Stella Peluche


「アンジー、助けて……」

とある日の放課後。
3-12の教室に駆け込んできた翔は、安慈を見つけるなり涙目でそう言った。
「え?どうしたの?何やらかしたの?」
「やらかした……いや、オレやらかしたんだな……」
何かぶつぶつと言っている翔に戸惑う安慈だったが、ここではクラスメイトの目もあるので、ひとまずは一緒に事務所に向かうことにした。


***

「なーんだ!そんなことだったの!」

事務所に向かう道中、ケラケラと笑いながら安慈がそう言った。
「そんなことって……オレにとっては深刻な問題だよぉ……」
「いや、授業中に寝てた翔が悪いだけだよ?」
ものすごく真顔で返されて何も言えなくなる翔。
翔が涙目で安慈に訴えたのは、もうすぐ中間テストだというのに、数学がさっぱりわからなくてこのままでは赤点だから教えてほしい ということだった。
安慈は、成績優秀で入学時も特待生で入学している。
気心の知れた仲間が秀才であれば、家庭教師を申し込むのはごく自然なことだろう。

「オレ、多分ハニワの数学と相性悪いんだよ。絶対眠くなるもん。途中で思考が止まる」
「まぁ、ハニワの声が眠くなるってのは同意できるかなぁ? 寝たことないけどね」

お互い同じ人物を思い浮かべてクスクスと笑いながら話す。
ちなみに、ハニワというのは、数学教師のあだ名である。安慈も二年次に授業を受けていた。

「とりあえず、事務所に着いたらどこが分からないのか、何が分からないのか教えて。それから、ちゃんと翔が理解できるように手伝うから」
安慈がそう言うと、翔は目をキラキラと輝かせて
「ありがとう!!」と、安慈に抱きついていた。




「ふぅん。それで、勉強してるんだ」
「そうなの。アンジー、分かりやすく教えてくれるんだけどさ……練習問題の量が……」

事務所の楽屋代わりに使っている部屋が個別指導塾と化していたので、後から来た瑞貴は何事かと驚いていたが、翔の説明で納得した様子だった。
今日はダンスレッスンだが、先生の都合で予定より1時間遅れてのスタートとなったため、少し時間ができたのだ。
「僕の学校ももうすぐテストだね。あまり気にしていなかったけど」
「良かったら瑞貴もやる? 練習問題作るよ」
安慈がそう言って、ルーズリーフを一枚取り出すと、サラサラとシャーペンで数式を書いていく。
「はい、瑞貴は5問ね。瑞貴なら翔が1ページ終わらせる前に終わるかな」
「なんで瑞貴は5問なの⁉︎ずるい!」
「ずるくない。翔はたくさん練習して問題に慣れなきゃダメ。数式見て止まるようじゃテスト赤点だよ」
安慈は、抗議する翔を淡々とあしらうと瑞貴にルーズリーフを差し出す。
「翔、そんなに数学苦手なの?数学なんて答えが決まってて分かりやすいのに」
問題を受け取った瑞貴は、そう言いながら自分のバッグからシャーペンを取り出して、少し考えた後、サラサラと問題を解いていく。
最後の問題で瑞貴の手が止まったが、暫く考えた後、彼はまたサラサラと答えを記入していく。

「はい、できたよ」
そう言って、瑞貴は安慈に記入したルーズリーフを差し出す。
「えっ、嘘。早い」
「はい、翔は気にしないでどんどんやる」
翔が驚いて声を上げたが、安慈に急かされて慌てて問題に戻る。
「じゃあ、答え合わせするね」
瑞貴の回答を受け取った安慈は自分のペンケースから赤ペンを出して、丸をつけていく。
暫くして、

「あ、瑞貴引っかかった」
「え?」
安慈の言葉に、瑞貴が安慈の手元を覗き込む。どうやら、最後の問題に『引っかかった』ようだ。
「どういうこと?」
「ふふっ、ちょっと俺が意地悪したんだけどね。ここは、こっちの解き方の応用で……」
安慈が、書き込みながら最後の問題の解説をする。
大学入試でもこういう意地悪な応用問題が出てくるんだよね、と言いながら解き方を瑞貴に教えていた。

「へぇ……。そっか。こっちの解き方なんだね」
「そうそう。瑞貴は飲み込みが早いね。意地悪な先生だとテストに入れてくるかもしれないから、覚えておくといいかも」
ニコニコしながら、よくできました と安慈が言った。



こんな風に、勉強を教えてもらったことあったかな……。

瑞貴は、ふと自分の兄達を思い出す。

学業も、スポーツも、弓道の成績も自分は兄達よりも良かった。
なのに、父親は跡取りだからと兄達ばかりを贔屓する。
僕だけは別物だから……。


「安慈が、兄さんなら良かったな……」

瑞貴の口から、ポロッと言葉が溢れた。
彼の言葉に一瞬目を丸くした安慈は、彼の事情を思い出してすぐに笑顔になる。

「……ここにいる限りは、俺が『兄さん』でいるから大丈夫だよ」
安慈はそう言って、瑞貴に微笑んだ。
彼の優しい返事に戸惑った瑞貴は、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。
その様子に小さく笑う安慈。

「あぁぁ終わったーー!!先生!見てください!」
穏やかな空気を破るように大声でそう言った翔は、安慈にプリントを手渡した。
「はい、じゃあ採点しまーす。7割できてなかったらもう10問ね」
「えぇぇ……もうやだ、ダンスの先生早く来て……」

安慈先生の補講はまだまだ終わらない様子だったが、瑞貴は翔と安慈の様子を微笑ましく、そして少し憧れに似た気持ちを抱きながら見ていた……。
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