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恋のクソデカ迷宮

いつも遊んでるメンツで飯食って、駄弁って、その帰り。随分遅くなってしまったなと頭を掻きながら暗い夜道の家路を辿る。風呂に入ってさっさと寝ようか、いや歯だけ磨いて仮眠するか?イヤホンを外して玄関で靴を脱ぐその時、鳥肌が立った。

  誰 か、居る 。?

靴の音、衣擦れ、俺が入ったのと一拍遅れて閉じたドアの音。生きた人間が、背後にいると確信した時にはもう遅かった。
瞬間、ガッと首を絞められ口元に布が当てられた。気管が圧迫され反射的に息を吸おうともがく。鼻を突く刺激臭のする頃にはなにもかもが手遅れで、口の端を泡が伝って膝がガクガクと笑い始める。薄れかける意識の中で、背後のそいつの腹に一発見舞ってやると、聞き覚えのある噎せた声。それに絶望する間もなく気が落ちた。



頭が痛くて目が覚める。見慣れた天井。時刻を確認しようとスマホに手を伸ばして、そこで異変に気がついた。腕がなにかに引っかかっている。その違和感が俺に記憶を辿らせた。手は麻縄でベッドに繋がれていた。それは俺を後ろから羽交い締めにした奴がここにいることを示唆している。
サッと血の気が引く。だって気を失う前に聞いた声は、あれは、

「はよ、ありちゃん」

…まるで、まるで今vcに入ってきたみたいな、なんでもないような声のトーン。背筋が凍った。だって、目に映る男がそうである確証はなかったが、頭で考えなくてもわかるほど聞き親しんだその声は


              だるまに違いなかった。

「… なん、で」

頭の中が真っ白になって、呼吸が浅くなっていく。目の前にいる男が、まるでほかの惑星からやってきた宇宙人のように思えた。

「…俺…お前に、なんかした?」

得体の知れない恐怖が俺の背中を抱き締めた。恨まれるようなことをした覚えは、ない。

「なんも?」

人あたりの良さそうな顔で笑う。正気じゃない。

「じゃあなんで…」

だるまは人懐っこそうな顔で首を傾げた。まるで、分からないのかとでも言いたげだった。恐ろしくてたまらなくなる。

「好きやから」

「…ぇ、」

…ふざけている訳では、なさそうだった。寧ろ怖いくらい目が座っていて。目を逸らしたかったが、俺にそうさせないなにかをこいつはもっていた。

「ありちゃん。俺と遊んでくれやんくなったよな」

少し長い髪を耳に掛けながら、目を伏せてそう話し出す。

「それなんにバニとしすこと、それにととさんと飯まで行っちゃってさ」

自分の体から、体温が、血が、抜け落ちていくような感覚。家の前で待ち伏せていたわけではなかったんだ。…付けてられていたのか。でも、俺の直感が勘づいている。こいつが知っているのは、きっとそれだけじゃないと。

「…ありさかって可愛いよな」

まるで俺じゃない第三者を慈しむような言い方に目眩がした。頭が痛い。

「大会も遅くまでよう頑張っとる。動画見てモクの研究もしとる」

「…なに、が……言 いたいの、」

「…お前を、心底愛してるってこと」

どんよりと濁った眼。その双眸は、きっと俺を映さない。

「愛してる。お前が好き。誰よりも」

「………」

何と、返せばいいのか。
こいつが俺に何を期待してるのか。それとも何も期待してないのか。手首に括られた麻縄がぎしりと音を立てる。自分の血流が拍動と共に全身を廻るのが分かる。…怖い?………いや、これは、違う。



                   …少し、嬉しいんだ。

イカれてる、そう思った。でも、本当だった。こんなに真っ直ぐ好意を伝えられたことなど無かったから。…なにより、お前からそんな言葉が聞けるなんて思ってもみなかったから。まともじゃないと分かっていても、嬉しくなってしまった。…だからといって、恐怖が消えた訳じゃないけど。

「ありさか。」

虚を見つめてそう言う声は、狂気じみた慈愛に満ちていた。やっぱり、俺を見てはいない。膨らんだ気持ちが音を立てて萎んでいくのを感じた。

「俺の…俺のためなんやって。『俺と一緒にされると、鳩もすごいしコメントもリプもウザいだろうから』って…ああほんまにかわええなぁ…ありさか…」

覚えのあるセリフ。…ああそうだ、それはみっくすに聞かれて話した…その、言葉を なんで、お前が ?
…聞かれて、いたのか。いや、見られて…?

