腰掛けた。
「そっか……。分かるよ。この先ずっと安泰だとは言い切れないもんね。だから、さっきも言ったけど、岐路に立たされた時に選べる道を自分で作っておいた方がいいと思ってる。瑞貴なら舞台演出家になる方向でも、芸能事務所立ち上げるとかでも良いだろうし、瑞貴はダンスが上手だから教える側になってもいいと思うよ。ほら、ちょっと考えただけでアイドル以外にもこんなに選べる道がある」
「ほんとだね……。ふふっ、ありがとう」
「どういたしまして。大丈夫だよ。やりたいことって、これからもどんどん増えていくだろうし、ステラペもまだまだ忙しいし、不安になるのはまだ早いと思うよ」
「うん……」
「まずはせっかく手に入れたチャンスだから、ステラペの活動をやり切ったって思えるまで頑張ろう。俺は、その間に『選択肢』を作るのでも遅くないと思う」
「……そうだね……」
瑞貴が本格的にウトウトしてきて、瞼がゆっくりと閉じたり開いたりしている。
安慈はその様子を小さな子供みたいだなと思いながら、ベッドの上に畳んであったタオルケットを広げて瑞貴に掛けてやった。
「もう半分寝てるじゃん。そのまま寝ていいよ」
「うん……」
モソモソとタオルケットの端を掴んで、身体を丸める瑞貴。
安慈はデスクに戻ろうとベッドから立ち上がると、くい、と服を引っ張られた。
「安慈……ありがと……。ちょっと……スッキリした……」
「……どういたしまして。おやすみ」
「おやすみ……」
瑞貴が再び身体を丸めると、程なくして穏やかな寝息が聞こえてきた。
安慈は、寝てる姿は完全に子供だなぁ……と思いながら、そっと瑞貴の頭を撫でてパソコンへ向かった。