「…はは、っ」

何が可笑しいのか、だるまは乾いた声で笑った。彼の俯いた姿勢が恐怖を煽る。

「お前のことだけ想っとる、お前だけが好きやし、お前だけを犯したい、お前が、死ぬなら、…俺が殺してやりたい」

椅子から立ち上がって完全に気がイってしまったような様子のだるまを見て、情けないが震え上がった。あ、こいつマジで、イカれてる。相当拗らせているようだ。しかも、「死ぬなら」ってなに?よくあるヤンデレみたいに、殺されてしまうのだろうか?全力で抵抗すればなんてことはない、細身の男だ。しかしこいつは玄関で俺を落としたような薬物を持っている、気の触れた細身の男だ。その上…こいつの気持ちを知った今、俺が本気で抵抗できるか、怪しい。
しばしの沈黙。

「…愛してる、ほんとに」

目を上げると、だるまがこちらを見ていた。今度は、その目の中に俺がいた。

「ゴツい手も、優しそうな顔も、全部知っとった」

近付いてきただるまはふらふらして、どこか危なっかしい。俺が、お前をそうさせたのだろうか。だとしたらそれは、少し、喜ばれるべきことかもしれない。

「でも匂いは…分からんかった」

俺の肩口に軽く頭を預けただるまは、そこでくったりと静かになった。

「…うん、ありさかって感じ」

ふっと離れていっただるまは、先程より気持ちばかりしゃんと立っているように見えた。

「興奮すんね」

ひひ、と笑みを隠しきれない様子のだるまを見ていると、こっちまで気が狂いそうになる。この状況に飲まれてしまいそうになるし、そうした方が楽だとどこかで気付いている。
ふつふつと、こころの、ぺしゃんこになっていた気持ちが息を吹き返し始めているのを感じた。もうずっとずっと前に、箱に入れて鍵を閉めて二度と出てこないようにあらんかぎりの力で滅多打ちにして踏み潰して叩き割って下の方に捨てといたやつだ。それ。それが今になって微かに呼気を漏らし始めた。

頭の中で、先程のだるまの言葉がこだました。『俺が殺してやりたい』。…どうせ、どうせ死ぬかもしれないなら、もうどうなってもいいじゃないか。この際、もう、この都合のいい事態に便乗してしまおう。
吹っ切れて隠す必要のなくなった感情が顕になったところで、俺は非常に元気になった。

「俺も好きだよだるま」

自身から出たのは驚くほど軽やかな声だった。それでいて嘘臭さは微塵もない。当然だろう。

「…………は?」

真実なのだから。

「俺もお前のことが好きやったし、お前に会いたいと思ってた。でもお前誰とも会わないらしいし、飲みにも行けないし、男だし付き合うのも告るのも無理やなって諦めて」

「やめろ!」

俺の声を遮るようにして、だるまがありったけの声で叫んだ。怯えているようにも聞こえた。

「やめろ、やめて…そんな、違うありさかは、助かりたいからって、そんなぺらぺら嘘つくような奴ちゃう、違う、」

「嘘じゃないもんだって」

だるまの顔色は今にも泡でも吹き出しそうなほどだった。さっきまでニコニコしてたのが嘘のようだ。

「ほら殺す前にやりたいことヤらなきゃなんじゃない?無抵抗な俺をどうとでもしてよ」

言い切る前に、今度こそ押し倒された。だるまの蒼白とした顔にはギラついた殺意も、溢れ出る欲情もなかった。やりきれない後悔だけがあった。

「なんで…なんでそんなこと言うん、」

「死ぬ前に思い出作ろうかなって」

「…それ、誰の思い出?…俺に、思い出作らせようとしてくれとんの?」

即座に、違うと言えなかった。意識にまで及ばなかった奥底の考えを、言葉にされた気がした。
俺はだるまが好きだ、いや好きだった。それは嘘じゃない。…そして、本当は少し気付いていた。お前の気持ちに。
気付いていたのに向き合わなかった、お前用に他より少し甘く煮た優しさを与えて誤魔化していた。そんなお前への、少しでも罪滅ぼしになればときっとどこかで思っていた。

「…ありさかの、優しいってさ。…みんなによな」

「…ずるいだけだよ」

「それでもいい。優しいのもずるいのも、俺がいい、俺だけ」

黄色の眼光が不安定に揺れる。濡れた薄膜が光る。

「…俺、おれね。勘違いしてんの。自分でも、分かってんの」

その意を汲んだ時、どうしようもないほどやるせない気持ちになった。勘違いではないと、好きだったと伝えても、きっともう伝わらない。遅かったんだ。俺も、

「でももう、戻れやんとこまで来ちゃった。」

お前も。
乾いた声で笑う。
消極的な性格を言い訳にして、俺は何も行動せずに、お前が何かの拍子に告白してくれることを期待していたんだ。なんて、そんな、…。

「…俺のせいだ」

聞こえない呟きを零して、だるまの目からなおも溢れ続ける涙を拭ってやる。刹那手首を掴まれた。

「…あのな、そうゆうとこやで?」

「…え、……あっ」

「無自覚タラシがよ…」

心底憎たらしそうに、でもどこか愉しそうに笑って言う。お前にだけは自覚ありだけどね。

「マジで、絶対殺してやるから、お前だけは、」

激しく行き来する相方の情緒を止める気すらない。俺のせいであるなら、いっそ全て愛おしい。

「ただ、その前に…」

何か言いかけているだるまをぼーっとながめていると、ぺろんとTシャツを捲られた。

「っは?」

「どうとでもしてええんやろ?殺る前にありさかのかわいいとこ近くで見してやぁ」

言いながらスウェットにも手を掛けようとするのでとりあえず腹を蹴飛ばした。

「ヴッ」

細い腹にそこそこの威力で脛が入り、部屋に鈍い音が響いた。

「いた……好きにしてって言うたやん…」

「…抵抗しないとは言ってない」

屁理屈を捏ねながら明後日の方を向く。決まりも往生際も悪い。しかしあれだ、昔好きだった男に素肌を晒すというのは多少躊躇われるものなのだ。照れ隠し蹴りが痩躯に堪えたのか、だるまは蹲ったまま動かなくなってしまった。

「.……ぅ…」

「…」

何故だろう、罪悪感がすごい。俺は無理やり薬嗅がされて手縛られて今から襲われそうだというのに、自身より明らかに力不足な人に手を上げたという嫌な感じをひしひしと実感してしまっている。気ぃ悪いな。

「…おぇ、」

「…大丈夫?」

いやいや大丈夫じゃねえのは俺なんだって。こいつが大丈夫じゃないのは頭なのに、小さい体を震わせて痛みに耐えているのが少し可哀想になってしまった。

「ん…平気、ちょっと興奮しただけ…」

「…」

ほら見ろ。イカれてる。黙って見つめていると、だるまが顔をチラリとあげた。

「…くひ、…心配、してくれてんのぉ?」

「…してねーよ」

「うそや。…なぁ、…ありちゃんはさ、なんでそんなに優しいん?」

「だから優しくないって言って」

言葉の続きはだるまの唇に溶かされた。
考えなしに喜ぶことはできなかった。生きている人間の柔らかな唇を感じながら、雨に打たれて悴む如月のような悲しみがあった。遅かった。俺が行動していれば、ふたりで幸せになれたかもしれなかったのに。誰かが言っていた、ほんとうに欲しいものは、諦めた頃にあっさり手に入ると。生きることさえ諦めてしまった俺に、お前はその全てをくれるのだろうか。

「いつ殺すの」

死にたいわけではなかったが、それでお前の気が済むなら思う存分メッタ刺しにしてくれて構わなかった。お前の恨みが晴れるなら、煮るなり焼くなり好きにすればいい。
しかしだるまは暫く考えたあと、思ってもみないことを言った。

「俺らが100歳越えたらとか?」

驚いて見つめ返すと、だるまの目はいたずらっ子のような光を放っていた。ああなんでかな、今初めて見たはずのその表情を、何年も前から知っていたようなきがするんだ。

「……は、…っあは、なにそれ」

それが、どうにも俺が愛していた"だるまいずごっど"そのものみたいで、涙が出てきた。今日お前の色んな顔見たよ、でもその中の、どれよりも今がいちばん、

「…お前らしいや、」

「なに、泣いてるの?笑っとんの?俺のこともっかい好きんなった?笑」

ああそのガキ臭い煽り、知ってるよ。ずっと知ってたんだ。

「別に…ずっと好きだったよ、お前の様子がおかしすぎて、俺のこと怖がらせてたんだろ」

「ずっとは嘘やん、ありさかお前諦めて俺のこと好きじゃなくなってたやないか」

頬を伝って止まらない感情をだるまが雑に拭って笑って見せた。あの頃と変わっていないじゃないか、なにも。

「ありちゃん、俺らまだまだピチピチなんやからさ、やり直せるって。…それに俺このままやと普通に犯罪者やし…」

急に冷静なことを言うだるまに苦笑する。

「そうやね、俺が告発したらだるま逮捕やなぁ」

「ちょっ、ちょっと待って!ありさかが傍におってくれるなら絶対再犯せんし!な、?」

慌てて俺の手を握り締めるだるまからは、加えて「告発するなら殺してまうぞ!」という脅し文句まで飛び出した。

「あ、脅迫罪も追加や!おまわりさん!!」

「ちょマジで…やっちまうぞ!」

お前からの好意が膨らむほどに避けていた、くだらない応酬が心地良い。随分歪に彷徨った恋路だった。あまりにも長い間、迷路の中にいた気がする。それでも結局は盲目の中互いを探し出したのだから、これもまあ一種の運命なんだろう。ふたりで歩き出す前に、まずは手首の麻縄を一緒に外すところから始めようか。
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